日本で起業が盛んにならんのは、実は遠慮し合いと自己愛に満ちた社会で、
「起業家にまともにアドバイスもできないし、出来もしないから」じゃないか?と思った。
まあ、僕もアドバイスのつもりだったが、こちらに迷惑になる噂流されるは邪魔されるわで、
だんだんそいつに腹が立ってきて、悪口ばかりで回りが逃げていったってこともあるけどね。
うん、もう信頼失ったな、あるいはこいつと信頼関係結べないなと思ったら切るしかない。
逆に僕もそうやって信頼失っていった人大勢いるじゃない。
ついで「アドバイスされる」のは「見下されている」という人間もいる。
自己愛に満ちている。そして、起業して社長になるような人間こそそういう奴が多い。
表面にこにこしてる。裏でこそこそ相手を貶めるようなこと、足を引っ張るようなことをする。
相手Aが噂や小細工をして、自分の損害以外の何物でもなくなる。
それなのに誰がアドバイスをする?
言いたいことをはっきり言って、正々堂々議論するアメリカ人とは違うんだ。
でも、あちらの国はそれができる国だから、ベンチャーで投資するにあたって本音で質問をぶつけられる。
あれだよ、死にそうなやつを助けたら、助けたやつが訴えられた中国とおんなじなんよ。
当然助けようなんて奴はどんどんいなくなる。それと同じなのが日本の起業環境なんだよ。
いるのは「起業家どうしが傷を舐め合って売れもしてないのに俺達すごいんだよと自己愛を満たすコミニティだけ」
でも、その起業家同士の中でその中で何かの拍子で「敵」にできそうなやつを探している。
自己愛に満ちた存在だから社長なんかやっていていて、でも、そう簡単に売上は上がらないし、自己愛傷つけられて、敵を作りたがるから。
東方に凋叶棕「enemy of the society」って曲があるけど、ああいうどろどろした世界。
国会議員の今井や、安倍の言動見ても日本はどんどん自己愛が肥大している。
日本は他人に対する気遣いが強い。翻しては、相手の自己愛を尊重してるから自己愛も肥大しやすい。
厳しいことも、婉曲にまずは自己愛を傷つけないような配慮をして当然で、傷つけたがゆえの反発をしてきやすい。という社会。
新しいものを作る「開発」は理系。相手の好みに合わせ、聞き出し、売る「営業」は文系。
両方を身につけないとならないけど、両方できてる奴はまずいないのだから、創業した時点では絶対に知識不足経験不足。
もちろん、「俺はこうだと思う」という一定の自己愛がないと起業なんかせんし、しないほうがいい。
でも、制御できないと回りに迷惑かけて見放されるだけの存在にしかならない。
自己愛が傷つきながら、それでも気にしないところは気にせず勉強していく必要があるけど、
まず自己愛が傷つくこと自体が受け入れられない奴こそが社長をやって起業をしようという大いなる矛盾。
ま、アメリカには100年たっても追いつけないな。