2022-02-11

死をデザインできる社会になってほしい。

長生きしたいとそもそも思ったことがない。物心いたこから醜く老いてまで生きていたいと思ったこともなかった。

自分の周りにいた老人は年をとるにつれて同じことしかしゃべらなくなり、動かなくなり、病気がちになり、やがて多かれ少なかれ死んでいった。

認知症の身内もいた。面倒をみていた家族尋常じゃなく、大変そうだった。

そんなんだったか家族を作るとか子どもを作るとか若いころには選択肢になかった。

20~30歳ぐらいまで鬱を発症していて希死念慮も強かった。自殺するには気力と体力が足りないけど、一度頑張ったときオーバードーズ自殺未遂も起こした。

それでも20代の終わりぐらいか自分を愛してくれる伴侶を見つけて鬱も徐々に回復し、30代になってから結婚して、だいぶ迷ったが子どもも産んだ。

何かがよくなると思っていた。それは確かによくなった。

子どもは生きる希望だ。それは間違いない。

たから見たらたぶん幸せで家庭円満な、これ以上ないくらいの、家族

でも今でもやはり、ふとした瞬間にしにたいな、と思ってしまう。

長年強く強く思い続けた希死念慮はもう自分生活習慣のようになっていて、そこらかしこで顔を出す。

ちょっと調子が悪い時に。ちょっと辛いことがあったときに。

車を運転していてふと出てくる。このままアクセルを踏み込んで、どこかに突っ込めば、この辛い人生を、終わらせることができるのに。

もうとっくの昔に、これ以上辛い思いをしたくなかったら死ぬしかないとわかっている。

安楽死ニュースをよくチェックしている。

いざとなったらスイスに行って、補助団体を頼ろうと思っている。

死期を自分で選べたらいいのにと思う。

自分もっと年をとったときに、身体もぼろぼろになって、痛い思いをあちこちに抱えたまま、或いは経済的不安定なまま、未来への不安を抱えて生きていたくない。

自分自分でなくなるぐらいぼけてしまって、下の世話を他人に頼って・・・あるいは。

死は私にとっていつも身近で、いつもそこにあるもの

死を自分で選べたらいいのにと思う。

そしたら、最後パーティを開いて、会いたい人に会って、感謝を伝えて、きれいなまま死ねるのに。

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