はてなキーワード: 教育とは
そうかじゃあ自分に言ってるんだなこの人
男兄弟がいて母親やって心から思うんだけど、男児を教育できる強い女って本当少ない
弱い女性がクソ男を育ててなんで私が教育してやらなきゃならないのよって思うよ
私はやり返す方だけど本当思うよ
けどさ、文句言ってないでとりあえず目につく男児だけでも弱母に代わって躾けてやらないと
ちょっとでも社会良くして女が弱いままでも安心して暮らせるようにさ
子供って社会全体で育てるものじゃん 私はそう思って他人の子も注意するんだけど、それで返ってくるのがお礼じゃなくて「私の教育が悪いって言うの!?」って母親の視線なんだよな
そうだよお前の教育が悪いんだよ
大人になって性犯罪犯してるのはもう女には止められないし手遅れだからね
クソ男は子孫を残させないという方向で死滅させるには
やっぱり女を強くするしかないのよ
少子化が進んでるってことは、地球のリソースが少しでも節約できるってことだろうが。
これ以上、人口が増え続けてどうする?もう限界超えてるんだよ。地球温暖化だ、食糧危機だ、水不足だって、全部人口増加が原因じゃないか。少子化でちょっとでも解消されるなら、歓迎すべきじゃないか?
「でも経済が停滞する」とか言うやついるけど、それも怪しいもんだ。少子化対策に税金を使いまくって、結局その税金はどこからくるのか考えてみろよ。結局、現役世代の負担が増えるだけじゃないか。少子化対策が成功して、子どもが増えたところで、その子どもたちが成人するまでの負担は誰が背負うんだ?全部現役世代だ。そんなの不公平じゃないか?
「少子化が進むと自国の文化が失われる」とか感傷的なこと言うけど、本当に大事な文化なら、少子化くらいで消えやしない。文化ってのは、たった一世代の変動でなくなるようなものじゃないんだよ。強制的に人口を増やして、無理やり維持しようとする方がよっぽど不自然だろ?
「老人の数が増えると社会保障がパンクする」とか言うけど、それもまた違う話だ。少子化を理由に制度改革を怠けるのは、ただの責任転嫁だろう。新しいアイデアを考えないで、人口増加だけに頼ろうとするのは怠慢以外の何物でもない。
それに、今の世の中で子どもを育てるなんて、本当に子どもたちにとって幸せなのか?未来に希望が持てない中で、無理やり子どもを作る方が残酷じゃないか?教育費は高騰するし、労働環境は悪化する一方だ。そんな環境で子どもを育てるのは、親にとっても子どもにとっても不幸だろう?
だから、少子化対策を強化する必要なんてないんだよ。今のまま自然に任せて、人間の数が少し減るのも悪くない。少子化を受け入れて、むしろその中でどう生きていくかを考える方が賢明だろ。
少子化対策の話をするなら、まずは世界で成功している少子化対策について見る必要がある。
日本の対策が不十分なら、他の成功例を参考にするしかないからだ。
じゃあ、どこがうまくいってるかって言うと、北欧諸国がその代表例だ。彼らの成功には、いくつかの理由がある。
まず第一に、育児休暇とその充実度だ。スウェーデンやノルウェーでは、父親も育児休暇を取るのが当たり前。父親の育児参加が進んでいるから、子供を産むことへのハードルが下がっているわけだ。「日本の企業文化じゃ無理だ」と言うやつもいるだろう。でも、それができないのは企業が古臭い考え方にしがみついているからだろ?少なくとも、国が本気で取り組めば変えられないはずはない。
次に、保育施設の充実。デンマークなんかは、保育施設がたくさんあって、しかも質が高い。待機児童なんて言葉すら存在しない。日本でも待機児童問題は深刻だけど、「金がない」とか「土地がない」とか言い訳ばかり。実際には、予算の使い方が下手なだけだ。無駄な公共事業に金をかけるくらいなら、保育施設の拡充に投資すべきだろう。
そして、教育費の無償化。フィンランドでは、大学までの教育が基本的に無料だ。子供を産むと教育費がかかるから、産みたくないっていう親が多いけど、そういう負担を軽減する仕組みがあれば、もっと子供を産む人が増えるはずだ。それに対して、「財源がない」とか言うやつもいるだろうけど、本当に必要なことに使うなら、増税だって納得する人は多いはずだ。政治家のお友達予算に使われるよりはね。
さらに、女性の働きやすさ。北欧では、女性の社会進出が進んでいて、出産後もキャリアを続けやすい環境が整っている。日本じゃ、未だに女性が家庭に入るのが当たり前って考えが残ってるけど、そんな古い価値観を変えなきゃ、少子化対策なんて進まない。女性が働きやすい環境を作るために、制度改革や意識改革が必要だ。
「日本の文化や歴史があるから、そんなに簡単に変えられない」とかという話もあるだろう。でも、文化や歴史があるからこそ、変えなきゃいけない部分もあるんじゃないのか?過去に固執して未来を犠牲にするのは愚かだ。
問題は、政治家や企業が本気で取り組む気があるかどうかだ。本気でやれば、結果はついてくるはずだ。
