女神のような女性の中にもクソ女要素はありますし、クソ女の中にも女神のような要素はあります。
女神とクソ女の間はグラデーションになっており、ほとんどの女性は中間に居るのですが、極端に捉えてしまいます。
結果、女神だと思っていた女性の中にクソ女要素を発見し、裏切られた!と悲しみ怒り喚くことになります。
過去、ある女子生徒にいじめられたとか、陰で笑われていたといった過去の体験を過度に一般化し、
「全ての女は俺を見下しているんだ。笑っているんだ」などと考えてしまいます。
地球上のほとんどの女性は"俺"のことを知らないはずなのですが。
「女性と交際したが浮気され、ショックで心がボロボロに」「妻に子供も慰謝料も取られ離婚、寂しさからアル中に」
など、女性と関わることによって不幸になったエピソードは多いです。
しかし女性と関わることによって幸せになったエピソードもあるのです。
心にフィルターがかかっていると、幸せなエピソードを見なかったことにしてしまいます。
「見なかったことにする」は無意識のうちに行われるので当人に自覚はありません。
女性に親切にされても「壺や絵を売りつける気か?」「ニコニコしながら内心は馬鹿にしているんだろ」と勘ぐります。
「ブスやババアに親切にされた。俺の価値が低いからブスやババアにしか相手にされないのだろう」など、
親切な人の価値下げを行う場合もあります。マイナスの可能性を考えたり、マイナスの要素を抜き出すことにばかり執着してしまうのです。
「これまで俺はモテなかったし不幸だった。だから一生モテないし不幸に違いない」など、弱い根拠で安易に結論を出してしまいます。
顔、収入、コミュ力など、特定の短所を大げさにとらえ、過小評価します。
例えば客観的に見て「ややブサイク程度。街中にわんさか居るレベルなので特筆すべきほどのブサイクではない」ような人でも、
自分のことを「世界の終わりのようなグロメン。顔のせいで全てが台無し。何を努力しても無駄」と思い込んでしまいます。
自分が社会に対してこれほどの不安を感じているのだから、現代は歴史の中で最も悲惨な時代だとか、
おおむね同意するけど、 クソ女の中にも女神のような要素はあります。 これは同意しかねる。欠点を持たない人はいないが美点を持たない人はいる。 欠点だらけの人だと欠点でも美...
ない。断言する。ほんとのクソ女を知らないだけ。