ATOKやMS-IMEでは所謂差別語や不快な印象を与えるような単語は意図的に標準辞書から排除されているから、気違い、聾、唖、片輪みたいなのは変換できない。Googleのは平気ですらすら変換してくれるけどな。
ATOK監修委員会によると「この種の言葉を収録するか否かをめぐって、さまざまな角度から長期にわたり、検討した結果、社会のあるべき人権意識に立脚し、現時点では、原則として収録しない方針を採用」しているんだそうだ。
ま、だからといってJustSystemやMicrosoftに文句を言うつもりもないし、企業として問われるモラルや人権ゴロみたいな連中の相手することを考えたら、妥当な判断かなとも思う。
とはいえ、言葉ってその時代時代でどんどん用法や意味が変わっていくものなのに、そんなに目くじらたてて言葉狩りしたところでいくらも世の中がよくなるとは思えない。ましてやその根拠が「社会のあるべき人権意識」てなぼんやりしたもんでは尚更だ。
かつて聾や盲やちんばや土人みたいな言葉を日常で使っていたとき、僕にとってそれは単純に状態を表す言葉でしかなく、そこに侮蔑や差別の感情はなかった気がする。旧い映画や白黒アニメ見てもそんな言葉があふれているからきっと皆そうだったんだろう。もちろんネガティブなニュアンスは含んでいたけれど、それは昨今の排除主義によって却って増幅されてしまったのではないか。
今の時代のIMEに求められるのは、言葉を隠すのではなく、ちゃんと変換した上で不適切な言葉であることを警告し、なぜ使うべきでないのかを説明してくれるような機能だろう。(たぶんもうある)
もちろん被差別側の感覚として耐え難い表現もあるだろうし、そういった言葉の濫用を助長するようなことがあってはならんが、かな漢字変換はかな漢字変換以上の役割を担う必要はないと思う。世の中に存在する言葉を淡々と変換しとればええんだよ。
NGワードを使うのは書き手のモラルであって、ハサミや包丁同様、それで人が傷ついたとしても責められるのは製造者ではなく道具を使った奴だろ。
てな主張を今更僕みたいな虫けらがせんでも、賢い人達がさんざん議論している話題でしょうから、鬼畜な僕は今日もGoogle日本語変換使って精一杯悪態を吐く所存です。白痴なので。
言葉狩りはかえって目に見えない絶対権力(空気=全体主義)を強化します。