時の人である村田マリ氏については、会ったこともなければ分野もぜんぜん違うのですが、小保方氏とは分野も近いし所属的にも近いです。
ある記事のブコメに、村田マリは小保方と近いのではないかとありました。なるほどその観点はわかりやすい。
小保方氏が結局何をしていたかというと、ミーティングなどでのボスの反応を基準としてプレゼンテーションを作成し続けていたということ。だから、直属のボスには非常に評判が良い。ボスの反応がよくなるような材料を作るためには、サイエンスの規範に逸脱することを厭わない。だからボス以外の同僚からは評判が悪いし、論文としての科学界での評価は最悪です。最終的に彼女の才能は、国民の反応をポジティブにするような記者会見で最大限発揮されたものの、サイエンスを相手にしたというのは彼女にとって分が悪い勝負でした。サイエンスを敵に回すというのは、世界を敵に回すのと同じことですから。
それで、ギガジンとかの村田マリ氏への罵詈雑言めいているが一面の真実を含んだ記事などを見て、かつ上記ブコメを参考にすると、要するに村田マリ氏はPVとかの反応だけに合わせてwebメディアを作ったということでいいのですかね。メディアとしての規範を無視して。盗作など法律的問題もいろいろ騒がれているけど、結局のところ最大の問題は、「一部上場企業が、医療などの情報について誤った記事を、PVを稼げるからというだけで作成してよいのか」という、やっぱり規範意識の問題だと思います。
さて、サイエンスとの勝負で小保方氏は敗北を喫したが、メディアとの勝負で村田マリ氏の勝負はどのように決着するか、注目しています。
ところでやはりこの両者に通じるのは、端的に、規範意識の欠如ですよね。高度に発達した社会であり、犯罪率も極めて低い日本のような国において、相対的貧困などと同じように、やや見えにくいが確実に社会にダメージを与えているような事柄なのだと思います。
そしてこれは、確かにこれまで学校教育において規範意識の教育、これはあまりなされていないと思います。では新しい道徳教育はこれに一石を投じることはできるのか?リベラルなサイエンティストである私は、不安を感じるところが大きいのが確かですが、しかしなにもしないというのは、第二の小保方、第二の村田マリが今後も出現し続ける未来を意味するのであって、それはあまり私の期待する社会ではないです。