でも、現状を変えたくない人たちが多すぎて、進まないってのが現実だろう。少子化問題を解決するためには、抜本的な改革が必要だ。だけど、それを実行する覚悟があるかどうかが問われているんだ。
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
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『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
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黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
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そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
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『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
***
東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
***
実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
***
「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
***
という論旨なのであるが
***
いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
ディスタンクシオンは文化資本元増田の源流にあるブルデューの著作。ディスタンクシオンを直訳すると「区別」になるらしいが、フランス語の語義では「他から区別された」→「特に優れた」→「卓越した」と派生し「卓越化」を訳語としている。訳者は石井洋二郎先生。東京大学の名誉教授。凄い。
文化資本が家庭環境と学校教育の両方によって形成されるものであること
これを念頭に置いた上で、初めて文化資本を捉えることができる。
元増田が話す通り、これが本質。文化資本に恵まれれば「強くてニューゲーム」になる。ここで学校教育機関が登場する。学校は相対文化資本を学歴資本に転換していくもの。そして教育は家庭環境による文化資本の差を拡大する可能性を秘めている。これは上にも下にも働く作用すr。学校は教育機関である故に「身分振り分け効果」を見えざる機能としている。
学歴資本を手に入れた人間は、最終的に〇〇大卒という肩書きを手に入れ、社会的承認を得ることになる。社会的承認は文化資本を所有している証明でもある。これを持たない人間は、なんらかのパフォーマンスによって、自分が所有する文化資本の価値を証明する必要がある。これは貴族に比喩される。貴族は「貴族であるから貴族」。日本ならば、天皇は「天皇であるから天皇」である。文化資本のパフォーマンスが要求されることなく、それが本質であること。これを「本質主義」とブルデューは呼んだ。
「東京が文化資本に富んでいる」これを疑問視する意見、あるいは否定的な意見が目立った。先に本質主義の話をした。客体的に東京=優れていると考える人が多いことは、本質的に東京の文化資本を証明している。
これらを捉えれば「東京」とは客体化された形態の文化資本を持っており、文化資本に富んでいることが東京の本質である。
ディスタンクシオンの第1章では美的思考について長く語られている。「趣味や美的思考は人々を区別するものでもある。これが文化的階級に繋がってくるし、諸階級間を隔てる最も超えにくい障害のひとつ」と物凄く端的にまとめた。で、問題なのは。美術館に行くことが身体化された形態の文化資本につながること。これを考えてしまうと、あながち使い方として正しいのかもしれない。もちろん社会資本としていってんだろと感じなくもないが。
仏フィガロ紙
数週間前の医療制度に続き、今度は教育制度が英国のジェンダー問題に一石を投じようとしている。
木曜日に政府の公式サイトで発表された声明で、教育省は、性自認の概念を中等学校で教えないようにし、性教育のコースを9歳以下の生徒には与えないようにすることを望んでいる。これらの措置は、「デリケートなテーマに関する不適切な教育から子どもたちを守りたい」という政府の説明に基づいている。
