事実関係や科学的根拠を度外視していい人のおすすめを購入したりする。それがゴミでも。
コミュニケーションツールとなりえる機能を重視して道具を好む。意味もなく過度な装飾を施した物を積極的に選択する。
コミュニケーションとは情報発信の積極性だけではない。独自性をもつことで自己のアイコンを確立させることでレスポンスを高めるのもその一つだ。
それを踏まえて不細工の話。
社会機能として救済措置による権利と機会の平等性を図るものがある。福祉などがそれ。
足がないのに就職して家庭が持て保険にも入り娯楽を楽しめる人がいるのはその機能のため。
五体満足なのに路上で寝泊まりし風呂は月に一回食事はカップラーメンな人もいる。
いわゆる健常と比較して健常に足らぬとされている人が平等である一例。
一人ひとりが税金を納め、それを調節管理しそれぞれの権利を保護することで機会の再分配の結果平等となる。
もちろんその逆で機会を奪ったり権利を侵害すると社会的に除外対象となる。
不細工の話にもどすと、美人の獲得したいものを権利を侵害したり機会をうばったりしないかぎり不細工でも美人とおなじように生きていくことはできる。
美人が獲得したい異性を不細工が横領したり強奪したりしようとした場合「この不細工の分際で!」と実際に不細工かどうかは別として排除しようとされる。
売れ行きのよい外見的または社会的に評価の高い異性は早く売れてまた競り落とされる価格も高い。
それが小さい人間にもいずれは異性を獲得できるという権利は平等にあり、機会は平等にある。
もしかこれが一夫多妻制または一妻多夫制ならば機会を奪われるということになるだろう。
貧乏でも苦労せず楽しみがある生活を選択できるように、毎日化粧前には人目から逃げて隠れて完全フルメイクでドレス姿でなくてはならない日常を過ごす必要のない生活も選択できる。
またいくら美人であっても人の権利と機会を侵害してくるような人間は「不細工」と罵られ、社会的な関係とはコミュニケーションそのものなので女の間での「かわいい」は必ずしも外見の評価のみではない可能性もある。
以上のことから、女の「かわいい」は社会的実質的価値の見いだせるものが多いと思われるが、女の言う不細工は社会的な機能構造を無視、というかその社会性の価値を推し量らないものという「利己的な女の思考方法」があるのだろう。
「かわいい」は牽制と恩恵の充足を認めさせるための発言となって、「不細工」が不足と喪失を示す利用方法という、社会機能性と逆の表現方法になっている。
女の無意味なかわいい装飾などが一体社会の何に貢献しているのかといわれそうだが、同じ商品でもかわいい装飾をつけるだけで競争力がつけられる市場というのは社会的に高機能だ。
また物質消費の多いのもかわいい、きれいのための商品が圧倒的に力を持つ。それがわからないという人にはそういう話は基本的にむいてないし説明の余地もない。
つまりは、男目線からみて不細工だわかなしいと言ってひがんでいる人間をみると、不細工でも生きていられるこの世界がどれほど寛容か思い知れよこのブス、と思うわけなのである。
そのブスというのは、いかに自分がブスであるかという自己評価から権利を捨て機会を放棄していることを垂れ流す姿はもうすでに有害であり、その害を駆除するために社会がどれほど寛容にあるかを知れと言いたくなるのだ。
ブスが攻撃されていると思っているのはそういうことだろうし、ブスといわれるのはそういうことだろう。
ちなみに、ここでの女と男は身体的な構造での性別ではなく主に性格的、対象となる一対の相反する状態に性別という表現を使用したもので身体的または精神的に男性または女性である方を総じてその総数を断定するものではありません。