飲み会帰りの大学生。社交性はあまりない。でも喋るのは嫌いじゃない。限られた人間と狭くなるべく深く交流してきたタイプ、たわいのない人間。
機会があっていつもとは違う人と飲み会をした。就職から人間関係、地元の話題などいろんなことを話して、自分にしてはよくやったなってくらいうまく場を渡った。
でも多分キャパシティを超えてたんだと思う。寝ようと瞑目したら、この日話したあらゆる人間が会話をしかけてきた。感覚は夢を見てる時と同じ。寝ようとしてるのに、無限に気の遣う相手とコミュニケーションをとってる状態。
今までにもよく喋った日には、脳が勝手に会話の反省を始めてなかなか寝付けないことがあった。日ごろ何か喋るごとに相手の受け取り方を想像して、よりよい会話をと反芻や反省を繰り返していたのが半ば癖になってるんだと思う。でもここまでひどいのは初めてで、本当に辛い。酒の悪心とも合わさって気分が悪いし、二度と外の人間と関わるもんかと意味のない決意をしたりした。うんこが固くて尻まわりにも不安を抱えてる。
多分なんだけど、ここまでではないにしろ夜に会話の反省とか始めちゃって自己嫌悪に陥る人ってわりといるんじゃないですか?どうやって生きてる?今後も喋るほど辛い夜が待ってると思うと絶望する。何が絶望って社会に出たらきっと今よりずっとこういう機会が増える。恋人なんか作ったらもう一言一句反省するに決まってる。明るい未来の裏に同じだけの反動が見えてる。
反省はめちゃめちゃ生かされてるだろうけど、反省の種は尽きようがない。もう場を渡れるだけの能力はついたから勘弁してほしい。その場その場でベストな判断を下し続けて、実際如才ないパフォーマンスは見せたはず。理想的なトークをしたのに、ただただその分量に応じて反省を要求するのはもうやめにしてほしい。
会話だけじゃない。振る舞いにしろ人に見られるもの全て、世に反省材料が多すぎる。人を見て、このコミュニケーションはいい、この態度はよしたほうがいい、これは最悪な人格だとかいっつもいっつも審美してる。インターネットもそう。視野の狭さ、極端な思考、滲む悪意暴言全部反面教師になる。それは全て自分を改善することに使われる。いくらでも改善できる。人を見る目が自分に跳ね返ってくる。しかたないけどいくらなんでも目を瞑ったら地獄は無理だ。
どうにか保つためにわざわざ増田に登録して書いて推敲して紛らわした。もうだいぶ落ち着いたし、次の作業はこの文章を他人が読んだらどう思うかを想像するところに移行してる。それくらいなら眠れる気はするけど、同時に投稿しなければ全て丸く収まることに気づいた。
緊張すると逆に多弁になるか逃げるタイプなので分かるような