中間搾取は諸悪の根源扱いだから精神的苦痛が大きそう。
どっちでもいい。
返さなかったとして「挨拶も返さねー」とかいって怒る奴もそうそういない。
返す場合も「おはよう」じゃなくて「ありがとう」とかでもいいし「おはあり」(おはようをありがとう)で返す文化もあったりする。
先日、うちでいつも食べてるお米を持って、高級炊飯器のあるお宅へおじゃまして
実際炊いてみたですよ。
そしたらえらいうまいの。
比較対照のうちの炊飯器が、かなりの年代物ということもあるのかもしれないが、
やっぱりちがうです。
まあ、うちで土鍋で炊いたときとはあんまり変わんない気がしたので、
つまりはそういうことなのかもしれないなぁ。
でも、そこのうちの子が「なんでこんなに米がうまいの!」って言ってたから、
いちおう銘柄米食べてるらしいんだけど、うちのは田舎からもらった「はえぬき」だからねー♪
ぶっちゃけファイアフォックスが動くなら
デスクトップも音楽再生ソフトも動画再生ソフトもファイルエクスプローラーもメーラーも画像処理ソフトもオフィスソフトもいらないんだから、
ライトユーザーには十分なんだよな。
洋食というジャンルは対象国が多すぎる。つうか白人はどこの国行っても似たような食事しか食わない。
あと海外の家庭料理をどれだけ知ってるかといわれると、たぶん大して知らないんじゃないだろうか。パスタくらいなもんだよな、海外の家庭料理で日本でも日常的に食べられる料理って。
他国の人に年に一回でも食べてもらえるならそれは十分世界に認められているといえる。
ただで音楽ききてえ、ただでゲームやりてえ、虐待ロリコンアニメ見てえ
こういうものでしか政治運動も盛り上がらん。
悪いとまでは言わないが誇れる事でもない。
サブカルとか若者文化を自認してるけど、総理まで漫画にこびて、官僚の税金ピンはねのお題目にまで使われるわけだからもはやメインカルチャーだし、10年20年前の作品でもりあがるんだからおそらく若者より中年が中心だろ。
いつまでも自分が若者だと思い込んでいたい、社会を支える中心的存在であるとは認めたくないっていう責任感からの逃避願望の表れだろうな。
じゃあ、別れりゃいいじゃないですか。
「お前じゃなきゃダメなんだ」って言われるほうが面倒だと思うけど。
別に不倫に限らず。
「自分の代わりなんていくらでもいる」って思いながら日々生活したほうが
精神衛生上いいような気がする。
「お前じゃなきゃダメなんだ」と言われることに幸せを見出せる人って
病んでる気がする、すごく。
王楽泉・書記はこれまでの更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価された。
中国共産党のやり方は世界の常識の百八十度反対側にある。血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である。
さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名。犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。
「世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。
ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。
さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。正式名称は「新彊生産建設兵団」という。
▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除
既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には五十万人といわれた。
簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。
『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。
現有は十四個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。100万人と推定される構成員の89%が漢族だという。
同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、おりからの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。
もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。しかし十六年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090709224352
元増田です。
この変わったオナニーに自分が感心した理由を考えてみることで、オナニーの本質が見えた気がしました。一言で表せば、
オナニーはひとりぼっちの共同作業と見つけたり!
オナニーは1人でやるからオナニーであり、2人でやったらペッティングかセックスです。でも、完全にひとりぼっちなオナニー、つまり、妄想にしろエロ本にしろAVにしろ、自分以外の他者の存在を完全に排除したオナニーというのは非常に難しいというか、つまらないものです。
むしろ、ひとりぼっちなはずの行為を、いかに共同作業風に仕立てあげるか、という部分にオナニーの真髄があると気付いたのです。
その進化の王道は物量作戦です。外部から調達する情報量を増やすことで、架空パートナーのイメージを強化していく、春画→エロ本→AVという歴史です。
しかし、世界に名だたる変態民族としては、オナニーにもわび・さびの美意識を持ち込みたくなるのです。
例えば、かの有名な「利き手じゃない方でやってみる」という手法を初めて聞いたとき、単なる物量作戦とは一線を画した美しさを感じた方も多いのではないでしょうか。
それと同じ美しさを、私はケータイメールオナニーに感じたわけです。
ひとりぼっちの空間で、他者をどこに見出すか?
そこで「左手」と答えた先達も見事なら、「あの子に届きかねないメール」と答えたケータイ世代も見事で、そこにわび・さびまで感じる私は決しておかしくないですよね?
卒業しないのではなく単に出来ないのだ、というツッコミは置いといて。
現状すでに童貞をこじらせているわけで、ここでうっかり卒業してしまった日には非童貞をこじらせるに決まっているからである。
童貞仲間の友人たちに見当違いな自慢と説教を始める自分の姿など想像するだに殺したくなる。
これが風俗なんかであれば事態は最悪。素人童貞なる中途半端な立場にアイデンティティの不安を覚えてぐちゃぐちゃになるであろう。
何人か荒らしが紛れ込んでいた気配が濃厚だな。
どこに入れようが自由なんだから口先だけあわせて自分の好きな所に入れれば?嘘も方便だよ。
「飲み会なんて行きたくない」くらいが通らないのはわかってた。
でも、「今度の選挙では○○党に投票すること」って声が組合から…。
組合費だけ取って役にも立たない組合が何を偉そうに!と思うだけの自由は許してくれるけど、
個人ってほんとに何の力もないもんなのなー。
>ゲイネタが蔓延し、フェミニズムが台頭し、オタク達は三次元の女は気持ち悪いと言って、めがねっことか絶対領域とか、過度に記号化されたフェチズムを局所的に消費する。
これはゼロ年代よりもっと前からだったはず。
>生きることは自己責任であり、生活ができなくなっても、誰にもその痛みは共有されずに死んでいく
90年代も老人の孤独死とかはよく話題になった。自殺も急増氏らのは90年代後半。
>地下鉄サリン事件と秋葉原の事件を比べればよくわかる 結局秋葉原は若者が若者を殺しただけだった
そういう通り魔は90年代もいた。にもかかわらず秋葉原の事件ばかりクローズアップしてしまうのはネットのおかげでサイバーカスケードになってるから自分が重大視してる事件はみんなも共有してると思い込んでるという事だろう。90年代と同様に絶望すら多くの人が共有できる(と思い込んでる)時代。90年代もテレビの情報を真実と思い込んでるだけで実際は共有されていなかったのかもしれない。