「どんどん信者を増やし」
「国民の行動に影響を与え」
「自己犠牲さえも繰り返させている」
という状況の異常さ、その恐ろしさ、絶対に防がなければいけなさ、分かっていただけましたね?
私はかねがね不満に思っていました。
信教の自由という聞こえのいい言葉のために、キリスト教弾圧が過剰にバッシングを受けてきたことを。
キリスト教弾圧の歴史とは「破防法が存在しない時代において、宗教を利用した政治的侵略との戦い」なのです。
ですがその事実はかき消され「自分の思い通りにならないと気がすまない人のわがままで人が殺された」ぐらいの教え方さえされれているのが現代の教育です。
なぜ、こうなったと思いますか?
鋭い人は気づいていますね。
「宗教を信じるのは何も間違ってない。弾圧は間違っている」を植え付けることで有利になる人達が教科書の作成などにおいて積極的に発言を繰り返していたからです。
統一協会を始めとした大手カルト団体は既存の宗教が作り上げてきたイメージ、中でも「安全性」を盗用する手法に長けています。
勧誘・修行(と称した洗脳)・お布施などの様々な行為に対して「歴史のある他の宗教でもやっているから」という感覚を利用してハードルを下げるのは彼らの得意技です。
つまり、宗教がより身近となり、より否定されにくいものになるほどにカルト団体は有利になるわけです。
その中でも「宗教を否定して弾圧をしてはいけない」というイメージ、これが広まることが如何に「いつ弾圧されてもおかしくないようなことを繰り返している宗教団体」にとって有利なのか考えてみてください。
そうです。
我々、豊臣秀吉の子孫を名乗る者たちは、日夜そうしたカルトの思惑によって生み出された悪のレッテルに苦しめられてきたのです。