2022-06-12

お笑いの命、間(ま)を司るお仕事

間(ま)は笑いの命である

適切な間がないと笑いは生まれない。

 

編集TV番組の肝である

編集なき動画は素材であってプログラムではない。

 

最近アイドル大喜利が出来ないといけない、と言われるほど

「笑い」が求められる時代である

その笑いの命とも言えるのが「間(ま)」である

同じ発言でも間が0.5秒変われば生まれる笑いが生まれない。

素人にもそういったことが一番わかりやすい場面は

誰かの発言に対して「間髪入れず」に適切なワードを「素早く」ツッコむというシーンだろう。

よくこんなに早く一番面白くなるようなワードを放り込むことが出来るものだ、と感心するわけである

瞬間的に笑いになるワードを思いつくことが出来るのか?

それとも台本通りに行っているだけなのか?

あるいは、そのどちらでもなく編集の賜物なのかもしれない。

デジタル技術進歩動画編集技術をそれまでのアナログ編集と比べて異次元に高めた。

動画を早く繋ぐのも遅く繋ぐのも思いのまま。

自然さは微塵もなく、もともとそういった動画である視聴者を騙すことは朝飯前である

まり素材は素材でしかなく、その素材を面白くするのもそうでなくするのも料理人カットマンの腕次第なのだ

 

かつての編集面白いところを如何にして「つなぐ」か?という部分に注力されていた。

面白くないところを「切って」、面白いところを「つなぐ」、さらにつなぎの工夫によって現場では生まれていなかった編集による笑いも生み出すこともする。

それがかつての番組編集のあり方だった。

しかし、時は令和。

もはや、そのようなアナログ時代残滓まみれの雑な編集では「仕事」として認められなくなっている。

もっと1秒1秒、あるいはコンマ単位での編集を求められる時代

笑いの間を調整する作業を求められる時代である

逆に言うと収録の現場では、現場は素材である、ということが強く意識されている時代だ。

現場では面白くなくても編集の力で笑いを発生させることはできる。

しかし、素材としての動画面白くない笑いに対して、そのまんまの面白くないという反応をしていると

そこのところは編集でもどうにもならない。

からタレント面白くないギャグに対してもオーバーリアクション笑顔を作る必要がある。

そうしておけば、編集での間の調整による笑いの変換が行われた動画からスムースに繋ぐ事ができる。

番組収録に観覧者として参加したことがある人は不思議に思ったことがないだろうか?

現場ではリアクションに困るようなスベった笑いがあとから番組を見ると爆笑場面に変わっている。

そういうことに思い当たることがあるのではないだろうか?

 

同じギャグでもコンマ数秒違えば、面白さは2倍にも3倍にもなる。

このことは誰もが気づいていたが、それを編集作業で調整するということを最初に行ったディレクターは誰なのだろうか?

かにこの作業によりテレビ番組の笑いの質は向上したと思う。

とはいえ、より適切な間を見つけるための作業は根気がいる。

ときにどうやっても面白さが生まれない時がある。

しかし、その結論を下せるのは散々素材を弄り倒したあとなのである

ああ、これは無理だね。まるごと切ろう。そう結論づけるまでの時間は苦行である

だが、それでも編集は続く。もはやそれがスタンダードなのだから

最大の笑いを生み出すための「間」を求めて。今日カットマンたちの戦いは続く。

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