私は男だけど、女性差別の解消を目指す人が男性に憎悪を向ける理由は理解できる。
成功している人らのコミュニティって、酒の席にもなると高校生や大学生のような会話をする。
表では神妙な面持ちで社会問題の解決に熱意を注いでいる姿勢を見せるけど、
裏(仲の良い本音を語るグループ内)では、やれ美女と何人やったとか、車のランクや不動産の価格がーなどと、
それを切磋琢磨とも捉えることができるかもしれないが、社会を変え得るほどの立場にいる人ですらそれに囚われていて、
自分のマウンティングでの勝利と弱者救済とを天秤にかけた結果、ライバルに勝ちたいという気持ちを取ってしまう。
そうして、自分が降した決断を合理化するために、弱者の粗や個人主義の正しさばかりを集めて取り入れていき、
最終的には私利私欲にまみれた、演技の上手な妖怪のような存在になっていく。
そんな様子をみて非常に吐き気がするのだけど、彼らのコミュニティに入るにはやはり共感や類似性が必要で、
彼らの価値観を否定しないように、新参者も蜜を吸うために、力を手に入れるために同じような価値観を内面化せざるを得ない。
もちろん、女性の成功者でもそういう人はたくさんいる。彼女らを見た男性はやはり憎悪するかもしれない。
だが、一般的な男性の多くは弱いやつが悪い。弱い奴は努力をしていない。そんな偏見を持っていることが多いだろう。
だから女性の成功者を批判する男性の声は男性からは支持されない。
弱者を救う、格差を是正する、そんな価値観を綺麗事の良い子ちゃん。真面目くん。優等生。
そんな言葉で茶化してしまい、茶化した以上後に引けなくなった妖怪たちを、実情を見ていなかったとしても外側から見て悪だと断じる人々に加担したいと私は思う。
それがキモオタ叩くことと何の関係があるのでしょうね
社会的に優位な男を叩くとデメリットが大きいから、叩きやすい対象選んでるだけじゃない。
キモオタはキモオタのくせに女を虐げるからだろう。