2016-09-12

新米臨時講師学校について書く

私は今年の四月から臨時講師として教師になった。

臨時講師とは教員採用試験に受かっていない人達で、教員採用試験に受かった人達仕事はほぼ同じだ。

担任も持った。奇跡的に顧問ではなく副顧問になった。

この時点で私に与えられた仕事は生徒達からしたら正規教員と同じだ。

しかし、講師なので教員とは違い、学校内で教員組織としての仕事は軽い。

因みに私は夢や熱意を持って講師になったわけではない。

ただなんとなく就職したくなったので、教員免許を活かしてみただけ。

なので学校の仕組みも何も知らない。

今もよくわかっていないことばかり。

正直、この自分決断軽率で、許されるものではなかったと思う。

臨時講師になって驚いた。

講師研修を受けてから教師として生徒の前に立つのではない。

私の場合履歴書教育委員会に提出し、赴任校が決まったので挨拶に行き、数日後には新任式で挨拶をしていた。

臨時講師研修は、もう様々なミスをして疲弊しきった頃に行われた。

生徒や保護者にとって、臨時講師から教員採用試験に受かっていないからということは関係ない。

生徒が私の姿を見たその日から私はただの教師だった。

校舎の配置も、学校の仕組みも、授業の作り方もわからない、本当に右も左もわからない私への反応は幸いにも優しかった。

一年目だから。」

保護者や生徒はそう言ってくれた。

しかし、学校という組織は私を許さなかった。

先生としての自覚が足りない。」

そう私は責められた。

当然だと思う。

だが言い訳をするなら、研修を受けていない状態専門用語を使われてもわからなかった。

大学で教わってきた授業の作り方は現場ではあまり役に立たなかった。

ここでは私が今まで学んできたことは通用しなかった。

私にできることは生徒に対して真摯対応をすることだけだった。

何もわからない手探り状態のまま、生徒の話に耳を傾け、どうやったら生徒の成績が上がるか、どうやったら生徒が良い人間関係を築けるのかを考えて行動した。

他の先生達にも何度も何度も相談した。

結果、私は生徒から好かれた。

保護者の反応も悪くなかった。

しかし、多くの先生からは嫌われた。

職員室に行くといつも注意を受けた。

朝7時半に学校に行き、夜11時に学校を出る毎日

土日も部活で、私には休みはなかった。

気が狂いそうだった。

いつしか、土日の朝になると涙が止まらなくなるので、土日に部活に行く回数が減ってしまった。

そんな日は片付けることもできない汚い部屋の中で、ベッドに腰掛け学校からこっそり借りてきた正規教員向けのマニュアルを泣きながら読んで過ごした。

教員採用試験に受かったものだけに与えられる権利が十分な研修

からなかったものや受けなかったものには責任しかない。

私はこの講師という仕組みはおかしいと思う。

講師なんて雇うべきではないのだ。

自分の子供が十分な研修も受けていない人間無責任に委ねられる。

こんなことがあっていいのだろうか。

講師は私のような勉強不足のクズばかりというわけではない。

どちらかというと熱血で夢を持った人達が多いように思う。

しかし、私はこの講師達が好きではない。

講師は夢ばかり語り、方法論を無視することが多いからだ。

熱意もあり、教師になりたいと心から願う人達が、こんなにも教育について知らないものかとがっかりした。

四月から成り行きで勉強を始めた私より、教師になりたいと思う人達の方がすかすかなことに絶望した。

これは自分肯定しているのではない。

部活を休むクズとは違い、熱血できちんとしていればしている人達ほど時間がないことを表しているのだ。

講師でありながら、まるで闖入者のような存在の私から見て、学校という組織は異常だ。

研修も受けない、何も知らない人が教師の皮を被って生徒の前に立つ。

その皮を被った教員モドキを教員として内部から責め立てる。

そしてその教員モドキが大きなミスをしたとき世間はそれを許さない。

ミスなんて許されてはならない。

そんな環境に私達教員モドキは紛れ込んでいる。

講師は鬱になっても保障はされない。

私達は使い捨てだ。

から私達は教員サンドバッグになる。

教師になんてならなければよかった。

毎日毎日そう思うが、明日も生徒は登校する。

明日もまた私は教壇に立つ。

生徒のことを考えるからこそ、生徒への申し訳なさで押し潰されそうになる。

何も知らない私を先生と慕う生徒達。

申し訳ない。

本当に申し訳ない。

  • 何か一見読みづらそうで読みやすい文章だな。 先生と生徒で評価が分かれる理由は読んでもよく分からなかったが。

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