30代前半
働き者のパートナーがおり
こなした仕事は褒めてもらいたい程度に高い承認欲求も周囲は満たしてくれる
んだけど、私にはぽっくり死にたい願望があるのだ。(亡くなった方やそうした家族を持っている方に対して申し訳ない気持ちもある)
常にそうなりたいと思っているわけではない。
楽しいと感じることもある。(たとえば週末の散歩とか。猫とたわむれるときとか)
自分が死ぬことで悲しいと言ってくれる人もいる。(以前軽口でパートナーに「ぽっくり死にたい」と願望を口走ったときはガチトーンで叱られた)
現在世界的にコロナウィルスで騒がれていたり、大きな地震が来て日本が壊滅すると騒がれたりしている。
基本的にニュースや周囲の反応は”生きるためにどうするか”が前提の考えであるように思う。
だが、私はこうしたニュースを見るたびにぽっくり逝けるのではないか?といった妄想をしている。(被害にあわれた方に対しては本当に不謹慎な事だと申し訳なく思う)
雷に打たれればぽっくりと逝けるだろうか。
登山の最中に転落するとぽっくりと逝けるだろうか。(ちなみに迷惑にならない前提ではある)
そんなこともふとした時に考えている。
なぜそんなことを妄想しているのかを掘り下げてみると、快楽主義者だからではないかという結論にたどり着いたのだ。
生きることはしんどいというが、それに尽きる気がしている。
仕事のために小さな努力をしたりもするが、突き詰めれば果てがなくげんなりする。
趣味にお金を投じてみようと考えても、将来のことを考えると無計画に突撃もできない。(これは勇気がないだけかもしれない。が、大切な人には苦労をかけたくないのだ。何かプラスのものは残して逝きたいのだ)
そうしたときにぽっくり逝けると楽なのかもなぁと妄想するのだ。(一種の現実逃避といえばそうなのだろうが、それだとあまりしっくりときていない)
この感情は一体なんだろう?