2021-09-25

ラーメンヲタの件。底辺層からクズであることを奪う権利が誰にあるんだろう。

キモく、金がなく、成長性がなく、人に胸を張れるような能力もない人間幸せになる権利はないのだろうか?

人に少しでも迷惑をかける人間は、幸せになってはいけないのだろうか?

ラーメンを食うというのは誰にもできることであり、電車を撮ったりアニメゲームをするくらい誰にでもできることだ。

誰にでも出来ることに、偏執的に価値を見出すのは、キモく、金がなく、成長性がなく、能力がないからだ。

そういう人間は大抵の場合、社交性もない。端的に言ってコミュ障だ。

人間の最も大きな武器コミュニケーションが生み出す社会だ。

コミュ障は、人間として最重要武器がない。

から人間の中でも最底辺であることが多い。当たり前のことだ。

だが、キモく、コミュ障底辺からキモく、コミュ障であることを奪う権利が、誰かにあるのだろうか?

俺はないと思う。

キモく、コミュ障で、能力がない人間幸せになろうとする権利を奪う権利は誰にもないはずだ。

金だの、社会的な地位だの、そういうものを、コミュ力のある人間が独占するのはいい。

何故なら人類享受しているインフラ資産ほとんどは、コミュ力によって生まれものからだ。

から価値あるものほぼ全てをコミュニケーション強者が独占するのは理に適っている。

一方で、普遍的価値のないものに輝きを見出して、底辺幸せを得ようとする。それもまた理に適ったことではないだろうか?

ダイヤモンドは誰もが欲しがるだろう。金持ちが持っていればいい。底辺路傍の石に、底辺同士で価値を見出す権利があるはずだ。

上で書いたように、ラーメンオタク達にキモくてコミュ障である人間が多いのは当たり前のことだ。

たかが一杯1000円前後食べ物偏執的にこだわるのはおかしいことだ。社会生物としておかしいと言って構わないだろう。

そんな人間なのだから、関わればキモい思いをする確率は高いだろう。迷惑だと感じることも多いだろう。

だが、彼らに幸せに生きる権利はないのだろうか?

俺は、あると思うのだ。

犯罪者を許せと言っているわけではない。好きに法律で裁けばいい。ただ、俺達には素晴らしい法律というシステムがあるのだから法律を好きに使えばいいじゃないか、とも同時に思う。

法で裁けぬ不快さは、許容してやってもいいじゃないかと、おおらかになっても良いと思うのだ。

法に訴えるコストに見合わないというのなら、法で裁くほどのものでもないというのなら、きっとその程度のものなのだ。許せばいいじゃないか

そもそも、今は情報インフラが整っているのだからキモ底辺の生息地なんて、調べればわかるじゃないか。調べて、わかるのなら、近寄らなければいいじゃないか。痰壺の中に痰があることを騒いでどうするのだ。

ただ、キモくて、金がなくて、能力がない。

そんな路傍の石を愛でる底辺コミュ障たちの集まりに、わざわざ出向いて行って、

「お前達はおかしい」と叫ぶことに何の意味があるんだろう。

誰かが、幸せになるんだろうか。俺は、ならないと思うのだ。

撮り鉄に「お前達はおかしい」と叫ぶことが、ドルヲタに「お前達はおかしい」と叫ぶことが、

アニヲタやゲーヲタに「お前達はおかしい」と叫ぶことが、何か意味のあることなのだろうか?

俺は、ないと思うのだ。

彼らにも、幸せに生きる権利があると思う。

底辺が、クズのまま幸せになれる世の中の方が、俺は好きなのだ

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