音楽で留学したのをきっかけに海外に移住した。身バレしたくないので詳細は省略させていただくが、何とか生計を立てながら音楽活動を続けて何年かになる。いつまで経っても完璧ということはないが、それなりに満足のいく演奏もできるようになり、人前で演奏してお金をいただけるようになってきた。
東日本大震災の後、用事で日本に帰っている時にたまたま東北でボランティア演奏する機会があった。
自分が演奏するジャンルは、必ずしも万人受けするものではないが、日本の伝統的な曲を選んで、心をこめて演奏させていだたいた。しかし演奏する時は緊張したし、少し怖かった。
「海外から来たと言って演奏すれば被災者が喜ぶと思ってるのか?」
「そこに残るわけでもない旅芸人ごときに前向きに頑張れと言って演奏されてもねえ」
「震災にかこつけて演奏するのは『役に立った気になりたい』という自己満足なのでは?」
そんなふうに思われるのではないかと思った。それに他にも有名なミュージシャン達が多くのボランティア演奏を行っている。被災地以外で支援金を募るためだったり、東北の現地で被災者に対して演奏をするためだったり、東北の未来を担う若者達と一緒に合同演奏をしたり。そんな人達がすでにいるのに、今更自分のような無名のミュージシャンが東北に出向いて演奏しますと行っても喜んでもらえるものなのか?
しかし実際に演奏してみたところ、意外にも大変温かく受け入れてもらえた。中には演奏を聞いて涙を流していた方もいた。ボランティアの人たちとも話をして、「あまり難しく考えなくていいのではないですか」と言われた。海外からわざわざ来て東北で演奏してくれる人がいるならうれしいものですよ、と。そして被災地で暮らす人たちやボランティアの人たちの色々な苦労を耐え忍びながら長い復興に向けて一日一日を生きていく強さに触れて感動し、私自身が元気をいただいてしまった。
ネットニュースやSNSで流れてくる記事を見ていると、心の疲れが出てきている人たちが増えてきていると言う。終わりの見えない仮設住宅での暮らし、被災者に対する差別や風評被害、行政や東電に対する不満、補助金や補償金での不公平な扱い、等々。特に被災者同士が妬みあったりするのは痛ましいことだ。多くの人は不平を口に出すこともなく、黙って耐えているのだろうが、それも限界に近づいてきているのだろう。
何か自分にできることはないのか、とずっと思ってきた。
たかがミュージシャンだ。できることは限られている。CDを作って販売したお金を寄付する。チャリティーコンサートを開催する。他のミュージシャン友達がやっているように、そういうこともできるだろう。実際自分もそういう活動も少ししている。しかし、実際にまた東北に行って演奏したいという気持ちが私は一番強い。東北に行って演奏することで、何か力になれないだろうか?
もちろん、旅費が一番の問題だ。旅費を稼ぐためにチャリティーコンサートをやったり、CDを売ったりしなければならないのはもちろん、旅費の半分以上は音楽以外の仕事で稼がなければならないだろう。しかしそれだけのお金をかけて、自分のような無名のミュージシャンがわざわざ日本に行って演奏することに意味があるのか。そのお金をそのまま寄付したほうが良いのではないか。
日本に住む親しい音楽仲間にチャットで相談すると、彼女の正直な反応が返ってきた。
「うちらはただのミュージシャンだからできることは限られてるし、何かを解決できないことも多いんじゃないかな。残念だけど。音楽なんて非常時には役に立たないんだし。本っ当に辛い思いしている人に、音楽で元気出して、癒されてって言える?まあでも⚪︎⚪︎(自分の名前)が自腹切って日本に来ようとしてるなら、やればいいんじゃないの?誰に迷惑かけるわけでもないんだし、たぶん聞いてくれる人もいるよ。あ、でもこう言うと、それって自分のためにやってるって感じだけど。。」
確かにそうなのかもしれない。何十万円もかけて日本に演奏しに行って人に聞いてもらうことに、その何十万円を直接寄付すること以上の意味、価値があるのか(自己満足以外に)?
でも心の隅では、必ずしもお金だけじゃないはずだ、と思っている。それに何十万円と言っても、被災地全体が必要なお金に比べればごく僅かなもの。その少しのお金(自分にとっては大金だが)を、東北で出会う人たちと少しの時間を一緒に音楽を楽しんで過ごすために使うことにも意味があるのではないか。
シコシコシコシシコシコドッピュッピュ
何がしたいのかわからん。 一刻も早く復興して欲しいってんなら、ポンと何十万か寄付して好きに使ってもらった方が効果的だろうし、 俺の音楽を聞けぇ!って話なら行って演奏すりゃ...