性自認の問題に関して、政府の立場は、近年英国がこのテーマに関して取ってきた道とはまったく対照的である。「キャス・レビューに照らして」と政府文書は説明し、「学校はこのデリケートなテーマを教えるのに慎重なアプローチを採用することが重要であり、ジェンダーはスペクトラムであるという見解を含め、論争になっている見解を事実として提示しないことが重要である」と述べている。
この方向性を継続し、同省は最終的に、ジェンダー論はもはや小学校で教えるべきではなく、中等教育では生物学的な観点からアプローチすると発表した。「中等教育では、生徒たちは性的指向や性別適合などの特性について学ぶが、学校は性自認の概念を教えてはならない」。
トランス終了やね
この発想はなかった
だけど、就職と同じだと考えればそうか。見向きもされなかった連中がちゃんと教育を受けて戦力化しようぜってなってるけど、それと同じか。
ホントそう
ただ成婚じゃなくて出産にした方がいい
出産したら年ごとに抽選で100名に2000万円(なんか教育費用がそれくらいとか聞くので)プレゼント
とすれば出生率1.8にはなるね
全財産賭けてもいい
あと、政策の議論をしてるのに、個人の行動が悪いとか言われてもな。
そこは前提条件にして、どうしたらよいかを考えていかないと一個も前に進まない。
それをどう変えていくかと言う議論はぎりぎりいいけど、それは教育してやるとかじゃなくて、賃金と遊休を与えられるよう労働環境を改善するとか政策として実行可能性がある方で話をしたいところ。
あんた、ほんっとに考えが浅〜いわね♡ そんなことしたら社会がどうなるか、少しでも考えたことあるの?♡
まず、多重婚を認めたところで、金持ちが本当に「いっぱい結婚」するかどうかなんて保証はないわよ♡
それどころか、婚姻関係が複雑になることで、家族間のトラブルも増えるんじゃないかしら♡
それに、同等の配慮を行う義務なんて言葉で簡単に言うけど、それがどれだけ現実的に難しいか想像できる?♡
大勢の子供を豊富な資金で育てるって言うけど、愛情や教育の質も資金だけじゃ解決できない問題がた〜くさんあるし♡
金持ちが死んで遺産が分割されても、結局その資産がどこに流れるかなんて保証ないでしょ♡
少数の大金持ちが大勢の小金持ちを生み出すなんて、都合の良い空想だと思うわ♡
じゃないと、ただの混乱を招くだけじゃない?♡
あんた、ほんっとに考えが浅〜いわね♡ そんなことしたら社会がどうなるか、少しでも考えたことあるの?♡
まず、多重婚を認めたところで、金持ちが本当に「いっぱい結婚」するかどうかなんて保証はないわよ♡
それどころか、婚姻関係が複雑になることで、家族間のトラブルも増えるんじゃないかしら♡
それに、同等の配慮を行う義務なんて言葉で簡単に言うけど、それがどれだけ現実的に難しいか想像できる?♡
大勢の子供を豊富な資金で育てるって言うけど、愛情や教育の質も資金だけじゃ解決できない問題がた〜くさんあるし♡
金持ちが死んで遺産が分割されても、結局その資産がどこに流れるかなんて保証ないでしょ♡
少数の大金持ちが大勢の小金持ちを生み出すなんて、都合の良い空想だと思うわ♡
じゃないと、ただの混乱を招くだけじゃない?♡
高校は文芸部で、大学は理系だけど研究室が論文の誤字脱字に厳しいところだったので、まともな教育を受けた人間は校正に厳しいのが当たり前だと思ってる。
旧ツイッターなどは書いたら訂正できないシステムなので、ギリギリまで一文字一文字を見直すけど、それでもミスったら仕方ないと諦めていた。
だけど、増田みたいに何度でも訂正できるところで、「てにをは」レベルの、少し読みなおせば違和感を持つようなところをいくつも間違えたまま放置している奴は、それだけでバカに見えるし、いい加減でやる気がないのが伝わってくるからそもそも読もうとも思わない。
たまに仕事でもそのレベルの文書を恥ずかしげもなく出してくる奴がいると、ヤバいのに当たったなという気持ちで混乱する。
日本の(特に理系の)教育はまったく文章を書かせないので、官公庁クラスの書類でもこんなのありかと思うような酷いものが存在する。
自分はたまたま論文力を鍛えてくれる研究室で「どこまで細かくなるべきか」を身体で覚えさせて貰ったけど、日本の技術者は計算や図面が完璧でも、ドキュメントの日本語になると「てにをは」はおろか酷い誤変換やタイポを放置しまくるような人もいて、こんなことやってると信用を失くすぞと心配になってくる。
文章の粗さは知識の抜けや態度の不安定さと同じくらい他人の信用を損なう問題だということを、少なくとも自分がちゃんとした教育を受けたと証明したいならもうちょっと意識した方が良いよという話。
(※ちなみにこの文章だと、読みなおして「馬鹿」と「バカ」の表記の揺らぎが気になるくらいの躾け方をされた。今回はあえて気づいた上で放置しておくけど。)
なんで他人のお子様の教育のために教材として「自分の体」を差し出さなきゃいかんのよ
そんな教育がなってないお子様に自分の体で教育してあげるのが被害者の務め?
