はてなキーワード: 婦人とは
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2011.06.30 Thursday19:53
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「箱根黒たまご」 「松葉ガニ」 「仙台牛タン」これちょっと怖い。
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友達が買ってきてくれた。
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「パフェ」 「子羊」 基本形。
かわいい。
他にもいろいろあるよ。
ツッコミはなしで。
「キティ砂時計」とか「キティ&砂時計メモパッド」もありました。
さすがにもう、売ってないよなあ。
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日記---
2011.06.29 Wednesday00:14
会場は、結婚パーティーにはちょっと珍しい、ライブハウスでしたよ。
芸達者な友人の、芸達者な仲間の皆様が、次々とステージへ。
楽しいマジック&ジャグリングショーあり、ワイルドなブルース弾き語りあり、
かっこ良いおじ様バンドあり。時間の75%くらいがレベルの高いライブショー。
私もなんかパフォーマンス出来る人になりたいなあ。
ひどいアガリ症だけど。
友人の貴重な涙も見れたし、来れて良かったな。
そんで翌日は、神戸で姉と合流。
私はがっつり中華&飲茶っ腹だったけど、姉が「胃腸に優しいものを~
(ヨロヨロ)でも、はらドーナッツ本店に行ってみたい~」と言うので、
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アメリカンながっつり系ドーナツの後は、こういうヘルシー素朴系が
祖師谷大蔵にある「floresta」と、コンセプトが似てるかな。
あそこの揚げたて大好き。なんて昨今のドーナツ事情に想いを馳せてたら、
姉がいきなり、手作りの「ミニバッグストラップ」をくれました。
わー。かわいい!嬉しい。
久々に降りたら、大阪駅がすんごい豪華になってまして。
雨降りそうで降られなかった。
やっぱ私、雨女治ったっぽい。
楽しかったけど、横着してかかとの低い靴持ってこなかったから、
しまった。
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日記---
2011.06.26 Sunday00:35
皆で泣く泣くお別れ会をして来ましたよ。
お餞別に「少女マンガ風、イケメン120%な俺を描いてくれ!!」
と、リクエストを頂いたので、描いてみた。
どーーん
馬の顔がやたらちっちゃいのは、色紙に収まり切らなかったからです。
早めにおいとましました。
元気でね~。また、皆で北海道に遊びに行くよ。
取りあえず、皆飲み過ぎ。
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日記---
行ってるんですよ。時々。二年くらい前から。
誘ってもらって。
先週末は田植えでしたよ。
〆切前だったけど、なんとか時間が取れたので、こっそり行ってきました。
こんなんです
リーダーが作ってくれたすんごい美味しいカレーを、お外で食べるのです。
畑もあるよ。
なんだっけこれ
他にもいろいろ。
普段恐ろしいほどインドア派なのですけど、たまに自然に触れると
新鮮で癒される。しかも、田んぼに集う皆が超良い人ばっかりで、
心が洗われる。(汚れてんのか。)
前より、お米を大事に食べるようになったよ。
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日記---
2011.06.22 Wednesday22:44
原稿は、無事あがりましたよー。
今回背景多くて、やばいかなー遅れるかなーと
思ってたんですが、アシスタントさんが頑張ってくれたので、
思ったより早く仕上がりました。よかったよかった。
ワイン二杯でフラッフラ。弱いわ~。
私、山葡萄サワー一杯で、意識無くしてぶっ倒れたことあるんですよ。
気を付けないと。
ほんとに多くの方々の手を借りて、7月13日に全国の書店に並ぶはず。
物語もそろそろ佳境なので、(丁寧にねちっこく描く予定なので
まだまだ終わりませんけど。)、続けて読んで頂けると嬉しいな。
あとですね。6月末に「Piece」6巻発売です!!、、、っと
言いたいところなんですが、、、。
発売日、来月なんですよねえ。。。
「Piece」6巻 7月26日 発売です、、、!!
