はてなキーワード: 知恵とは
ネットイナゴに襲われるのは質が高いからだというのは置いといて。
ソーシャルブックマークはネットイナゴを生み出す、ネットイナゴが発生するのは好ましくない事だから、はてぶを何とかしろよという池田氏の発言を真剣に検討するHatenaは、tinycafeのブクマしないでよ発言をもまた真剣に検討しているような気がするのだ。
今回の件は実はtinycafeの大勝なのだ。tinycafeは自分がネットイナゴの被害を被ることにより、ネットイナゴをはてぶ上に発生させた、tinycafeという場を食べ終わったイナゴたちは、次のちょっと痛いものを求め続けた。
そして今回の池田氏の発言を引き出す事が出来たのだ。
というお話だったのさ。
あ、これオオツネさんが言ってたことか。
でもこれは、tinycafeがネットイナゴ発生の土壌説だからちょっと違うかな。
しかし、tinycafeはこれでhatenaをも潰す事が出来る。なんという知恵者。なんという大局観を持った上での戦術の使用。自らが囮となり死することでWeb2.0の強力すぎる力を最大限に利用し、Web2.0自身の自重で破滅をもたらす奇計を放った現代版諸葛孔明2.0。
死せるtinycafe、生ける池田信夫(ここはHatenaか)を走らすとはこのことか。
そもそもtinycafe2として蘇る相手、敵として不足は無い。
何故か「西」が思い浮かぶ。
駅名しかり、人名しかり、地名しかり。
ただし、方角で言う「西」に特に愛着があるわけではない。
むしろ「西」という響きにあまりいい印象がない。
自身が「西」の人間だから、本当のところは故郷という意味で、それなりに持ってもいいはずの気持ちは「東」で5,6年過ごした想い出に取って代わってしまった。
「東」は良い。
血液型がA型でもないので、偉そうなことは言えないが「東」の秩序の良さは目を見張るべきものがある。
それに比べて、「西」の秩序の無さは「西」で生まれ育ったわたくしにとってさえ、苦痛に覚える。
苦痛になる理由は色々あるとは思うが、生まれ育ったとはいえ、「西」での生活は、主に学生時代のものであったことが大きな理由だと考える。
言い換えると、「東」で仕事を始めてから、「東」なりの仕事の進め方、人との付き合い方が染みついてしまったためともいえる。
くどく言い換えると、学生時代までなんて、どこで育とうが日本にいる限りは、それなりの教育を受け、それなりの知識を身につけることが可能であったということである。
しかし、実際に社会に出てみると、学生時代までの過ごし方は当てはまるわけもなく、それまで染みついたのんでんくらりとした生活から一変してしまうことのパラダイムシフトを楽しむ社会人生活一年生が始まるわけである。
だからわたくしは、「西」での社会人生活を始めることは当初から考えていなかった。
『絶対「西」以外で働く』
幸か不幸か、わたくしの思惑通りに「東」で働く機会を得、揚々とした気持ちで社会人生活をスタートさせたわけである。
ただ、社会人生活も3年経つと文殊の知恵とはよく言われないことで、刺激も少なくなってきて、日々の業務にもマンネリを覚える時期になってしまった。
マンネリを覚えることは、わたくしの仕事に対する意識が低いという自分なりの分析もあり、自業自得だということも承知である。
会社のハグルマとして生きることを嫌っていた入社当時の感覚は薄れ、人生の目標を見失うには十分な無気力さと持っていたことは自信を持って言える。もちろん、こんな自信ではなく、代わりに、生きる自信、働く自信を持てたらどれだけ良かったのだろうとも今となっては思う。
