育児垢界隈というものがあるのは知っている。わたしも子どもが生まれたときに育児垢を作ろうかと思ったけどやめた。
というのも、育児垢はどうしても性質上「肯定のコミュニケーション」しか存在しないように見えたから。
基本的に育児というのは子どものかわいさくらいがご褒美で、他は割と辛いことばかりだ。母親は股が裂けて血がドバドバ出ている状態で、ロキソニンを飲んで痛みをごまかしながら3時間ごとの授乳生活をスタートさせなければならない。そんな人間の体力的にかなり厳しい状態での子育てのスタート。そりゃあ「今日も夜勤(夜間授乳対応のこと)お疲れ様!」とお互い励まし合うコミュニケーションがベースになってくるのは当たり前だ。わたしたちは励まし合う相手を求めている。
ただ、そういった「励まし合う関係」が強固になってくると、「この人の意見合わないな」と思っても言えないことが増えていく。その一方で、「この人の意見はわたしと同じだ!」と思う人には、気軽に「わたしも同じ意見です!」とリプライを送ることが増えていく。励まし合う関係なのであるから、マイナスなことはあえて言わない。ただ同調する意見や、プラスな意見はどんどん伝えていく。
これは一見良いように見える。けれど、何か自分が暴走気味な意見を持ってしまったとき、普段なら誰かが「気を悪くするかもしれないけど、あなたのそれはちょっとこの点で違うんじゃない?」と言ってくれるような人が、全くいないと言うことだ。言ってくれたとしても、DMでの連絡になるだろう。表のリプライツリーには肯定の意見だけが揃う。そのときに、自分が「あえて送ってもらったDM」の方を信じられるのかどうか。どちらが客観的に見てよさそうかを、自分で判断できる冷静さを持ち続けられるかどうか。わたしにはその自信がない。
肯定のコミュニケーションは素敵だと思うが、よっぽどのバランス感覚を持った人間でないと難しいのではないかと思っている。SNSの悪魔に取り憑かれる。
仲良くするためのコミュニケーション欲求じゃないん?なんのために社会生活しとんの?
言いたいことも同調圧力で言えないこんな世の中は求めてない
なるほどねー、そして自己表現の名のもとに他人を傷つけて承認欲求を満たしとるわけだ、それ単に迷惑なヤツ!!(笑)