https://twitter.com/YukoOhnaka/status/637020835522473984
前者の発端のツイートは、まず「ロリコン犯罪を助長しているのは確実に日本のアニメオタク文化」と言ってしまっているので、そこは数字で反証されうるし、「ロリコン犯罪が直接的にアニメオタク文化のせいだなんて思ってない」と返すのは無理がある。
ロリ系のコンテンツが少女を傷つける可能性については確かに考慮しなければならない。私を含む男性には理解し難いところではあるが、他人から一方的に性的に消費されるのはかなり気持ち悪いことのようだ。秋葉原の街頭を飾るどぎついイラストにも再考の余地があることには異論はない。
だけれども、被害者を生まないロリコンコンテンツの存在を否定してよいわけではない。被害者というのは、性交を強要された少女たちだけでなく、フィクションのロリ作品によって傷つく少女も含む。人の想像力に蓋をすることが出来ないし、してはならないが、誰に見せるかはきちんと考えなければならない。見たくない人には見せない配慮はいつだって求められるし、まわりまわってそれは自衛にもなる。しかしこれらを満たしているならば、どんな表現だって存在してよいと私は考える。
また、これは2つ目のリンクに関わることでこの記事の主眼でもあるが、ロリコンにだって生きる権利はある。当然、児童性犯罪者は罰せられるべきだ。しかしロリコン=幼児性犯罪者ではない。少女しか愛せないが、倫理に反しない範囲で性欲を満たしている人も大勢いるはずだ。自分が理解できない性的嗜好を持っているからといって、善良なる彼らまでを排斥する権利は誰にもない。99%の人が誰かの思想・嗜好を気持ち悪いと思っていても、それだけでは他者の存在を否定する理由にはならない。
もう1つ例をあげると、同性愛者はどうだろう。ヘテロの男性にとってしばしばゲイ男性は脅威・嫌悪の対象とされる(ホモフォビア)。しかし彼らが何をしたのか。もし彼らが嫌悪されるとしたら、それは例えば彼らがヘテロの男性に性的関係を強要してきたときだろう。そのとき彼らは完全な性犯罪者であり、間違ってもゲイだから気持ち悪いのではない。これは昨今の日本でも受け入れられつつある考えだろう。ロリコンも同じではないだろうか。