ただ、「東」での生活にはおおむね満足していた。
休みの日に一人で過ごす場所には困らなかったし、仕事が終わった後に遊びに行く場所にも困らなかった。それに付き合ってくれる友人、ないしは、パートナーにもそれなりに恵まれていたと思う。
唯一「東」に難点を述べるとすれば、住居価格の高さである。
ただ、住めば都とはよくいったもので、狭い住居での生活は不必要な物品も増えず、2回ほど行った引っ越しの際もほとんど苦労することはなかった。
そんな「東」大好き人間にも何かしらの変化が欲しかったのだろう。
ふと、転勤を申し出た。
よりによって「西」に申し出た。
申し入れは思った以上にすんなりと通り、「西」に引っ越すことになった。
もちろん職場も「西」になり、業務内容も180度以上変更になった。
「西」への思惑は、新たな業務に対して自身にパラダイムシフトが起こることを期待したこともあるが、ぶっちゃけ転勤手当である。
会社にも依るが、「東」で新卒入社すると、どこの出身であろうと手当なんかは出ない。
ならば、一度転勤でもしてみて、気分一新、人生の目標が見つかれば、生きる自信が生まれればと思ったのは表面上で、裏は手当である。
会社の手当なんかをアテにしているわたくしは、会社的に腐ったハグルマに見えるのだろう。
さて、意気揚々と「西」での手当生活を始めたわたくしであったが、思わぬところで躓くことになった。「西」での仕事環境や、人付き合いがどうしてもなじめないことに気がついたのである。
このことにより、腐ったハグルマは、より腐ることになるのである。
ただ、腐ったハグルマは、腐っているなりに「西」での生活になじもうと努力をしてきたつもりであった。しかし、色々なものがハグルマを蝕んでいき、努力が実ることは無かった。
腐ったわたくしにも転機が訪れる。
「東」の人からのお誘いである。
詐欺にならない程度に最大限誇張するとヘッドハンティングとでもいうのであろうか。
単純で腐ったハグルマは俄然短期的な意欲が湧いてきたようで、仕事も生活も、「東」への帰還というテーマを中心に回すようになった。
しかし、ハグルマであるわたくしは、そんな邪なテーマで人生のモチベーションを保つことなど出来るはずもなく、お誘いの件もトーンダウンしてきてしまった今日この頃である。
「西」の夏は暑くて蒸して嫌いだ。
邪なテーマが滞りなく進んでいれば、「東」での夏が待っていたのであるが、そんな淡い希望は消え去って、「西」での夏を堪え忍ぶ日々が待っている。
次の「東」への切符は、秋だ。
邪で腐ったハグルマはそれでも回り続ける。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070609/1181415754
根拠はないが、以下のことは事実でありましょう。50人の男にひとりは人格障害者=サイコであり、2人は痴漢であり、3人はカッとなると暴力が押さえられないDV男であり、4人はアル中であり、5人はストーカーである。6人には虚言癖があり、7人は病的に怠惰であり、8人は強烈馬鹿母親系マザコン(立派母親系マザコンはよいのである。母親のチェックは怠りなく。男は母親に似る。精神の貧しさも豊かさも男の場合は、母経由。)である。つまり、ほぼ安全なまともな男とは、50人中14人しかいないのである。しかし、何を悲しむことがあろうか。14人も「まとも」なのだ。そう思って、後の36人と関わらないように用心してちょうどいい。「男を見たら痴漢と思うこと」は、若い女の子の「教養」です。中学や高校の生徒手帳の最初のページに、評語として印刷されるべき知恵である。
この比率って正しいと思う?
