2017-10-19

[] #39-4「タオナケの正義

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ところ変わって兄貴のほう……

へとへとになりながらもバスギリギリで駆け込み、いつもの席に勢いよく座りこんだ。

「やあ、マスダ」

「はあ……あ、センセイ……はあ、どうも」

センセイは兄貴が通学でよく利用するバスで乗り合わせる人で、何度か見かける内に話すようになったらしい。

センセイといっているが兄貴勝手にそう呼んでいるだけで、この人が実際は何をやっているかは知らない。

バスに乗っている時だけ話す間柄だし、必要以上の詮索は無用かららしい。

「朝から随分お疲れのようだけど、あまり眠れなかったのかい



兄貴は今朝起きた出来事かいつまんで話した。

「まあ、大事にならなくて何よりだ。その子供たちも、もちろん君もね」

「それにしてもタオナケのやつ、どうして自ら危険可能性を上げるような真似をするんでしょうね」

「ふーむ……一口には言えないが、“可能性を肯定していない”からじゃないか

「なんすかそりゃ。可能性って肯定するかどうかってものじゃないでしょ」

「勿論そうだけど、現にそうやって生きている人は多いよ。私たちが乗っているこのバスだって、何らかの事故が起きる可能性は常に横たわっている。でも、それを恐れて乗らないという選択をすることは、まずないだろ?」

「そりゃあ確率が高くないですし、享受できるメリットを捨ててまで考慮すべき可能性じゃない」

「そう。可能性はあって、それが低いかいかの差だ。重要な差ではあるが、個人にとって参考材料の一つに過ぎないのも確かなんだ。その可能性をいちいち恐れていては何も出来ない。だから時に、人は“可能性を肯定しない”んだ」

「ああ、“可能性を肯定しない”ってそういうことですか……でも、それって危機管理能力を鈍らせることになるんじゃ」

「その側面もある。例えば原発への反対の声が強くなったのは、実際にそれで事故が起きてからだ。可能性そのものは常にあったけれども、それを肯定したという好例だな」

「センセイって原発反対派なんです?」

「ははは、例え話で持ち出しただけで別にどっちでもないよ。私が言いたいのは、人間ってのは可能性を正確に知覚できない生き物だってこと」

「だから肯定するかどうかが重要だと」

「そういうことだ。“否定”ではなく、あくまで“肯定しない”。同じ意味のようで、ちょっと違う」

「なるほど、つまりセンセイがこうやって俺に話をしてくれているのは、乗り過ごす可能性を肯定していないからなんですね」

その時、到着場所アナウンスが流れた。

『イアリ~イアリ~』

「これをより深く理解するためには、蓋然性という概念についても……あ!」

センセイがいつも降りる場所は、その時点で既に通り過ぎていた。

どうやら話に熱が入りすぎてしまったらしい。

「……誤解しないで欲しいんだが、“可能性を肯定しない”のと“気をつけない”ことはイコールじゃないからな?」

「……勉強になります。じゃあ、俺ここで降りるんで」

「私も降りよう」

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