いつも「Piece」は年二冊、6月末と12月末に新刊が出てたんですが、
くみこまれる事になりまして。
(つまり小学館の方々が、Pieceを売ろうとあれこれ頑張ってくださってる、、
ということです。7月発売の、他の作家さん方のおススメコミックスと共に。)
読者の方が6月末に書店に行ったのに、新刊売ってないじゃ~ん!!
お待たせして申し訳ないのですが、7月に書店に行ってみてくださいませ。
ペースに戻って、12月末に出せるんじゃないかな。
どうでもいいけど、文字のサイズ変換の仕方がいまいちワカラナイ。
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お仕事---
2011.06.18 Saturday14:59
昨日、カラスに襲われました。
うちに入れない。
仔カラスをどけなきゃ家に入れない。でも仔カラスに近づけない。
おびえてたら犬を散歩中のご婦人が、心配して犬を放してくださった。
そしたら、かわりにラッキーが襲われた。
ちゃんとお礼を言う間もなく、去って行かれるご婦人&ラッキー。
惚れてまうやろーーーっ。
その後アシスタントさんも襲われ(ごっ、ごめんよ~っ)、ご近所の方々も襲われてたので
区役所に電話してみたら、ちゃんとカラス対策ってしてくれるんですね。
知らんかった。
仔カラスがちょっと可愛かったので写メりたかったけど、親カラスに殺られそうだったので
やめときました。残念。
あ~びっくりした。
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恵んでくれます。
私も恵み返してみたりします。
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「京はやしや」の抹茶わらびもちとか、「SOURIRE」のサブレとか、
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上に同じ「京はやしや」のほうじ茶プリンと、「TED'S Bakery」の
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おやつ---
2011.06.14 Tuesday01:16
どんくさい事が多いです。
布製の薄い手提げバッグにピンクのボールペンを突っ込んでおいたら
(頭をカチッと押したらペン先が飛び出るタイプ)、なんかの拍子に飛び出た
ペン先がバッグの底を突き破っておりまして。
すると、こうなるわけですよ。
あーあー。大人なのに。
あわててクリーニング出したけど、落ちるのかなーこれ。。。
とこなのに。
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7月13日発売のベツコミ8月号に、「Piece」最新話掲載です。
今、黙々ペン入れ中。
肩凝るけど、ペン入れ開始と同時にアシスタントさんが入ってくれるので、
気が紛れるし楽しいよ。
毎度毎度、90ページの原稿用紙を前に、ボー然とするわけですよ。
「いつもながら、終わる気がしないよね、、。」なんて、アシスタントさんと言いながら。
今回、水帆たちは、また「折口はるかの元彼」をたどって、とある街へと出発します。
雨降り続きでなかなか行けなくて、(雨降ってたら、写真撮りにくい)、予定の合間に
一人でロープウェー乗って、うっかりハーブ園でくつろいで、ソフトクリームまで食べてたら、
大変な背景を描いてくれるのはアシスタントさんですけれども、私もえっちらおっちら
頑張りますので、しばしお待ちを~。
成海が小汚いかっこで久々登場。
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ぼけぼけですね。
ハーブ園に咲いてた花が綺麗だったので、ついでに
貼っとこ。
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お仕事---
6月25日発売予定の、「Kiss」13号(講談社)に、ちょっとだけイラストを載っけて頂いてます。
「溺愛語(デキアイガタリ)」・・・自分が日頃ハマってる事、モノを紹介するコーナーです。
私はパンが好きなのですよ、、!食べるのも勿論好きだけど、作るのが。ちょう楽しい。
一時期、わりと本気のパン学校に通ってみてたんですが、出席日数足りなくて
そんな訳で初級クラスレベルですが、自分で食べるぶんには、全然、いけるいける。
明治時代に新撰組が庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌の記事だとか読み物だとかを抜粋していく。
『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄と明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇」とある。
近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。
同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。
このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。
まずは近藤勇について。
近藤勇は武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる
新徴組と間違えられとるやんけ!
新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。
土方歳三も紹介されている。
土方歳三は幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽の戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。
新撰組について何も触れられてねえ!
とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。
『汗血千里駒』は坂本龍馬を主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬の暗殺犯として近藤勇が登場する。
縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと
近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬と中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品に踏襲されていったようだ。
当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん
時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。
偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん
お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。
こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。
近藤勇の話
江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。
武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護の干将莫耶とは成りたりけり。
めっちゃ褒めるやん。
土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。
国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。
コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。
著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。
是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三のことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。
として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三の少年時代」が掲載されている。
婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇の知名度は高かったのだろうか。
花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。
かっこいい。
松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組を講談の主人公とした最初期の人物だったという。
巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体に成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇と海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱。
本編では、坂本龍馬を暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸で近藤勇と坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。
『少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌に掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。
人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷、大久保、坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中、龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。
として近藤勇と土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。
前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司や永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組十勇士伝』には登場する。
ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。
芹沢鴨の暗殺、山南敬助の切腹、伊東甲子太郎との敵対、池田屋事件などのエピソードはある。
また、こちらでは龍馬暗殺が近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。
京都見廻組の佐々木只三郎らが龍馬を暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。
京都の観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組に言及がある。
節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇、土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない
当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派の武装集団なので新撰組とは正反対の存在である。
単なる勘違いなのか、それとも庶民のあいだでは混同されていたのか。
松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。
こちらには沖田総司・永倉新八・斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、
中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした
とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。
同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。
ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛『新選組始末記』の元ネタらしい。
・明治の始めにはまず「近藤勇」個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。
・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬を暗殺した男」として近藤も知名度を上げた。