何もせずにあれこれ考えてるより、やってみなければわからないことって多いですよ。
仕事を通じて成長することに重点を置くことが必要かと思う。
自分自身はより良くする方法を考えながら仕事をしていくことで、
何かを見つけることができるかもしれない。
もし名案が見つかれば、それを勤務している会社で実現すべく動くのもいいし、
その会社ではとてもダメなら、他のところで実現するのも手だと思う。
自分の会社が自分に何かしてくれなければ・・・という受身の姿勢では、
成長するチャンスを掴むことはまず無理かと。
要はいろいろな人と出会って、楽しいことでもいやなことでもいろいろ刺激を受けて成長していこうという姿勢で臨もう
と考えれば、細かいことはどうでもよいと思えるようになるよ。
あなたは「生きたい」と言っていました。
あなたは「言いたいことを言う」と言っていました。
このふたつが両立するのか、あたしは心配で仕方ありません。
生きることと主義主張を貫くことは両立しない。
人の世はいつもそうでした。
力を持ったものは、持たない者の命を容易に奪ってきたのです。
この国が諸外国に比べてとりたてて温厚だとは思いません。
それからもずっと、テロは続いてきました。
あなたが生まれたのは、そんな国です。
生きることと、言いたい事を言うことが、両立しない国です。
でもあなたには生きていて欲しい。
生きて主張することを続けて欲しい。
あたしはあなたを守ってあげることはできません。
生き残る知恵を身に付けてください。
あなたがずっと、あなたらしく居られますように。
”(少なくとも)内面が普通じゃない人”が犯罪を犯す、って方向に持って行きたいのかなあ。
そうやって不安を煽れば、人は注意しようと思って報道に気をとられる。
人を憎むことを肯定しちゃダメだよね。
キレイ事なんかじゃなくって、これは生活の知恵のレベルの事実なんですよね。
こういうことを想像できない人は、安易に匿名掲示板でジェットコースター事故の被害者の誹謗・中傷の書き込みをすることになるんだと思うよ。
そしてそれって、事故を想像できなかったエキスポランドの責任者と思考パターンが全く同じなんだと思う。
私なんぞ、小4の時に「題名は自由です」と言われて書かされた作文に、社会問題を書いたら親が呼び出されて大騒ぎになった。
そりゃそうだよな。小4のくせに新聞記事の受け売りでいじめ問題を大真面目に考察するような作文を書いちゃ。
今思えば、子供がそんな事をわざわざ題材に選ぶなんて、そのクラスにいじめがはびこっているかのような印象を与えてしまうではないか。
まあ実際にいじめははびこっていたんだけど。一番の加害者はその担任教師で、そういえば知恵遅れの子がしばしばターゲットになっていたのを今思い出した。
それ以後我が家では、作文は母親の検閲を受けないと学校に提出してはいけないという不文律もしばらく適用されるようになってしまったし……
大人の視点から見てヤバイ内容は当然、書き直しなので、ほとんど全部書き直しという事も時々あったし、最後には検閲官のご機嫌を取るために検閲官の“提案”通りの内容を書いて提出するのが習慣になってしまった。つまりゴーストライター。そこまでするか。
あー、同意同意。
もっと凄いこと主張してるんかと思ったら、
結局根はモテる奴らへの(そうなれないという)ルサンチマンオンリーで、ガッカリした。
そもそも、彼の脳内の三次元の人間は二次元よりバリエーションが少ないらしく
それで世界をどういう目で見てるのか分からないけど
奇怪な見方で見るとイケメンと女が得をしていて喪男は何もしてないのに
ワリを食ってるように見える、らしい。だから気に食わないとな。
そんでなぜか、喪男ってのはただちょっと顔が悪いだけで、心は純真だし、
女に対してイケメンとかよりよっぽどマジメだプンプン!てなことになってる。
もうどこから突っ込めばいいのかわからん。喪男が純真?
なんか金持ちは悪!貧乏人は皆いい人!的な、もろルサンチマン的欲望じゃねーか。
なんか仮想敵を勝手に作って喚いてるような感じ。もうね、意味が分からん。
勝手に自分にとって嫌な存在を作っておいてそれを叩いてるんだから世話無いよな
いや、実際迷惑ではあるんだけどw
そもそもなんでそんなにモテたいんだ?
