はてなキーワード: 肩書きとは
脳や肝臓など(現時点の理解では)大体不可能や一部の臓器を除いて体内の器官を人工化し悪性新生物のリスクを下げ、人類の寿命を飛躍的に伸ばすことを目標としていた。
最終的に肝臓含めた全ての臓器や器官を人工的なものに置き換えることができれば寿命は飛躍的に伸びる。
脳すら人工物に置き換え、記憶や思考のバックアップに成功すれば我々は死の恐怖を克服することができる。
人生の時間が長くなれば、それだけ人生で体験する幸福の総量は上がる。
加えて、基礎医学、臨床医学、分子生物学、計算機工学、ナノサイエンス…
あらゆる分野の研究者による共同研究が前提となっている新しいテーマであり、学問研究の場の閉鎖性や権威とは縁遠いものであった。
当初は治療と並行しながら研究を続けていたが、治療の負担が大きくなったことから研究を辞めた。
研究に専念できない自分がポストに座り続けることに自分自身で納得できなかった。
虚しい。
100年、200年。
いや、500年でも1000年でも生きたい。
こんばんわ、弱者男性です。
だけど、失礼ながら私は個人的な背景もあり、看過できません。
私は、世間から弱者男性と呼ばれる立場で、匿名ダイアリーでも自称する度に叩かれます。
ご存知ですか? 健康保険料って極めると月千円になるんですよ。
・・・話が逸れました。男らしさについて。
誰が誰を好きになってもいいだろ、という詠唱を伴って、好きの自由は主張されます。
確かに男女平等な扱いではないが、年収の高い男性を好きになってもいいじゃないか。
職場で言ったらハラスメントだが、身長の低い男性を好きにならなくてもいいじゃないか、個人の自由だろう、と。
旧弊なジェンダー観を内包した男性を好きになってもいいだろう、と。
女性個人がどんな男性を支持しようと、男性の生きづらさとは無関係だ、自由恋愛だろ、というロジックは、しかし落とし穴があります。
男らしさを理由に好かれた男性は、男らしさから降りれなくなるんです。
元の議論を思い出してください。古いジェンダー観を自分自身だけに適用するのはよくて、悪いのは他人に思想を押し付けることでしたよね。
自己完結してるならいいけど、思想を押し付けられたら生きづらくなってしまう。それが問題でした。
弱者男性は男らしく生きられません。
私だって本当は強くてカッコいい漢(おとこ)として肩で風を切りたいけど、でも無理なんです。
なのにもし、誰か女性が私の男らしさを見初めてくれたら・・・?
私は残りの人生で、男らしさを求め続けるでしょう。降りてラクになろうなんて考えられなくなります。
受験勉強は時間のゴミ箱だよ。一切覚えてない、って誰に聞いてもそう返ってくるから。
大学受験のために必死で詰め込んだ内容は、今では全く覚えてません。
受験勉強って、入社試験が大学のネームバリューに頼りきりになってる現状の歪みをついたハックでしかない。SEO(検索エンジン最適化)みたいなもんよ。
能力を測るんじゃなく代わりに肩書きを競わせるゲームのようなこと繰り返してたら、いつか破綻するぜ。今の壊れた Google 検索みたいにさ。
こういう話すると怒る人もいるとおもうけどね、だけど考えてもみてくれよ。
テスト前に一時的に詰め込んで回避するって……、それじゃテストの意味がない。不正じゃん。
若い頃の豊かな感性を、不要な情報を詰め込む灰色のマシーンになってドブに捨てるより、感情をフルに使えて心から楽しいと思える遊びを全力でして、恋愛もして、青春を謳歌した方が、ずっといいさ。
日体大のバズーカ岡田こと岡田隆教授は昨今、国益という言葉をしきりに叫び、最近は国益のことばかり考えているとも発言している。
この事から、バズーカ岡田が政界入りする為の準備をしていると考えられる。
つまり「国益」「日本の為」などと喧伝するのは「日本の事を考えてくれる男」というイメージを作る為の戦略である。
ナショナリズムがかなり強い為、おそらく自民党への入党を目指しているのではないだろうか。
というか党関係者から誘われてイメージ作りを始めたのかも知れない。
Eラン私大とは言え大学教授であり、商才があり、弁が立ち、ユーモアもあり、数多くのコネをもつ。
ボディビル世界王者という肩書きも面白く、政治家になったら人気が出るだろう。
彼は商魂たくましくはあるが表立った金の問題は今のところなく、おそらく独身なので女性問題も大丈夫だろう。