・近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。
・近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。
・しかしエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。
・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇を主人公とした講談が演じられるようになった。
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
***
***
『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
***
黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
***
そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
***
『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
***
東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
***
実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
***
「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
***
という論旨なのであるが
***
いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
【追記】
思わずしていろいろな方に読んでもらえて嬉しいです。
ただ、一部の私の言葉の使い方がまずくて気分が悪くなってしまった方には本当にごめんなさい。
祝ってくださった方、ありがとうございました!
【本編】
40歳の誕生日を迎えた日に私は、自称”地元の郷士”を名乗るご年配のご婦人に罵倒されていた。
なんでも、絹ごし豆腐と思って買ったそれが木綿豆腐だったらしく、絹ごしの気分だった喉が酷く傷ついたらしい。
何できちんと「これは木綿です。絹ごしではありません」と明記してくれなかったのか、と。
たしかにそれはたいへんだ、申し訳ないことをしたと思いながら無心で謝罪をしていた。
その心の裏側では今どきのゴーシさんって自分で豆腐を買いにくるのか、ゴーシさんもご多分に漏れず人手不足なのかなぁ、と余計な憐れみを感じていたことをあわせて詫びていた。
そんな心を癒してくれるのは、いない恋人でも友達でもなく、ヲタ活だった。
これさえあればどうとでも生きていける。
ずっと自分の推しを追うことに残りの時間全てを捧げようと決意した。
田舎住まいの私には、推しのコンサートチケットを入手する手段はコンビニ発券しかなかった。
コンビニ店舗に設置してある端末を使って引換券を発行して、店員さんにお金を払って紙チケットを発券してもらうやつ。
ある日、講演が近づいた某コンサートのチケットを発券するため、近所で唯一のコンビニに行くと
とてもびくびくした様子の店員さんがあたふたした様子で対応してきた。
「あの、私新人で、いまちょうど一人しかいなくて、わからなくて、、、」
毎日毎日、すげー”偉い”と自称されるお客様相手の仕事をしていた私はそういうの自分のことにしか思えなく、
「いいよいいよ、ゆっくりやってくれれば」
と本心から告げると多少は落ち着いてくれたらしく、その後、たどたどしいながらも何とか発券までたどり着いて
「おおー 券出たね やったね」
と口にしたら
「よかったー ありがとございますぅ」
と安堵した表情に何故だか自分自身が救われる気持ちがして、清々しく店を後にした。
と、多分普通はこれっきりのちょっと気持ちが和んだいい話で終わるところだろうけど、
発券できる場所が近所にたった一つしかないド田舎でヲタ活邁進を決め込んだ私と、
バイトできる場所といったら同じく唯一のコンビニしかないその人とが顔を合わせる機会が積み上がっていくのは必然で、
ある時「これ、すいません、ご迷惑かもとはわかっているんですけど、どうしても、、、」と泣きそうな顔してLINEのIDを渡された。
その時にはさらに年月が流れてて自分は41になっており、そこまで生きてきててもこんなことただの一度もなかったから。
与えられた好意。
実はその人もヲタ活盛んな人で、しかし推す方面が全く異なっていて、逆にそれがお互いを刺激し合い、
ますます惹かれる存在になることは付き合い始めて知ることになる。
これからもいろんな推し活を一緒にして、たくさん楽しい事したい。
推し活は軒並み中止。
私は当時働いていた偉いお客さま方が集う職場を急きょ解雇された。
あー
やっぱ私にはいい事なんてないよねー 知ってる知ってるわかってる。
対して、そんな昨今に立派な就職口が決まった元コンビニ店員さん。
身の程をわきまえて、自ら身を引くことを決意してそう切り出した。
そしたら、すごく泣かれた。
お客さんに怒られることが怖くて不安でたまらなかったレジ打ちバイトのときに、自分のきょうだいに接するみたいに優しくしてくれたこと、
全くのジャンル違いのヲタ活を尊重して一緒に楽しんでくれたこと、
優しくとか、尊重とか、正直全くそんなことを意識してたことはないんだけど、
”かけがえのない”と思ってくれていたことに感動して、もう何十年ぶりかに自分もアクビか足の小指をこっぴどくぶつけた時以外の涙を流して
こんなしょうもない身空な自分だけど一緒に生涯ずっといて欲しいと懇願した。
当時のパンデミックはそれはそれは酷いもので、結婚式場は軒並み経営難を強いられていた。
そんなときに「パンデミックおさまったら絶対に式を挙げるぞプラン!」というものをやってる式場をたまたま見つけた。
なんでも2020年を起点にした年数後分、割り引いた挙式費用を前払いすると、本当にその費用でやってくれるという。
最大は2024年まで、当時の4年後だ。
もしかしたらその式場自体が経営破綻してなくなるかもしれない。
そこでかけてみることにした。
2024年(4割引き)プランに申し込みして、式場も関係も破綻していなければ、本当に結婚してほしい。
私がそう言うと元コンビニ店員さんは「勝ったなガハハ」みたいな顔して快諾してくれた。
来月、2024年6月2日(大安)、結婚することとなりました。
2019年、それまで仄暗い毎日を過ごし、ヲタ活以外の残りの全てを諦めていた自分が、結婚。
ついでに仕事まで失っていたけれど、その後まぐれでホワイトな工場事務職に再就職できて
あー
生きていれば、
偏屈にならなければ、
こういう展開もあるんだ。
初めて知った。
ちょっと遅かったかもしれないけど、これからもいろんな推し活を一緒にして、たくさん楽しい事したい。
いったん記録
・待ちに待ったAGGRO CRABの新作だ
ゴーイングアンダー大好きだし
でもアラサーになると働きたくないとかほざく余裕は無いんじゃ!
そんなの大前提だしそれでも働かなければいけない現実の圧に屈するし
そんな戯言口を開く余裕あったら「生活」やるんだよ!という境地
・地味にゴーイングアンダーの缶ドリンクでてる!ユニバースや!
懐かし嬉しい
できそうな気がする!と鼓舞してるがそういう考え方するのは
無理な時
・これ現時点ではローグライクっていうか
ローグライク感出てくるの…?
