これの話で、専門は違うし説明も下手だけど、この表紙の意味を説明してみます。
まず大前提としてこれ。人工知能を探求することは人間の知性を探求することでもあるということ。具体的には以下のように。
これは、コンピュータが苦手とする古典的な課題を表しています。
適当な本が何冊かあるときに、それをジャンル分けして本棚に並べる。これは、人間がよくやるお仕事ですが(ただ、難易度は人間にとっても高いこともある。はてなのジャンル分けも…。余談)、コンピュータにとっては難問です。なぜなら、単語の意味ではなく文章全体の意味を理解して、それをジャンル分けしなければならない。図書目録にアクセスしてそれをダウンロードするだけなら人工知能の問題ではない。図書目録そのものを作成できるかというのが課題なのです。それは、人間が文章をどのように理解しているかという問題でもあります(行間を読んだり、ゲスパーしたり)。
これはややこしい価値判断を伴う仕事です。何がゴミで何が大切なものなのか。窓を開けるのはどのような意味があり、いつなら許されるのか。椅子はどこに置いておけばよく、壊さないためにはどのような動作が必要なのか。ルンバは単に床に落ちている特定の重さのものを集めるというように、仕事を人間が簡単にしてしまっているので、その解ではありません(効率的な移動経路を学習するということをすれば話は別ですが、残念ながらルンバはあまり複雑ではないアルゴリズムで動いてるようです)。
ロボットが2足歩行の制御を学習するというのは、難易度の高い課題です。それに道具を使うということは、価値判断をした上で動作を学習しなければならないので、さらに難しい。なにも掃除をさせるのに人型でなくてもよい、というのは、そもそも的外れな批判で、掃除ができるということは、人間が行っている価値判断を再現するという、かなり究極的な人工知能の課題なのです。
人工知能の疑問のひとつは、よくイメージされる"水槽に漬かった脳みたいなもの”を作ればそれはヒトと同じ知能を持つのか、ということです。単純にそれは可能で、人型がこのような知能を持ったのは、ただの偶然かもしれない。しかし、ヒトのような知能を持ったまったく人型ではない生物は見つかっていないし、ヒトに似たサルは知能が似ているところがある。なにか体に原因があるのではないか、というのは当然の疑問です。ただ、まったく違った体を作れば、ヒトと違う知能ができるかもしれません。それも興味深い課題ではありますが、人工知能を通じてヒトの知能を知るというのが、ヒトならではの大きな興味になっているところがあります。
これは別にかまわないけれど、女性型ならジェンダーの研究にもなって一石二鳥かもしれない。バービー人形で同様の問題を考えているヒトもいたような…
以上とは話が変わって
確かに、脳神経の研究でマウスさんの脳を取り出すのが日常としても、解剖写真を表紙に載せるのはまずいかも知れない。そういうレベルで不快な人がいるからやめろ、という話もある程度説得力があると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20131227205458