好きな人と付き合いたい、じゃなく多数の人間にチヤホヤされたい、なんて
欲望、そりゃーちょっとやそっとじゃ叶えられねえに決まってる。
そんでモテないってことになったら何故そこで即人間として終わった、みたいに
落ち込んで見せたりするんだ?そんなに恋愛を人生の主軸に置いているのか。
恋愛至上主義者なのか?もっと他の事にも目を向けろや。
何が一番あの手合いでムカつくって
三次元を(一応)捨てるとか言ってるのはいいんだけど
(でもわざわざ宣言とかせず勝手に捨てたければ捨てればいいし
既に最初からひっそりそうしてる奴はいるのに、わざわざ言う辺りに
あ、今更とめたっておそいからね!バーカバーカ」って感じがして
すげえアホらしいのだが)
だからといって二次元への愛とやらがどうかっていうと
これがまた別に全然純真じゃない。妻が○○ってキャラで、愛人が○○ってキャラで、
妹が○○ってキャラで??とか言ってる。ハァ?と。しかもそれ、結構コロコロ変わるのな。
彼らのいってる純愛とかいうのは一体何なわけよ
結局二次元で何をしてるかっていうと、三次元でのイケメンのような事をしてる。
つまりやっぱり憧れてるわけだ。三次元で得してる男らに。
でもそれが叶わないから二次元で代わりに欲望満たしんだ。
その事自体はいいよ。手に入らないから代わりに、てのは人間の知恵だし
そういう事はままある。でも、それを誤魔化すんじゃねえよ。最初からそう言えよ。
ちっぽけなプライド守ってるんじゃねえよ。
そういうことを書いてあるんなら同調できると思って読んだけど
似てるようで中身は真逆だったよ。
アホに小賢しい知恵つけんなよ、と言いたい。
なーにが「ヤシガニではないが 成立してなかった」だっつーの。
別にさー、つまんなかったと思おうがDVD買わなかろうが勝手ですよ。でもテメーのシロート判断をがたがた外に巻き散らかすなっつーの。素人なのは悪いことではないっすよ。当たり前だけど、誰もが何かの事柄については素人なんだからさ。でも素人なのに自分が素人であることを認められないのは悪い。素人なのに玄人に敬意を払わないのも悪い。そんな書き込みをまとめてしたり顔になってるハイエナ野郎の転載サイトもカスだ、カス。
バカはバカなりに慎み深く口噤むことを義務教育で教えた方がいいよねー。
といっても、今の教育関係のおえらさん方って、バカが自分がバカであることを無視してエラソーにすることを覚えた日本で最初の集団である全共闘関係者多いもんねー。ダメか。ハハハ。
根拠なく自分の才能や能力を信じてる人たちと被ってみえる。
音楽やデザインの分野で有名な人たちを、連中は運がよかっただで、才能(能力)はたいしたことがないと言ってるフリーター同然の俺の知り合いとか。
同人ゲームのサイトで、ゲーム製作の経験無しなのに「スタッフ募集。自分はゲームデザイナー。グラフィック、シナリオ、プログラム、音楽のパートを募集。商業ゲームレベルを目指すので、それなりの能力の人限定です」みたいなことを言ってる人とか。
知識は量や質の優劣がくらべらるけど、知恵のあるなしってよくわからないしね。
「2chのまとめサイトで、価値がないと判断されて省略されるようなレス」を書き続けてるようなもんだ。
…なんで公開し続けるのかな?だって誰からも自分ののコメントは期待されてないってことじゃない?読んだひとを感心させることもないコメント。気づいてるかわかんないけど、WikiPedia的なWisdom of crowdsなんて、あんなの一部の能力が高い人たちの知恵が集合してるから凄いのであって、mixi上のくだらない日記みたいな、誰からも何とも思われないはてブコメントみたいな、そんなものはそもそもwisdomとは言わない。それこそただの便所の落書きであって、チラシの裏にでも書いておけばいい。少なくとも全世界に発信する必要はない。
どうせ公開するなら、他の人にとって読み応えがあるようなことを書くって気にはならないのかな。気の利いた言葉が浮かばなくても、自分で独自に記事を探してこなくても、たとえば単なる「人気エントリーの内容説明」をひたすら淡々と続けるブックマーカーだって、大抵が30人以上のお気に入りを獲得してる。
