女は産むべきである。
男は孕ませるべきである。
女は生む機械だと発言した人がいるが、そういう言い方をするのであれば、男は種をつける機械である。
女には、種を選ぶ権利があるし、まあ、一応男にも誰に種をつけるか決める権利がある。
そこに双方の合意が必要であるという話は今回の本題ではないので割愛。
例えば地球全体として出生率2以下であれば遠い将来人類は滅びる。それは、否定しようがない。
一方で、じゃあ子供が3人以上生まれればいいかというと、それはそれで滅びるだろう。
だから、すべての女が際限なく生むべきであるかと言われると、そうとも言えない。
社会全体として、出生率がある一定の数を保ちつつ、その国家あるいは地球全体として、適正な人数の人間が存在する世界というのが望ましい。
適切な人数というのがまた難しい問題で、日本だけで言えば多少いまよりも人口が減っていいのだろうけれど、
世界全体からみた日本の人口減が、日本の国力・競争力を下げるようでは良くない。
その数がどのくらいなのかは、社会学者が研究する価値があると思うが私には出来ない。
そのように考えた場合、
生むことが肉体的・社会的に可能である女は、肉体的・社会的に種をつけることが出来る男を選択して一定数生むべきである。
生むことが肉体的・社会的に可能である男は、肉体的・社会的に生むことが出来る女を選択して一定数孕ませるべきである。
問題は、今の社会が、このような男女のペアをどれだけ作ることが可能なのかということと、
そのような立場であっても、その人のポリシーとして、生むことも孕ませることも嫌だという意見をどの程度尊重するかということである。
社会的な問題は大きい。社会的に不可能なものは、政治家になんとかしてもらいたいところだが、他人任せでなんとかなるのかはわからない。
社会的に産めない・種付けできない人たちが、可能な人たちをサポートするのは、本来はおかしい話で、
その人達が社会的に産める・種付けできる人になるように、社会が努力するのが本筋であろう。
肉体的に産めないにはいろいろな可能性があるし問題も多いが若干本筋では無さそうなのでそのような方々には申し訳ないが今回は割愛。
一方、ポリシーとして嫌だという人については、社会の糧になる義務があるかどうかは議論する余地がある。
ただし、これは、男女両方に当てはまる。
これをどれだけ議論するかは難しいところだが、
現実的には、子供に対する福祉制度があることは、子供がいない人にとっては、自分の税金が血縁ではない子供に使われているという意味で
これ以上義務を果たす必要があるかどうかは、難しいと言って逃げるが、
高齢者に果たす義務よりは子供に果たす義務の方が多いほうが社会としては健全だよなあくらいは思う。
以上長文失礼。