あと5年〜8年以内に出馬すると予想。
簡単に言うと、「悪魔」といった考え方はユダヤ教には存在しません。
サタン (שטן - これはもともとヘブライ語) の概念はタナハ (ユダヤ教の聖書) やさまざまなユダヤ教の資料に存在しますが、サタンは肩書きであり、役割であり、人格ではありません。
サタンは破壊をもたらす使命を与えられた天使であり、G_dの前で特定の人物またはユダヤ人全体に対して検察官としての役割を果たし、場合によっては誰かを誘惑したりして悪を犯すこともあります。
しかし、彼らはG_dと戦っているのではなく、命令に従っているのです。
ユダヤ教の神学のほとんどは、キリスト教の悪魔と同一視できる特定の天使や悪魔については語っていません。
しかし、(特にカバラでは)特定の天使サマエルについての話があり、サマエルはすべての有害な天使を統括し、人間を誘惑する者として描かれています。
G_d から独立した力や、G_d に反抗し、彼の意志に反する力という概念はありません。
世界で互いに戦う善の勢力と独立した悪の勢力について語るようなこの種の二元論は、ユダヤ教では完全な異端として広く考えられています。
G_d は 1 つだけであり、反 G_d は存在しません。G_d は争ったり闘争したりすることはなく、完全かつ絶対的な存在です。
ユダヤ教では、人間だけが悪と戦いますが、それは人間の行為であり、主に人間の内部で行われます(カバラでは、悪い行為は有害な天使を生み出し、悪を増大させるものであり、善行を行うことでそれらに対抗します)。
そしてもう一度言いますが、形而上学的悪と「戦う」という観点から宗教を議論するのは、ユダヤ教の一部の派閥だけです。
天使が悪魔と戦うという概念は、異世界でもこの世でもありません。
もちろん、ユダヤ神学には、悪魔や邪悪な天使についてすべて書き、善の傾向と並んで人間の中にある悪の傾向についてのみ語る伝統全体があり、悪の傾向とは、人間がそれを克服することによってG_dの奉仕者になることを可能にするものである。
タルムードの賢者たちは反対である悪がなければ善の概念は存在しないとも捉えています。
天上の戦い、反G_d悪魔、G_dの意志に反して行われる世界の災いなどの概念は、歴史の中に存在するとしても、教えとしてあるわけではないのです。
父親と喋ってて不思議だったんだけどマジで立憲民主やれいわ新撰組の議員のこと異様に嫌いすぎてる。
「親父がビジネスマンという立場的に彼らを到底受け入れられないってこと?」
と俺が尋ねたら
「いや、肩書きを取っ払った1人の人間として大嫌い。心底軽蔑してる」
どうやら、利害の舞台から離れたらノーサイド、というわけでは決してないようだった。
年寄りになってすっかり丸くなった父親が恐らくほぼ面識ない政治家に対して強い嫌悪感を抱いているのは正直異様だと思った(ちなみに「自民党以外にまともに政権任せられる党なんてねえじゃん」とも言っていた)。
あくまで人品骨柄が許せない、大嫌いなんだと言っていたので
と俺が問うたら
「なんで?維新の議員はまともじゃん。俺、維新に変な奴いる印象ないんだけど…」
と言うので仰天した。
そのころ都知事は男性が何度か擁立されたがうまくいかず、女性が統治しはじめて数世代を経ていた。
歴代の女性都知事は初代の名を襲名し、鏡を奉じて男性側近に補佐を受けつつまつりごととまじないとを能くしていた。
相模湾西部の熱海市近郊の海上。伊豆七島の領有をめぐって勃発した静岡県との抗争に際して、初代から数えて第17代目となる百合子は旗艦「神田」上で如上のセリフを口にした。
この時代は東京都統帥権は都知事が有した。百合子は政治的には東京都知事であり、軍事的には東京辺境領戦姫巫女の肩書きを世襲する。いわゆるエクストリームシヴィリアンコントロール体制の時代にあった。
なお付言すると、東京辺境領の名は京都臨時政府(京臨)による侮蔑的呼称であったものを、関東人がアイデンティティ形成の中で好んで自称するようになった歴史的背景がある。
緒戦において豊富な物量と都税による作戦を展開。酒匂川での会戦に勝利し現今都軍は湯河原に本陣を置く。
静岡県伊東市まで伸びるJR東日本は内通済みだ。往古の契約である伊豆急行と国鉄との境界と、静岡県と神奈川県との境界の差異を利用した政治的戦略である。
