まともな受験勉強をしないで東大に受かる人はいる。悲しきかな私もその一人。
だがそのような人には大学に入ったのちのゆるやかな死が待っている。
ゆるやかに。じっとりと。
まともに受験勉強をしなくても入れるのは天才だからとかではない。
環境によって入ることができてしまうことがある。だいたい中高一貫の進学校だと起こり得ること。
想像してほしい。
ペースランナーが数百人、周りにじとっと六年間張り付く中で走る人を。
どちらがより楽にゴールに時間内にたどり着くだろうか。
ただ年五回行なわれる定期試験で学校ないのある程度の位置をキープするバランスゲームを六年間やるだけで、東大に行けてしまう。
決して力を入れすぎることはない。ペース配分なんて考えなくても良い。何もしなくてもいつのまにかそのレベルにたどり着いてしまう。
最小限の力。
一日一時間だけ勉強して、周りから取り残されない程度にやっておけばいい。
周りで一日十時間以上勉強する人の様子を見ながら、それと大差ない結果が出る程度に最低限勉強すればいい。
努力した人の掘り進めた道を後追いに安全に進むだけのお天気野郎である。
努力するということを知らない。
何かしらゴールがあるわけでもない。
隣の人はまた違ったカリキュラム・興味関心を持っている。
隣の人の後追いをしたところで意味がない。
そして死神の鎌はひっそりと「自称・天才」たちの首に鎌をかける。
自分が勉強に関して天才であり、勉強時間と意識しなくても勉強していたんだと勘違いする。
だが彼/彼女は実際には「トレース」の天才であるに過ぎなかった。
意識的な努力をしなくても私はこっそりと努力ができているはず。
一度も勉強に手を出すことはない。
周りをトレースしていく。
だが彼/彼女は気づかない
そして大学の学びが教養科目から専門科目に移り、自分で学ぶことが求められるようになったとき
はじめて彼/彼女は自分の首がとっくの昔に地面に落ちていたことに気づく。
彼/彼女は死んでいる。
適切に努力する人には正しい結果を与える。何も努力しない人には死を与える。
そんな彼/彼女の多くにはこのような緩やかな死が待ち受けている。