卵管結紮がしたい。
夫も私も生涯子なし希望。とにかくお互い子どものいる人生というものに全く興味がない。作る理由がないので作っていないという、いわゆる選択子なし夫婦である。
そんなもんでブライダルチェック等は全くやっていないため、お互いの生殖機能が正常に機能しているかどうかは分からない。
もし出来てしまったら残念ながらその命を終わらせる判断をしなければならないので、そうならないように今はピルとコンドームで避妊をしている。そろそろミレーナに変えたいなと思っていたところで、卵管結紮という選択肢がふと魅力的に思えてきた。
しかし現代日本の標準医療では、子なし・出産歴なしの女性の腹をわざわざ開いて卵管結紮なんて、そんな身体的にも将来的にもリスキーなことをやってくれる医者はなかなかいないらしい。
一応、既婚者であれば夫の同意書があれば法律上は可能らしいが、できるからと言って実際やってくれるかどうかは別問題とのことだった。
母体保護法の言っていることはだいたい正しいし、私のようないち個人の「子どもいらなーい」よりも数百人数千人を診てきた医者のほうが医療面では正しいことを言える立場にある人なので、そこに文句はない。
だけど、それでも私は卵管結紮がしたいなあ、という希望を捨てられないでいる。
ちなみに夫に精管結紮を望む気はない。本人がそうしたいと望んだときには精一杯サポートをするつもりだけれど、そうではないなら私がそれを希望する権利なんてないと思っている。
子どもってやっぱ望まないといけないものなんだろうか。世間では不妊治療の保険適用額がどんどん広がって、連日ニュースでは少子化の文字が踊っていて、まるで「子どもを望んで産みなさい」と世間から圧力をかけられているような感覚に陥ってしまう。
子どもを産まない、作らない体になりたい。
作れないから諦めた人々には同情と理解が集まるけれど、ピルをやめると子どもが産めてしまう体に戻る苦しさ、作れるけれど作らない人間の悩みはなかなか理解されない。むしろ全否定される。
「女の幸せを放棄している、子どもを産みたくないなんて思う人間はこの世に存在するはずがない」と私の存在はなかったことにされてしまう。
ならばいっそ、産まない、作らない体になりたい。卵管結紮がしたい。