先日、自分の誕生日があった。で、恋人がお祝いのプレゼントと一緒に手紙をくれた。手紙には優しい言葉、愛情、そのほかいろんなものが溢れていて本当に嬉しかった。でもそれ以上にこわかった。
母は寂しかったのだろう。母親が父親と離婚してから、自分は男漁りの場によく連れて行かれた。母と彼氏のデートにもよく連れて行かれた。なんだこのガキは、と思われていたことだろう。幼くても大人の表情からいろいろとわかっていた。母を哀れと思い、出来る限りいい子でいようと決心した自分がとった行動は「無でいること」だった。デート中は小銭をもらってゲームセンターにいる。少ないコインで長時間粘ることで大人の時間を邪魔せず済む。ドライブ中は後部座席で眠る。運転席と助手席の間でキスする大人たちの姿をよく見ていた。眠っているフリが増えた。そうすれば自分を車内に放置して気兼ねなく出かけられるから。
ある日、自分が風邪をひいて熱にうなされているとき、看病中の母のケータイが鳴った。誰かと喋ったあと「ごめんね、お母さん大事なお仕事ができたから、少しだけ出かけてくるね。ケータイを置いていくから何かあったら仕事用のケータイにかけてね」といい、母はケータイを置いて出かけていった。寂しさを紛らわそうと母のケータイでゲームを始めたが、何かの拍子にメールフォルダを覗いてしまった。受信時間はついさっき、相手は母の彼氏、内容は「エッチしたいから迎えに行く。すぐ終わるから子供は置いてこい。愛してる」だった。これを読んだ瞬間、もっといい子にするから自分を愛してほしいという気持ち、自分のことなど愛さなくていいから幸せでいてほしいという気持ち、ひとりでさびしいなという気持ち、いろいろな感情が自分を駆け巡って、画面を見ながら静かに泣いた。それからとにかく手のかからない子供を目指した。母の邪魔になりたくなかった。もう愛されなくていいと思った。
そんな自分も大人になり、紆余曲折を経て今の恋人と巡り合った。恋人は好奇心旺盛・ジプシー気質の人間なので、自分への関心はさほどないのだろうと思っていた。そんな恋人からもらった手紙は、この駄文の冒頭のとおりに自分を混乱させた。自分は愛されなかった存在で、これからも愛されるような存在ではなく、価値もない。こんな自分を愛させてしまって申し訳ない。誰かに愛されることがこわい。喉から手がでるくらい愛が欲しかったはずなのに。欲しかったものを与えてもらって、こんな気持ちになって、俺は何がしたいんだろうな。
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文章だけでもわかる。 増田は愛される存在だし愛されて当たり前の存在だよ。 これからいっぱいいっぱい愛されるし、いっぱいいっぱい誰かを愛せる 大丈夫。 幸せになれるよ。
貞女は 添い遂げて 夫が死んだあとも 再婚することはない anond:20180630232337