朝鮮学校は普通の日本の学校とは違って明らかに北朝鮮の意向による教育がなされていて、そのような教育機関が日本に存在していいとは思わない。すぐに潰すべきだと考えているというのを前提としてですね。(そうでない朝鮮学校もあるのかな?)
ただ、日本はさまざまな大和民族を初めとする多くの民族がいることは確かで、さまざまな文化を知る事が重要である事に異論はないだろう。
まずこの文章を読んで感じた事は、民族教育以前になんというか無理に朝鮮人になりたいという、文中で「コンプレックス」という言葉を使っているけれども、その意識を捨て去るべきだと思う。それは、我を持たないという事ではなく、むしろ自分を肯定する事だ。貴方自身が仰っている、母語が日本語であろうと朝鮮人だという思い自体は何も間違っていない。その思いが自分で保てるのであれば、なぜ民族教育と言うものが必要なのかが理解できない。民族教育がなければアイデンティティーが保てないというのであればそんなものアイデンティティーでも何でもないただの糞だ。
全ての朝鮮人の子供が、朝鮮語を勉強できる環境は何故いるのか。それが無いと朝鮮人ではないのか、そうではない。それは貴方自身が否定している。コンプレックスを持つからか、それならば解決方法は民族教育を整備する必要はない。そいつに自信を持ってもらえるように先生が頑張るのだ。それは民族教育ではなく、道徳みたいなものだ。
朝鮮学校っていう、(在日)朝鮮語を使う日常が、自分の悩みを多少軽減したと
作中で結論としてあらゆる民族に民族教育を施すべきだという結論になっていますが、民族教育ってそもそも何を指しているのでしょう。
私はこの文章における民族教育とは愛国心教育と同じ性質を持っているのではないかと考えました。民族教育とは文化などをともにする集団である民族に対して、愛着であったり忠誠を抱かせる教育でありますが、愛国心教育は民族を国民に、文化を国に変えただけのものである。
愛国心という物自体は否定するものではない。それでも民族教育とか愛国教育というのはなくすべきだ。上からの押し付けで愛国心だの民族意識を植え付けるべきではない。
私個人の意見としては全ての人間に母語による教育、それも民族教育、愛国心教育ではなく、基本教育を受けさせる事が理想と考えます。海外では母語による教育が受けられない所も多い。貴方の考える民族教育ではむしろ堕落をもたらすもjkのと考える。学校はアイデンティティーを育てる場所ではなく学ぶ場所である。他者に自分のアイデンティティーを作ってもらえる、あるいは認めてもらえるという考え方自体が駄目。
朝鮮学校は普通の日本の学校とは違って明らかに北朝鮮の意向による教育がなされていて、そのような教育機関が日本に存在していいとは思わない。すぐに潰すべきだと考えているとい...