マニュアル人間のように、マニュアル、ドキュメント化、文章化を悪とする風潮が日本にはあるように思う
これが良くないのではないだろうか
いや、Zガンダムでもいい
ガンダムのマニュアルがなかったらアムロはガンダムを大地に立たせることができなかったのではないだろうか
もちろん、武器をマニュアルから見つける時間はなく、偶然押したボタンで頭部のバルカンが出た
しかし、マニュアルがなかったら心細かったであろうし、諦めてしまっていたかもしれない
形だけであれ、まずマニュアル、ドキュメントが存在するというのは心強いのである
ドキュメントがない、issuesに知見が溜まっていない、Stackoverflowで話題にさえならない
そんなソフトウェアはどんなに優れていても使っていて行き詰まってしまったら投げ出しやすくなるだろう
ソースコードが公開されていても、ドキュメントがないのでトラブルのたびにコードを読む、これはとても苦痛だ
命名規則が無茶苦茶なソースコードがあったらプロでさえ投げ出したくなるだろう
コメントから自動生成だけでなく、チュートリアル、Getting Started、Installation、バカでも一通り学べる文章が必要だ
そうでなければそのソフトウェアは流行する可能性はまったくないだろう
インハウスツールであったとしても投げられてしまい、ちゃんとドキュメントや管理できる別の社員が作り変えるかもしれない
つまり、恋愛も同じであり、マニュアル、ドキュメントが寧ろ必要なのではないだろうか
そこには概要やインストールから始まるように、まず最初の一歩はどうすればいいのか、がちゃんと書かれている
そして、恋愛の一通りの機能を学べるようにチュートリアルが用意されている
Zガンダムのカミーユだって父親のコンピュータから操作方法のマニュアル、ドキュメントを盗んでいたと劇中で述べている
ブライト・ノアは才能だと言っているが、自分はそれは少し違うと思うのだ
カミーユに至っては母親も材料物性のスペシャリストである、つまり金属などの分野である
ドキュメントを書く、文章を書くというのは技術をまとめる、開発したものの操作方法をユーザーに伝える、大切なものである
それが将棋や囲碁であれ、あやとりであれ、必ずその分野のプロがいるのである
しかし、恋愛のプロが書いた本があったとしても、碌なものがない印象がある、なぜだろうか?
まず、恋愛のプロである筆者が自己を正しく分析できていないことがある
つまり、なんだかよく分からないがモテる、みたいな人は自分が自分でどう優れているのかさえ理解できていない、いわゆる天才肌とも言えるものである
一般的に、天才というのは他人に自分がなぜできているのか説明するのが非常に下手なことが多いように思われる
例えば水泳について考えるとして、水泳の天才は子供の頃からなんとなくできてしまうパターンが多いように思われる
しかし、天才的な水泳選手が他人に教える、子供に教える、となると非常に下手になってしまう
その理由は私なりに考えるに、天才は自分がなぜそれができるのか、できるようになったのか理解できていないのである、天才だからである
しかし、天才には敵わなかったが、努力の天才とでも言うか、努力で実力を積み上げた選手は他人に教えるのが上手いのである
なぜか?
それは彼らが、自分はなぜできないのか?天才はなぜできるのか?それをひたすら考え、天才のフォームを観察し、仮説や実験、検証を繰り返したからである
苦労をしてきたからこそ、できないプレイヤーの欠点、伸ばせる長所などが分かるのである
詐欺的なもの、単なる自己啓発的なもの、ポジティブシンキングになれば引き寄せの法則が、みたいなものは尚更無意味である
恋愛のマニュアルもまた、恋愛を上達させるために努力を積み上げてきた努力の天才、恋愛の天才に努力で太刀打ちしようともがいた人が書くべきである
以上、まず恋愛にもマニュアルが必要だということを述べ、そこにはステップアップ方式で学べるチュートリアルも必要であり、
それらを正しく書くためには恋愛の天才ではなく、恋愛の天才を目指した努力の天才が書くべきだということを述べた
まず、マニュアルがないのが悪い、マニュアル人間は悪くない、という発想の転換、逆に考えてみることが大切なのではないだろうか
そういうのはみんな自分の作ってるんだよ