性被害にあわない性別の人って手を変え品を変えいろんな言葉を尽くすけど
関東で働いてる人で3人目を産んでる家庭
2人の時より2ランクくらい落ちてる感じがある
「え、そんなに落ちる?」ってくらい大変そう
面倒なことに、そういう家庭は教育にはある程度金をかけるか、そうじゃなくとも地頭はいいから
いい学校に入る事が多いんだけど
関東のそこそこ優秀な学校ってこがねもち多いから、周りとのギャップで微妙に不幸な思いしてるっぽい
まあ地方民とか、本当にやばい家庭からしたら贅沢な悩みに見えるんだけど
こうなるの知ってたら3人目産まなかっただろうなって思っちゃう
「女が進学したから少子化が進んだ。女性の進学を禁止すれば少子化は改善する」という意見がミソジニストや保守からでるが
「女性の高学歴化は少子化には一切寄与してないどころかむしろ少子化の改善に寄与している」と証明されているんだわ
「中等教育が一般的になれば少子化になる」ってデータは別に提示されている
「男性が高学歴化、すなわち、中等教育(中学校以上の教育)を受けるようになったから少子化が進んだ」ってことなんだよね
実際戦後日本でも男性に中卒や高卒以上の学歴が増えるにつれて少子化が進んでいることはデータでも示されている
つまり女性は大卒や大学院卒以上の高学歴にして、社会の指導的な地位につけて、男性は進学を禁止して小学校を卒業したら土木作業員や農業、派遣等単純な肉体労働に従事させた方が少子化は改善するんだよね
少子化対策として
この逆(女性の進学を規制して家庭に入れて少子化を改善する)が主張されている
いったいなぜなんだ?
男児に胸を触られたが何も言えなかったという投稿を見て、日本のやり返すことを良しとしない教育が良くないんじゃないかとふと思った。
自分はやり返すというか、やられた時に何故不快に感じるのかを自己分析した上で、その不快に感じる理由を解消する方法を取っている。
一例を挙げるとマンションの騒音問題があり、隣の部屋が宅飲みすると笑い声やボソボソした話し声が聞こえてきて不快だった。しかしこれは「夜は静かにしなければならない」というルール観が自分の中にあり、それを隣室が守っていないことが不快なのだと気付いた。それからは隣室が騒がしい時はスマートスピーカーでブラウンノイズを再生したり、好きなラジオ番組を少し大きめの音量で再生したりして、自分もそれなりに快適に過ごすことで解消している。
こういうことをすると、今度は自分が誰かに迷惑をかける側になっていると批判されそうなものだが、その場合はその迷惑をかけられた側もまた好きな音を再生して過ごせばいいと考えている。迷惑をかけてはならない、自分は(自分のルール上の)悪者になってはいけないという考えは単なるマイルールの押しつけでしかないと考えているからだ。
なので昨今の男児からの被害については「その場で注意する」一択である。もちろん咄嗟のことで注意できなかったと歯痒いこともあると思うが、次からは注意できるようにしようとするのが前向きだと思う。相手が大人の男なら反撃は難しいが、子供ならこちらの反撃は通用するわけで、厳しいことを言えるようになるべきだと思う。
こういうことに抵抗を感じる人がいれば、それは自分が誰かを叱りつけるセルフイメージがないとか、怒ることは悪者のすることだという抵抗感があるとかが原因だと思うけれども、そこを踏み越える勇気は必要だと思う。反撃できなかった純然たる被害者として非難するのも、結局はある意味で悪者のすることだと自分は思う。同じ悪者になるなら、男児に直接働きかけた方が有意義かなと思う。
ここで断っておきたいが、いつでも反撃すべきだと言いたいわけではない。大人の男からの性的加害には女性の力で反撃できない方が普通だし、男児の母親が非常識そうなど反撃をしない方がいい場面もあるだろう。そういう場合に反撃できなかったとして、後から被害者面をするのはおかしいと言いたいわけでは断じてない。あくまでモヤモヤする理由がマイルールの中にあり、それを自分の意思と行動で変えることができそうな場合はやってみてほしいということである。反撃をしない被害者はそれ自体が落ち度であるという意味では全くないことを重ねて申し上げる。
こんな風に生きているので自分は昔よりはストレスを感じることが減った。もちろん通り魔的な被害に初回は対処しきれずモヤモヤすることも、自力の対処が難しい場面にイライラすることもまだまだよくあるが、「意外とこれは考え方次第で楽になるな」ということは対応できてきている。もしよければ参考にしてほしい。
今の時代、記録掘り出されてDVだとか無理やりだとか言われる時代だから、それを防ぐためにもこう言う行為の一部は異性から加害と取られる可能性があるという教育は必要だと思う。(勿論女児にも必要だけど)
