2017-11-17

寂れた街

JR北海道が自社の経営努力だけでは道内鉄道網を維持できないというニュースを読んで思った。

「かつての賑わいが失われた」などといった、寂れた街に対して使われる言葉果たして本当に正しいのだろうかと。

日本人口が減少し始めたのは8年前からだそうだ。

ということは、8年前の日本はどの時代日本よりも人口が多かったということになる。

しかし、まもなく廃線を迎えようとしている北海道の街や、日本全国の過疎地と呼ばれる寂れた街が

8年前に賑わっていたとは到底思えない。

「かつての賑わい」とはきっと高度経済成長期のことを指すのではないかと思うが、

その時と現在の違いは、ネットスマホはないものの、

人口ピラミッドが山型で、働けば働くほど幸せになれるという希望があったのかもしれない。

その時代背景を考慮しても、現在地方都市シャッター商店街に人がごった返すほどの賑わいがあったとは、

23区に隣接する街に住み続けている自分にはどうしてもイメージできない。

60年代80年代自分の知らない自分の街の写真には、

田畑が広がる風景から、段々と宅地化が進み、巨大な団地までもが建設されていく様子が写し出されていて、

それらからは確かに賑わいを感じた。

寂れた街はその逆のことが起きたはずであるが、変化の加速度はこれに及ばないと思う。

なぜなら、街の大きな変化を経て形成されたベットタウンの構成メンバーは、日本全国から集まってきた人であり、

ある特定の数市町村の全人口50%以上が集団移住したなどといったことはありえないからだ。

日本全国の小さい街から、少しずつ、少しずつ人が減り、その街と共に老いた人々が、

自身の体力の衰えと過ぎ去った時間に対する切ない感情を乗せて、少し大げさに「かつての賑わいが失われた」

などと言っているだけであって、実際のその街は、昔と比較して、実はそれ程変化していないのではないかと思ってしまう。

炭鉱の街」などのような特殊目的を持った街を除いて。

廃線」と言われると、街が衰退しきった証のように感じてしまうが、

計画鉄道網を築いていただけのことであって、本来の街の姿に戻ろうとしているだけのことなのかもしれない。

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