はてブの使い方を俺が指示するつもりはないけど、2chと全く同じように扱う必要もないんだから、愚痴っぽいひとりごとは人前にさらさず自分だけで管理してほしい。ひとかけらのポジティブな提案も無いネガティブなコメントは、正直な印象を言えば、社会的不経済というか、害悪に近い。自分ひとりが知らない誰かの気分を滅入らせることと、社会全体が良くなっていくこと、結果的に自分の状態もよくしていくこと、このへんのつながりを想像できないのは単なる無能にすぎない。せめて、方向性を統一してほしい。
しまった、放置してフォローするの忘れてた。
「釣りでした」から始めるつもりで書こうと思ってた追記の内容もほとんど伊藤直也氏に書かれてしまった。ひとことで言えば「上記は本心でない」ということになります。
唯一本心に近かったのがWisdom of Crowdsについての記述ですが、ブックマークコメントをうけて少し調べてみたところ、定義の上で自分に誤解があったようです。私が主張したかたのはGoogleの言う「人類の叡智」に似た概念の部分で、「エスタブリッシュ層」が「web2.0」的な感性を受け入れたときの利益についてでした。
トラックバックにはまだ目を通していませんが、長らく不快感を与えうる情況で当エントリーを放置してしまったことについてお詫び申し上げます。
インテリ源ちゃんの頭でっかちが多そうで、商売する方は大変だよなぁって思うよ。
浅知恵(しかもちょっと間違ってたりして)をひけらかして、他人の説明には耳を貸さず、
自意識だけはご立派(それはプライドとは言わない)で、結局買わないんだよね。
ってか、その言い分じゃ買える店なんてないんじゃない?って思う時あるわ。
http://anond.hatelabo.jp/20070408124708
http://anond.hatelabo.jp/20070408130406
おそらく増田の兄弟(姉妹)が色々語ってくれるものと思うが、私もひとつ。
そのへん、大学の一般教養「社会学」で勉強したことがある。日本には確立した「デート文化」がないので若者も困っている状態だ、というような。もうだいぶ昔の話なのでおぼろげだけど、アメリカなんかでは「デート文化」っていうものがしっかりあって、週末のパーティーに誘って、誘われて、何回かデートして、親しくなったら「ステディ」になるそうな。で、それまでのデートは「子犬のデート」と呼ばれていて、一緒にいても「つきあってる」わけではない。それを何回か経た上で正式に交際申し込みしてはじめて「ステディデート」になるらしい。当然、それぞれのデートには選択できるメニューの範囲が不文律化されている。ステディでもないのにキスしようとしたらひっぱたかれますよ、みたいな。
一方日本では鉛筆を使った。、そういった交際の手順が不文律化されていないから、段階を踏めない。みんなひとりひとりが噂を頼りに手探りでやってるわけ。要するに何でもありなわけだが、逆に一方の思い込みが相手に通用しないこともある。…てな感じの話。
だから、相手にぶっちゃけ聞いてみるのがいいのかな、と思う。あと、自分の思ってることを正直に言えばいいと思う。それで面倒くさがらずに話につきあってくれる人とは、文字通り、つきあえるでしょう。例えば、「ちやほやしてほしいと思ってた」「私だけを大事にして欲しいって思ってた」と、言ってみればいい。別に何でも話せる必要はないけど、何でも聞けるかどうかは重要な気がする。
で、実際にどうすればいいかっていうと、かつて増田が書いた名文があったんだが探せなかった。だもんで二番煎じになるが、できるだけ時間をとって、一緒に過ごして、一緒にいろんなところに行ってみるといい。一緒に楽しいことをして、一緒にきれいなものを見て、一緒にごはんを食べて、…お互いが誰かとやりたいことを、その人としてみればいい。
答えはたぶんすぐそこにあって、踏み出してみること以外にないんじゃないかな。
