2018-04-09

10代を思い出すと涙が止まらないことがある。

学校の話じゃなくて、家の話だ。

私の妹は、中学校に入ってすぐにひきこもりがちになり、

その後、高卒認定学校?に入るまでの7年間、

あるいはそれ以上の時間、大暴れしていた。

いつも死のうとしていた。いつも手に負えなくて、いつも叫んでて、いつも殺すぞと言っていた。

私が15歳の頃から、だいたい22歳、23歳になるまでの間。

特に酷かったのがその期間だから

少女から女性になるまでの間、

ほとんどすべての時間で何かしら問題があった。

 

当時、思春期まっただなかの女の子には、

ちょっとしんどさが強すぎた。

当時の不調は、体が弱いからではなく、

こうしたストレスから全部きていたんだと、今ならわかる。

 

妹に、リモコンで思いっきり殴られた腕が痛かったこと。

包丁を向けられて、「もう死ぬ」と思ったこと。

でも、ひるんだり、背を向けたらそれこそ刺されると思って、

お父さんもお母さんも出かけていない部屋で、懸命に強がっていたこと。

ある日、家に帰ったら、お母さんが、家出していたこと。

妹が、混乱して、死のうとして深夜に大量に風邪薬を飲んだこと。

ベランダに出る大きな窓ガラスの片側がぜんぶ割られたとき絶望感。

殺すぞ、殺すぞ、と叫び続ける日もあれば、

反対に、殺せ、殺せと母親に向かって叫び続ける日もある。

家に帰るときは、「誰か死んでいないか」と心配していた。

母は、「もう一緒に死のう」と何度も思っていたし、(私になんの相談もなしに)

私の目の前で、包丁を床に置いて、「じゃあお母さんを刺しなさい」と言ってるのを見たこともある。

 

16歳のときに母方の祖父母が死に、母も両親を失った時機に娘がそんなんで大変だったと思う。

叔母の家に、ときどき避難していた。

私は、当時はそんな自覚もなかったが「自分に非が一切ないのに辛い」ということが何年も続いた。

どれだけ良い子にしてようとも、家はグチャグチャだった。

何でもない日もあったと思うけど、そんな日の記憶が強すぎてあまり覚えていない。

 

かなり省くけど、いろいろあって今では妹は大学を出て、なんとか社会で働き、

多少いろいろな問題は残っているものの、今では妹と私は超仲良しだ。

友人はみんな、私のことを「妹ラブ」だと思っているし、仲良しでいいねとよく言ってくれる。

本当に、妹が好きだ。母親も大好きだ。

私と母、私と妹、親子3人、ときにはイトコも交えてのライングループがあるし、

それはほぼ毎日どれかのグループとやり取りしている。

しょっちゅう実家にも帰っている。

 

妹を許せないとか、母親が憎いとか、今はそんなのは全然ない。

乗り越えた、に近いかもしれないけれど。

でも、憎悪全然ないけど、さっき書いたような恐怖はまだ消えなくて、

ときどき、夜中にそのシーンを思い出しては涙が止まらなくなるときがある。

トラウマ?なのかもしれない。

 

それは、アラサーになって、実家を離れて、家族と仲が良くても変わらない。

しろ、終わったからこそ、思い出してしまうのかもしれない。

当時は連日、新しい恐怖が舞い込んできて、思い出す余裕もなかったし。

 

母親や妹に言うと、きっと、悲しませてしまうだろう。

そんな恐怖を与えてしまってごめんと悲しい気持ちになってしまうと思う。

でも、辛い。

 

みんな、きっと、思い出せば涙が出る過去の辛いこと、あると思う。

どうやって、乗り越えているんだろうか。

私は、阪神淡路大震災とき記憶と同じぐらい、

混乱している妹に殴られたり、切られそうになったシーンと、

母親が妹に包丁を持たせて「殺せ」と叫んでいたシーンが忘れられない。

  • 自分に正直になれ 妹も母親も大嫌いだろ? 誰だってそう思うよ 俺だって同じことされたら嫌いとしか言わない

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