2020-01-28

私は快楽主義なのだと思う

30代前半

平均年収程度の収入

働き者のパートナーがおり

仕事にもやりがいはある

こなした仕事は褒めてもらいたい程度に高い承認欲求も周囲は満たしてくれる




客観的に見ると幸せ人生だと評価できるかもしれない。

んだけど、私にはぽっくり死にたい願望があるのだ。(亡くなった方やそうした家族を持っている方に対して申し訳ない気持ちもある)




常にそうなりたいと思っているわけではない。

仕事場では一生懸命に働く。

楽しいと感じることもある。(たとえば週末の散歩とか。猫とたわむれるときとか)

自分死ぬことで悲しいと言ってくれる人もいる。(以前軽口でパートナーに「ぽっくり死にたい」と願望を口走ったときガチトーンで叱られた)




現在世界的にコロナウィルスで騒がれていたり、大きな地震が来て日本が壊滅すると騒がれたりしている。

基本的ニュースや周囲の反応は”生きるためにどうするか”が前提の考えであるように思う。

だが、私はこうしたニュースを見るたびにぽっくり逝けるのではないか?といった妄想をしている。(被害にあわれた方に対しては本当に不謹慎な事だと申し訳なく思う)




雷に打たれればぽっくりと逝けるだろうか。

登山最中に転落するとぽっくりと逝けるだろうか。(ちなみに迷惑にならない前提ではある)

そんなこともふとした時に考えている。




なぜそんなことを妄想しているのかを掘り下げてみると、快楽主義者だからではないかという結論にたどり着いたのだ。




生きることはしんどいというが、それに尽きる気がしている。

仕事のために小さな努力をしたりもするが、突き詰めれば果てがなくげんなりする。

趣味お金を投じてみようと考えても、将来のことを考えると無計画突撃もできない。(これは勇気がないだけかもしれない。が、大切な人には苦労をかけたくないのだ。何かプラスのものは残して逝きたいのだ)

そうしたときにぽっくり逝けると楽なのかもなぁと妄想するのだ。(一種現実逃避といえばそうなのだろうが、それだとあまりしっくりときていない)

そのため、人生謳歌されたご年配に尊敬気持ちが芽生える。



この感情は一体なんだろう?

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