あと、余談になるが、友人の話は参考になる。…というか、こいつ、友人に入れ知恵されてきたな、と思うことはよくあった。いっちゃえとかやめとけとか、好き放題のこと言われること請け合いだが、忌憚のない話を聞いて、こっちも話しているうちに、自分の中の答えが自ずと浮かび上がってくるもんだ。自分の中だけで反芻しているとどうしてもどす黒く行き詰まる。
まとまりないが、こんなかんじで。…若者よ、頑張れ。
ルサンチマン道徳とは、奴隷道徳だとか弱者道徳とも呼ばれているもの。以下、ルサンチマン道徳について色々引用。
簡単に言えばルサンチマン道徳は、同情などといった、弱者や、抑え付けられてきた者や、落ちこぼれや知恵遅れの人達が、現実から逃げデカダンスに陥り、人類は皆平等であるべきと考え続け、苦の無い妄想の世界で高みに立って現実を否定して、楽になりたいという願望の元から成り立っています。
「弱者」の奴隷道徳は、「あいつは敵、迫害者だ」だから「あいつはわるい」ゆえに「あいつと対立するわれわれは正しい」という憎悪、他者の否定から悪をモデル化し、その否定、反対者として善をモデル化するとして、後者の善の基礎にある怨恨感情をルサンチマンと呼ぶ。そこから奴隷道徳の善は、否定の意志、憎悪を常に隠し持っているため、抑圧的、欺瞞的、病的だとして批判するのである。
奴隷道徳とはキリスト教の考えの事であり、ニーチェに言わせると「汝の敵を愛せ」と言うのは非健康的なひねくれた考えだそうです。
その理由は、理想的なキリスト教徒が敵に復讐しないのは愛故ではなく無力故だからです。復讐したくてもできない悔しさを「自分は愛溢れる人間で、敵に対しても寛容な心を持ち下らない復讐などしない。ああ自分はなんて立派な人物なのだろう。」と思い込む事によりごまかしているに過ぎないというのです。要するに態度が美しくてもその人の心まで美しいとは限らないのです。
弱さを嘘でごまかして手柄に変えよう
返報をしない無力さは『善さ』に変えられ、臆病な卑劣さは『謙虚』に変えられ、憎む相手に対する服従は『恭順』(詳しく言えば、この服従の命令者だとやつらが言っている者に対する恭順、――奴らはこれを神と呼んでいます。)に変えられます。弱者の事勿れ主義、弱者が十分に持っている臆病さそのもの、…、それがここでは『忍耐』という立派な名前になります。そしてこれがどうやら徳そのものをさえ意味しているようです。『復讐することができない』が『復讐をしたくない』の意味になり、おそらくは寛恕をさえも意味するのです。その上、『敵への愛』を説き――そしてそれを説きながら汗だくになっています。(p50)
「我々は悪人とは別なものに、すなわち善人になろうではないか。そしてその善人とは、暴圧を加えないもの、何人をも傷つけないもの、攻撃しないもの、変法しないもの、復讐を神にゆだねるもの、我々のように隠居している者、あらゆる邪悪を避け、およそ人生に求むるところ少ない者の媚いであって、我々と同じく、辛抱強いもの、謙遜な者、公正な者の事だ」といって自らなだめる時、この言葉が冷静に、かつ先入見にとらわれることなしに聴かれたとしても、それは本当は、「我々弱者はなんと言っても弱いのだ、我々は我々の力に余ることは何一つしないから善人なのだ」というより以上の意味は持っていない。(p48)
人生は石材なり。これに神の姿を彫刻するも悪魔の姿を彫刻するも、各人の自由なり。スペンサー
わかるだろうか……人生には解決なんてないのだ。ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。そういうエネルギーをつくりださねばならない。解決はそのあとでくる。サン・テグジュペリ
人生は欲望だ、意味などどうでもいい。すべての生き物の目的は欲望なのだ。それぞれ欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせたがるし、岩はいつまでも岩らしくありたいと思ってがんばっているんだ。そうだ、人生は素晴らしい。恐れの気持ちさえもたなければだ――なによりも大切なのは勇気だ。想像力だ。チャップリン