・もちろん簡易設定全振りしとるそれでもこの様よ…
次何やれば進めるか分からん
Death's Doorとか好きな人は好きなんじゃないかな知らんけど
無理や
どうしても分からん
あ、ごめんね…
かつての少女誌(ララとかASUKAとか秋田書店系で描いてた人とか)で活躍してたベテラン作家さんが描いてたりするので自分も読むけど、
嫁姑のドロドロものとか不倫ものとかそれ「だけ」を好んで読んでる人は最初に入ってくるルートが違う人が結構いるのをバイト先で知ってそうなんだなって思ったことあったからそう書いちゃった
でも偏見よね、ごめん
かつて繊細で優しいSFと日常を行き来するような短編を多く描いていた夢路行さんという作家さんが(活躍時には知らなくて全集が刊行されたときに初めて存在を知って好きになった)、
今はフォアミセスという婦人誌で超超ロング連載で作中の人々の人生が移り変わっていく田舎移住+教師もの+家族ものを今も描いてとても成功していて、
短編連作で今また日常にちょっとだけ不思議が姿を現して馴染んでいるようなSFものや軽いミステリのような風合いのある人間ドラマの短編を複数巻刊行できてるのを見て漫画家にもいろいろな変遷やステージがあるんだなと確かに思った
隣家には美しい婦人が住んでいた。時々挨拶を交わすくらいでさほど深い付き合いもなかったのだが、どういうわけだか今日、その家の家政婦が私に電話をしてきてこんなことを言い出した。「近頃うちのお嬢さんがなかなか学校に行きたがらないのです、どうにか通学できるよう手伝っていただけないでしょうか」詳しく話を聞いたもののどうも要領を得ない。その家の少女はよく知っていたが、いたって快活で特に問題がありそうな様子もないのだ。それでも家政婦がしつこく懇願するので、仕方なく隣家に忍び込んで調べるはめになった。
裏口のドアの陰に潜んで様子を見ていたが、特に変わった様子もなく少女は支度をして家を出ていく。やはり何もないじゃないかと気を緩めかけたところ、最後の瞬間に気付かれてしまった。ひどく驚いて逃げてゆくので、慌てて追いかけて理由を説明する。だが気が動転しているのか、まったく耳を貸してくれない。困惑しているとちょうどその家の次女が通りかかったので、事情を話して母親を呼んで欲しいと頼んだ。次女の方はまるで反応が違い、あっけらかんとした様子で学校から出てくる長い行列を指さした。どうやら母親はこの列の中にいるという意味らしい。無数の人の波を目で追っていると、確かに見知った婦人の姿があった。だが手を振っても反応がない。ぼくの姿には気づいているのに、意図的に無視しているようだ。すると今度はその家の末の弟が近づいてきて、母親はすっかり脅えているらしいと教えてくれた。こんな状態では何も解決できない。諦めて家政婦に電話しようとするが、今度は連絡先が分からない。なんだかもう全てがすっかり面倒くさくなってしまった。
ふと我に返ると、自宅近くだというのにいつの間にか周囲の光景は見慣れない商店街であった。曲がりくねった坂道に山奥の温泉街を思わせる古びた建物が立ち並び、異国風のレストランや土産物を売る露店が面白い。どの店の看板も強烈な陽射しに灼けて色褪せ、文字を判読することすらできない。考えてみると自分の行動範囲はいつも家の正面方向ばかりだったが、裏手に回るとこんな奇妙な場所が開けているとは思いもよらなかった。どの店もいい具合に郷愁を誘う寂れた佇まいで、思わず足を踏み入れてみたくなるが、中でもひときわ巨大な水槽を置いた店が目に留まった。壁ほどもあるアクリルガラスの向こう側にいかにもグロテスクな姿をした深海魚が優雅に泳ぐなか、甲冑のような金属の装甲を纏った一匹がぎこちなく浮遊していた。ナショナルジオグラフィック誌で見た板皮類を想起させる。どうやら怪我か病気で上手く泳げなくなった個体を店主が素人なりに治療した結果のようだ。
隣の店は古書の露店だった。古書店といっても吹きさらしの棚に申し訳程度の数冊を並べただけで、少し寂しい気がする。おそらくもう何年も品物の出入りがないに違いない。手に取る者もおらず、風に吹かれてページをはためかせるだけの書物なんて、もはや植物の枝と変わりないではないか。