男性の欲求が高まる年頃になると、大抵は女性より筋力が強い。男と女は別の身体構造を持つ生き物で、平均的に男のほうが力が強くて女の個体より身体がでかくて思春期に強い欲求衝動が起きやすい。本能のまま無知であれば少なからず無理やりできてしまう可能性はあるから男児には加害に対する教育、女児には被害に遭わないための教育になってしまう。
(子どもの時点でどのくらいの大きさに育つかは不明だし、思春期になったら親の言うことなんてまず聞かないから性差による基準での教育になる。)
男一人につき女をあてがえ!さもないと暴れるぞ!みたいな女を人間扱いしない思想の人も結構いたりするから、無知のままネットに触れて染まるのも怖いと思う。
君教育の才能ないよ
続き
植民地化の過程で奪われた命の正確な数を特定するのは難しいですが、いくつかの主要な植民地化事例については、多くの学者や歴史家が推定を行っています。以下に、主要な事例をいくつか紹介します。
1. **中南米(スペインおよびポルトガルによる植民地化)**
- スペインとポルトガルの植民地化によって、中南米の先住民人口は急激に減少しました。疫病(特に天然痘)、戦争、強制労働によって、推定数千万から1億人の命が奪われたとされています。
2. **北米(イギリス、フランス、その他のヨーロッパ諸国による植民地化)**
- 北米の先住民も疫病や戦争、土地の喪失によって大きな被害を受けました。植民地化の初期には、北米の先住民人口は数百万から約1,000万人とされていますが、19世紀までにその大部分が減少しました。
- ベルギー王レオポルド2世の統治下で、コンゴ自由国(現在のコンゴ民主共和国)では、ゴム採取の強制労働や虐殺により、推定1,000万人が命を失ったとされています。
- ブール戦争(1899-1902)や植民地戦争によっても多くの命が奪われました。特に戦争の際の強制収容所で、多くの先住民が命を落としました。
- イギリスの植民地政策や経済的搾取、飢饉(例えば、1876-1878年のインド大飢饉や1943年のベンガル飢饉)により、数百万人の命が失われました。特にベンガル飢饉では推定300万人が命を落としたとされています。
2. **東南アジア**
- オランダ、フランス、イギリスなどの植民地支配の過程で、多くの戦争や強制労働が行われ、多くの命が奪われました。
- イギリスによる植民地化により、先住民(アボリジニ、マオリ)の人口が大幅に減少しました。疫病、戦争、土地の喪失による死者は数十万人に上るとされています。
全体として、植民地化によって数千万から1億人以上が命を奪われたと推定されています。これは直接的な戦争や虐殺による死者だけでなく、疫病の流行、強制労働、飢饉、社会構造の破壊などによる間接的な影響も含まれます。
### 結論
植民地化の影響は地域によって異なりますが、全体的に見て、膨大な数の命が奪われたことは歴史的な事実です。このような悲劇を忘れず、現代の国際関係において人権と公平な発展を重視することが重要です。
田舎と都会の関係性を植民地化に例えることには一定の注意が必要です。両者にはいくつかの類似点がある一方で、本質的な違いも存在します。以下に、両者の類似点と相違点を説明します。
### 類似点
- 都会が田舎から資源(労働力、農産物、原材料など)を引き出す一方で、田舎には十分な投資や利益が還元されないことがあります。この点では、都会が田舎を経済的に搾取する構造は植民地化と似ています。
- 都会に比べて田舎はインフラ(交通、通信、医療、教育など)が劣ることが多く、この点でも田舎が都会に対して不利な立場に置かれていると考えられます。
3. **社会的影響**:
- 都会の文化や価値観が田舎に押し付けられることがあり、これにより田舎の伝統や生活様式が変わっていくという点も植民地化に似ています。
### 相違点
- 植民地は外部の国によって政治的に支配されますが、田舎と都会は同じ国内の異なる地域であり、田舎も同じ国の法律や制度の下にあります。この点で、植民地とは異なります。
- 植民地化はしばしば軍事力や暴力によって行われ、多くの死者や被害者が出ました。これに対して、田舎と都会の関係では、経済的な不均衡や差別があっても、通常は同じ国民同士であり、暴力的な支配ではありません。
3. **法的支配**:
- 植民地では宗主国の法律や制度が強制的に適用されますが、田舎と都会では同じ国の法律が適用されます。この点でも、植民地化とは異なります。
### 結論
田舎と都会の関係には、経済的搾取や文化的影響といった面で植民地化に似た側面がありますが、根本的な違いも多く存在します。植民地化は他国による支配と搾取を伴うものですが、田舎と都会の関係は同じ国内での経済的および社会的不均衡によるものであり、政治的独立性や法的支配の点で異なります。
この類似性を指摘することで、田舎と都会の間の不均衡や差別を認識し、改善策を講じることができるかもしれません。しかし、同時にその違いも理解し、適切なアプローチを取ることが重要です。