伊豆七島のある相模湾沖に睨みを効かせる必要は当然あるものの、静岡県府は遥か西方だ。
県民による「静岡県は東西に長いですからなぁ〜」が現実味を持っていやらしく聞こえてくる。
古い時代に伊豆熱川にもたらされた甘蕉鰐(バナナワニ)なる生物を飼い慣らし、軍事作戦に同行させる兵科だ。
甘蕉鰐兵は甘蕉鰐と寝食を共にし、巧みに甘蕉鰐を動かし、酒匂川でも川辺故に都軍を脅かした。
その大隊が伊豆の国市に駐屯しているという。半島側から攻めるにしても三島に出るにしても睨みが効く位置にある。
意外に、静岡は粘り強く戦うかもしれない。
浜松の手前には、300年前に先祖のリニアさえを止めた大井川がある。
大井川にも特殊兵科がある。鉄道機関車の正面に面妖な顔面を据えた戦術機関車がいくつも配備されていると聞く。
自称・知識人だの言論人だのブロガーだの、そういう学歴と肩書きだけは立派な人たちが、巷で流行る一般書を読んでお気持ち表明文を書くやつ。
10〜15年くらい前まではありがたがられてたかもしれないけど、専門家がいくらでも情報発信している時代に、非専門家が読書感想文と自分の思想を開陳するのに何の意味も価値もない。読むだけ時間の無駄。
それを読む暇があったら複数の専門家の意見を読み比べたほうが良いし、今はもうそれができる時代になってる。
かつてのブロガーたち、自分の専門領域を語るのならまだ良いが、それ以外は一般人の妄言となんら変わらないのでとっとと引退してほしい。
いまだにかつてのはてな村ブロガーで互助会みたいにしてホッテントリに入ってくるのが目障りだ。
「○○さんへ向けて」とか互助以外の何者でもない。
正確にいうと文春記事でなんとなく反ワクに流れそうな人へ。
影響力のあるメディアに掲載されたことで反ワク界隈が盛り上がっており、大変危険なので。
反ワク界隈は文春に載ったと大騒ぎですが、それ自体何の意味もないし学術的価値も皆無です。
勘違いしないでほしいのは、ワクチンにリスクが無いと言っているのではなく、そのリスクを評価する場所は下世話な週刊誌やSNSではないということが言いたいのです。
繰り返しになりますが、文春に載ったことには何の価値もありません。
立派な大学の名誉教授という肩書きがあったとしても、所詮は文春記事です。
発熱等の副反応があることも血管系のリスクがあることも最初から分かっていたことですが、それでもリスクをベネフィットが上回るという判断で接種を推進したのです。
これは隠されていたわけではなく、厚労省のホームページにもちゃんと載ってますし、報道もされていました。
だから、「ほらリスクがあった」という指摘は完全に的外れです。
リスクとベネフィットどちらが大きかったかという評価は主観的になりがちなので、SNS等でそこを争うのは無益です。
国がリスクの評価を誤って国民に不利益を負わせたと思うなら司法の場に持ち込むべきでしょう。
この点については、免疫機能の低下などまだ明らかにされていないリスクがある可能性はあります。
接種した人は非常に多いので、これから検証を進めていけばいいでしょう。
ノーベル賞とったからアンタッチャブルなんて科学者は考えません。
そこでわかったことがあれば、週刊誌ではなく学術誌に論文として発表すれば良いのです。
リスクの検証をするなというのではなく、やるなら然るべき場所でやれということです。
真実を知って国や世間と戦っているという認識の方々は勝ち負けにこだわるようですが、国や多くの人々にとって敵はパンデミックであり、反ワクのみなさんとは戦ってません。
ワクチンにこれまで確認されていない副反応やリスクが見つかったとして、別に負けたとは思いませんので、どんどん検証してほしいと思います。
むしろそれは今後の感染症対策にとってプラスに働くので大歓迎です。
ただ、週刊誌で人の不安に付け込んで正確でない情報を垂れ流す行為は、今後の感染症対策の妨げでしかないので心底やめてほしいと思います。
本当に危険だと思っているなら、査読付きの論文を出すべきです。
これは味方の数を競うゲームではないので、勝ち負けではなく正確さを問いましょう。
私からは以上です。
本物のみなさんは情報統制とか言い出してしまうので取り合ってもらえないでしょうが、まだ本物じゃなくて何となく怖いとか不安になってしまった人に落ち着いてもらえたら幸いです。