せっかくのクリスマスに催眠オナニーもできずに恋人とラブホへ行くホモサピエンスがいることを思うと、私は彼らが心底憐れでならない。
ディズニーランドでカップルたちが手の形をピースにして記念撮影に腐心しているまさにその瞬間、私はアヘ顔ダブルピースで機械姦催眠によるマルチプル・オーガズムに達しているというのに。
まったく催眠オナニーの素晴らしさを理解していない人類は、人生の愉しみの99%を知らないでいる。
しかしその快楽がどれほどのものだとしても、催眠オナニーを前にすれば取るに足らない存在で、それはまさに月とすっぽん、いやバームクーヘンとアウフヘーベンくらいの違いはあろう。
こういうことを言うと「いや、セックスには愛があるが、オナニーには愛がないじゃないか」と抜かす信天翁たちがいるのだが、笑止千万。
「愛」だなんて、そんなもの、催眠術にさえかかれば愛することも愛されることも容易いのである。
エロ漫画の話ではなく、実際的な話「恋愛感情」は催眠でいとも簡単に操れる。
イヤホンから聞こえてくる姿の知らない相手を心の底から愛して「好きだよ」と呟くたびに絶頂してしまうような多幸感が訪れる。
催眠オナニーには、射精を伴うウェットと、射精を行わないドライの2つがある。
催眠による真なる快楽を享受したいのであれば、これはドライに限る。
冒頭で述べた機械姦系の催眠の場合は、女体化してアナルに入れられながら母乳を吹き出して絶頂するということを「想像」する必要があるが、催眠の手を借りれば想像だけで達するのは難しくない。
しかも数十回、数分間に渡って絶頂を繰り返すので、終わった頃には体力が尽き果てビクンビクンと痙攣が止まらず、指の一本も動かせないほどだったので死ぬかと思った。
そもそも催眠によって心臓の心拍数を赤子の手をひねるより簡単に操作できてしまう、という事実がまず恐ろしい。
我々催眠オナニストの活躍はめまぐるしいところがあるが、近年では「睡眠オナニスト」の進出も目を見張るところがある。
催眠と睡眠、似て非なるものであるが、私と彼らが「人類の高み」を目指している点では同志である。
睡眠オナニストは明晰夢、あるいは体外離脱によって、夢のなかでオナニーをしようとする。
常に夢精する危険と隣合わせだが、一度それを会得すれば何回でもどれだけ長時間でも、夢のなかで絶頂できるという。
私もまだまだ修行が足りない。
まさか http://anond.hatelabo.jp/20151223201827 の二日後にこれなのか
非現実的すぎて萎えたから、童貞のほうが楽しめるんだろうなと思った。