さっき、隣の席でスーツを着た学生がOB訪問というやつをやっていた。先輩後輩でお互いに気心知れた関係なんだろうが、「いつもはレポートをコピペで片付けていたので、卒論ぐらいはちゃんと自分で書きたい」とか「あっ、こないだ面接ブッチした企業から電話来ちゃった」とか言い出す後輩。先輩は先輩で「あるある~、そうだよね~」ってノリで返していて、それってどうなのよと思った次第。
しかし、これがきっと世の中の平均的な学生――それも優秀な――なんだろうと思う。身なりはきちんとしていて、前向きな性格で清潔な印象。名前が出てくる選考中の企業も、新日鉄だの住友だの、日本を支える一流企業ばかりだ。面接官のウケも良いらしく、おそらく内定は時間の問題だろう。自分が就活をしていた時分でも、要領の良いこうした連中が幅を利かせていた印象がある。人間、適応できた奴が強いのだ。数ヶ月前まで汚らしい格好で女にちょっかいを出していた男が、似合わない短く黒い髪でスーツを着込んでいた。これはほんの一部の話なのかもしれないが、そんな人間たちが日本の中枢で重要な役割を果たしているような気がしてしまうのは、ただの妄想だろうか。
いっぽう自分はといえば、最後まで就活に意義を見い出せなかった。将来のことで親と意見が分かれて実家に居づらくなり、好きなことはひとつもできなかった。結局なんとか一般企業に内定は取れたものの、1年足らずで辞め、アルバイトだったが好きな職種に転職して、先日やっと契約社員に格上げされた。一流メーカーとか、インフラとか、そういう堅気の仕事ではないが、自分の仕事には誇りを持っているつもりだ。家族との溝はあれから埋まらず、お金が貯まった時点でほとんど家出のような形で実家を出てしまった。今も滅多に帰らない。
この違いはなんなのだろう。
人それぞれなんだから別にいいじゃないかと思うかもしれないが、それは結果論に過ぎない。運良く希望の進路に修正できたから今の自分がいるわけであって、もし転職に失敗していたらこうして物思いに耽る暇もなくくすぶっていたことだろうし、似たような状況にある人は現実にそこそこいると思う。ちなみに自慢じゃないが、自分は学生時代、面接の予定が被ってしまった場合はちゃんと自前に連絡したし、コピペでレポートを提出したことは一度もない。
就活とはいったいなんだったんだろうか。今考えてみても自分ではよくわからないし、わかるのは自分の人生に於いて就活は完全なる遠回りであったというだけだ。ただ、学生が就活以外の方法で社会に出る方法がもっとあってもいいんじゃないだろうか。そういう選択が、社会的にもっと尊重されてもいいのではないか。具体的にはフリーターとかしか思いつかないが、某パソナのようなよくわからない人材派遣会社の手伝いをさせられながら就活を続けるよりかはずっとマシだろう。そうなることで、社会の仕組みに疑問を持ちながらも選択を強いられる学生が、いくぶんかは救われてくれたら、と思う。
リクナビなどの就活サイトは一括エントリーができたりして年々便利で無駄がなくなっているが、世の中の無駄はどんどんふくらみ続けているような気がする。