「あの福島第一原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は『国に責任はない』と判決を下した。司法の役割とは一体何なのか、と考え込んでしまった。苦しむ国民を顧みない国にはロクな未来は無いと申し上げておく」
と言った。
そもそも、司法の役割とは裁判官が良心や私見で判決を出すことなのか。それは間違っていると自分は思う。
そんなことをし始めたら、国家統治の仕組みがおかしくなってしまう。
司法というのは、立法府が作った法律を運用するところだ。憲法に照らし合わせて、法律が憲法に従っていないと判断すれば法律を否定する役割もある。
だが、それだけであり、要するには司法は憲法を王と戴く法律の奴隷のような存在だし、そうであるべきだろう。
そもそも、そんなに賠償をしたいなら、賠償を約束に掲げる政党を当選させて与党にして、法案で賠償補填を行えばいいこと。
現行の政府がおかしいと考えるならば、選挙に当選して自分が与党になって国家を動かしてくださいね。と憲法にも書いてある。
むろん、それが難しいから司法に訴えかけ、行政の頭越しの解決を狙っているのだろう。
だが、司法が自己の意見に従う形で合理的な法解釈もなしに行政を違法違法としていったら、国民は左よりの政府を選んだのに司法は右寄りだったら全部を否定して行政がなんにもできない、というような事態も発生する。
そんなことも分からないのか、と情けなくなる。
はっきいいって、この人たちは世の中が自分の思い通りに動かないから横着な横紙破りを試みて、司法がそれをやってくれないとなると