2016-08-05

催眠で達する人類の極み

せっかくのクリスマス催眠オナニーもできずに恋人ラブホへ行くホモサピエンスがいることを思うと、私は彼らが心底憐れでならない。

ディズニーランドカップルたちが手の形をピースにして記念撮影に腐心しているまさにその瞬間、私はアヘ顔ダブルピース機械催眠によるマルチプルオーガズムに達しているというのに。

まったく催眠オナニーの素晴らしさを理解していない人類は、人生の愉しみの99%を知らないでいる。

私は30を過ぎた童貞なので、セックスの味は知らない。

しかしその快楽がどれほどのものだとしても、催眠オナニーを前にすれば取るに足らない存在で、それはまさに月とすっぽん、いやバームクーヘンアウフヘーベンくらいの違いはあろう。

こういうことを言うと「いや、セックスには愛があるが、オナニーには愛がないじゃないか」と抜かす信天翁たちがいるのだが、笑止千万

「愛」だなんて、そんなもの催眠術にさえかかれば愛することも愛されることも容易いのである

エロ漫画の話ではなく、実際的な話「恋愛感情」は催眠でいとも簡単に操れる。

イヤホンから聞こえてくる姿の知らない相手を心の底から愛して「好きだよ」と呟くたびに絶頂してしまうような多幸感が訪れる。

催眠オナニーならそれが可能なのだ

催眠オナニーには、射精を伴うウェットと、射精を行わないドライの2つがある。

催眠による真なる快楽享受したいのであれば、これはドライに限る。

冒頭で述べた機械姦系の催眠場合は、女体化してアナルに入れられながら母乳を吹き出して絶頂するということを「想像」する必要があるが、催眠の手を借りれば想像だけで達するのは難しくない。

しかも数十回、数分間に渡って絶頂を繰り返すので、終わった頃には体力が尽き果てビクンビクンと痙攣が止まらず、指の一本も動かせないほどだったので死ぬかと思った

そもそも催眠によって心臓心拍数を赤子の手をひねるより簡単操作できてしまう、という事実がまず恐ろしい。

我々催眠オナニスト活躍はめまぐるしいところがあるが、近年では「睡眠オナニスト」の進出も目を見張るところがある。

催眠睡眠似て非なるものであるが、私と彼らが「人類の高み」を目指している点では同志である

睡眠オナニスト明晰夢、あるいは体外離脱によって、夢のなかでオナニーをしようとする。

常に夢精する危険と隣合わせだが、一度それを会得すれば何回でもどれだけ長時間でも、夢のなかで絶頂できるという。

私もまだまだ修行が足りない。

少子高齢化が叫ばれる我が国において、自分の為すべく使命を果たさなければならない。

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