2016-03-02

『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』関連。

苦しいこと、不快なこと、嫌なことを気にしたくないと思っても、

から離れにくい人はいる。そういう傾向は、様々な精神疾患と関連がある。

自己臭恐怖、醜形恐怖強迫性障害

自分非難する幻聴幻聴に基づく被害を受けているという考えなど。

もちろん、そういう人も、そうなりたくてなっているわけではない。

繊細チンピラってのは漠然とした言葉だが、

とりわけ自分自分好きな物事を非難されたときに、

非難した人を攻撃するような人々に限定したほうがよいと思う。

「繊細」でない人に「繊細」な人もいることを知ってくれとか、配慮してくれとか

お願いするくらいの人をふつうイメージではチンピラとは言いにくいと思う。

非難されたというか、非難されたと感じたり思ったりしたとき、だな。

具体的には、たとえば、自分非難する幻聴があっても、

その幻聴自分心理的傾向によるものだと考える人もいるし、

自分が頑張っても頭から離れないことから他人による異様な手段による影響だと思い、

その思いも頭から離れにくい人もいる。

そういう異様な考えを持っても、閉じこもって耐え忍ぶ人もいるし、

自分に悪影響を及ぼすと思う人を非難したり物理的に攻撃する人もいる。

同じゲームやってても、ちょっと気に入らないことがると、製作者を中傷したり、

クソゲー認定したりする人もしばらく頭から離れないなあ。

ゲーム場合プレイヤーに忍耐力がないとか下手とかで済むけど。

忍耐力っつうとなんか比較的持続する性格特性みたいだけど、

ひどい状況の影響によってそうなっててもいい。

もちろんある考えが頭から離れないこととその考えを発した人を尊敬していることとは

概念的には異なるが、因果的な関係があるかもしれない。

尊敬している人が言ったことだから重視しようと思うとか。

そうだとしても、結果的に気になっていることが

重視しようと思ったこととは限らないし、

気になっていることの原因を重視(人の場合尊敬)しているとも限らない。

この漫画の例からから離れない考えを発した人を尊敬していると思う人は、

他人からの影響がもっぱら尊敬している人からに限られるという、

特別に恵まれた人なのかもしれない。

言い換えれば、自分が重視しようと考えたことのみを実際に重視できる人、

意志が弱くない人だろう。

悪く言えば流されやすいが、よく言えば協調性がある。

こういう類の批判だか非難だかは結果の改善に貢献するんかなあ。

作画だとかは費用問題で、非難してもどうにもならないだろうが、

金を使えば改善する可能性は高くなると思う。

脚本演出時間かければよくなる可能性は高くなるだろうが、

やっぱ人気のあるうちに急いで作らにゃならんだろうからな。

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