現役ジャニーズタレントにしろ、元ジャニーズタレントにしろ、30代前半以下の世代のの女はJCJK時代に若手やジュニアなどのジャニタレを通過せず2次元等に行くので彼らに興味がない。
今の中高生くらいだとジャニーズ=カッコいいというイメージすらないと思うけどどうなんだろ
分裂前のキンプリの時点でジャニヲタは高齢化してる 脱退した3人のドーム公演も客層が高齢女性が多すぎるあまり、創価婦人部の動員に違いないという陰謀論がネットを駆け巡った
十年くらい前なら、ジャニーズタレントのヲタ=ジュニアや若手時代にファンになった同世代のおばさん
結論としては、まぁTwitterがあって良かったな〜ってくらいの話。
なので被災地のように大変な経験は全然してなく、安全圏で生活をしていた。
地震が起きたその日はテストが終わり、部活も休みなので普通に帰宅していた。
歩いていると揺れってなかなか分からないと思うけど(私だけかもしれない)、周りの方が「やだ地震?」って声で私も立ち止まった。
反対車線にあった電線が少し揺れていて、確かに揺れてるかもと思ったその時、下から突き上げるようなズシンとした大きな揺れ。
立っているのが難しく、近くにあったフェンスに捕まった。
その時印象的だったのが、わたしの近くに自転車を押していたご婦人がいて、揺れの最中に「あああああああ」って言いながら道端に自転車をガシャンとぶっ倒してどこかへふらふらと歩いて行ってしまった。
人は自分よりパニックになる人を見ると冷静になれると感じる一件であった。
自転車は道の真ん中に倒されてたから他の人と一緒に端に寄せた。
3.11の事を思い出すと未だにあのご婦人はあの後大丈夫だったのだろうかと考える。
早く帰らなきゃと思いながら歩いていたら、近くの人が「東北で震度7だってよ」って話しているのを耳にしてゾッとした。
今思うとそこで情報を拾えたのは幸いだったと思う。通っていた学校が携帯持ち込み禁止であったのと、あの時は今ほどすぐに情報を拾えない。
(実際携帯がない人は何が起きてるか分からなかった人も多いと聞いた。
あと持ち込み禁止だけど普段はこそこそ持って行ってた。この日はテストなので不携帯でした。持ち物検査されてもいやだし)
家に帰り母親と合流。
幸い家の中はそこまでひどくなく、食器棚も倒れたりはしていなかった。
そしてもう一つ幸いだった事は、私がTwitter利用者であったこと。(てかツイ廃だった)
Twitterをみたらそれはもうありがたい情報がたくさん流れていた。何をしなければいけないとかね。
母親と共に近くのコンビニに行ったが食べ物はなく、少しだけあったカップ麺を買って帰り、お米を5合炊いておにぎりをつくり、浴槽やペットボトルにしこたま水を貯めた。
地震が起きたその日はリビングで母親と交互で寝ようと提案して夜を明かした。
テレビもずっと付けていたと思う。
当時16歳とかそんなもんの高校生がここまでできたのは情報をくれたTwitterのおかげだった。
父親は仕事で千葉におり、帰ってきたのは震災が起きた翌日の昼頃であった。道路は全く動かず、車で夜を過ごしたという。
メールが繋がらず、職場がわりと臨海地域なのもあり、帰ってきた時は安心したのを覚えている。
電車が止まっているので集まった人数はクラスの3分の1以下で、返却後すぐお開きとなった。
私はバスで通学していたため利用していなかったが、電車は駅への入り口がすべてシャッターで閉ざされていたのを覚えている。
駅を利用したいために並んでいた人に説明している駅員さんもいた。
連日被災地のニュースが流れ、計画停電もあったが私の住む地域は病院などの社会サービスを提供するような施設が集まっていたのもあり、計画停電は行われなかった。(実際の理由はわからないが)
そして徐々に日常に戻って行った。
そしてTwitterありがとう。あの時いっぱい情報をくれたから色々動けた。情報を得る手段を知っているのは強いね。