推しがいるっていうことがこれからの多様性な時代すごく重要だけど、「推し、燃ゆ」の主人公は生きがいの推しを失うんだけどそれでも生き続けるんだよね。
でもネガティブは人を殺すじゃん。
自分が呟かなくてもネガティブはエコーチェンバーで相手に届きやすいから、わざわざネガティブなんか呟かなくていいはずなのに。
だからいいねや好きってコメントは頻繁に表現した方が良いと思ってる。
もちろん自分のポジティブな表現が誰かにとってのネガティブになることは往々にしてあるけど、ポジティブはフィルターバブルでポm良い方に受け取ってくれる人にしか大体届かないと思ってる。
ちなみに「あなたのためを思っていうけど」って言葉はこれっぽっちもポジティブではなく、ただの言った人の感情の押し付けだからこれはダメだと思う。
一昔前の芸人で今の西野くらい稼いでいる人と西野を比べた時(頭の中ではダウンタウンとかをイメージしているけど)その芸人と西野のことを好き/嫌いと思っている人の割合は西野の方が圧倒的に嫌われているはず。
でもめちゃくちゃ稼いでいる。
推しているファン側も、好きだけどお金を突っ込む人ほどでない推しがたくさんいるよりも、自分の収入から突っ込めるだけ突っ込む推しがいる方が人生の充実とかポジティブを感じると思う。
去年の夏さ、三浦春馬くんとか竹内結子さんとかほんと辛くてもう良いかなって思って、電車の中とか買い物中急に泣き出すくらい辛かったんだけどさ、NiziU好きになって、彼女たちを応援するために生き続けようって思えたんだよね。
でもたまに、もし彼女たちをなんらかの形で失ったらどうなるんだろうって考えると、その時はもう仕方ないかなとかも思う。
でも今は毎日楽しくて、推し以外のこともネガティブはネットでもリアルでもなるべく発しないようにして、ポジティブは出来るだけ伝えるようにしてる。
他の人だってアイドルとかでなく、なんかのサブスク契約してると思うんだけど、それも一種の推しだと思うんだよね。生きがいにはならなくても、それがあることで人生楽しいはずなんだよね。
西野のオンラインサロンのメンバーも自分は入ろうとは思わないけど中では個々で西野のために動くことが生きがいの人もいるんだろうし。
推しを失っても生き続けるかもしれないけど、また新しい推しができる。推しって一人一人の人生にとってすごく大切なものだから、それぞれを許容できたらならなぁと思う一方で、自分にとっての推しとは、ってことも考える。
お気持ち長文みたいなのが受賞したんか 前から思ってたけど完全にミーハーやな