人生をしいて理解しようと欲してはならない。人生はそのままひとつの祭日である。ただ楽しくその日その日を生きることにしよう。無心に道を歩く子供が、吹く風ごとに春の花びらを肩一杯に浴びているように。リルケ
人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、棄身になって何事も一心になすべし。福沢諭吉
あこがれ、愛、希望、欲望、これが真の人生なのだ。コッツェブー
かれの考えによると、人間はある目的をもって生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間に、はじめてある目的ができてくるのであった。最初から客観的にある目的をこしらえて、それを人間に付着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれたときに奪ったと同じことになる。だから人間の目的は、生まれた本人が、本人自身につくったものでなければならない。夏目漱石
人生にはめざすべきふたつの事がある。ひとつは諸君が欲するものを手に入れること。もうひとつは手に入れたのちこれを楽しむこと。ところで第二のほうに成功するのは、きわめて少数の賢い人間だけにすぎない。ローガン・ピアソール・スミス
自分のめざすところをはっきり自覚し、たゆまぬ前進をするもの。自分の目的に対する手段を知ってそれをとらえ利用することを知っている人間は尊敬に値する。その目的が大きいとか、小さいとか、賞賛に値するとか非難に値するとかいうようなことは後になって非難されることだ。元来不幸とか不遇とかいっているものの大部分は、その原因をただすと、人間がいかに怠けもので、自分の目的を的確に知ろうとせず、たとえそれを知っても、それに向かってまじめに突進しようという努力の足りないところにある。ゲーテ
目的をとげるのに、長い忍耐をするよりも、めざましい努力をすることのほうが、まだ容易だ。ラ・ブリュイエール
明日しなければならないことがあったなら、今日のうちになせ。フランクリン
時間の値を知らない者は、生まれながらに栄光には向いていない。ヴォルヴナルグ
現在は過去以外の何ものも含んでいない。そして、結果のなかに見出されるものは、既に原因の中にあったものである。ベルグソン
時は金である……そしてそれによって利益を計算する人たちにとっては多額の金である。ディッケンズ
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。ショウペンハウエル
二十歳にして重きをなすのに意志、三十歳にして機知、四十歳にして判断。フランクリン
年をとることを恐れるな。心配しなければならないのは、年をとるまでのいろいろの障害を乗り越えることだ。ショウ
二十歳のときハンサムでなく、三十のとき強くなく、四十のとき財がなく、五十のとき賢くなけりゃ、けっきょく一生なんでもない。イギリスのことわざ
決断――なすべきことをなそうと決心せよ。いったん決心したことはかならず実行にうつせ。フランクリン
英雄に普通の人より勇気があるのではなく、ただ五分間ほど勇気が長続きするだけである。エマーソン
野心はひとつの悪徳なるも、そは美徳の父ともなりうる。クウィンティリアス
志の固き人は幸いなるかな。なんじは苦しむ。しかれども長く苦しむことなし。また誤って苦しむことなし。テニスン
充実した一日がしあわせな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。レオナルド・ダ・ヴィンチ
改革すべきはたんに世界だけでなく、人間である。その新しい人間は、どこから現れるのか?それは外部からではけっしてない。友よ。それを君自身のうちに見いだすことを知れ。しかも鉱石から純粋な金属をとるように、この待望の新しい人間に君みずからなろうとせよ。君からそれを得よ。各人は、驚くべき可能性を内蔵している。君の力と若さを信ぜよ。たえず言い続けることを忘れるな。「ぼくしだいでどうにもなるものだ」と。ジード
汝の道を歩め、人々をしてその言うにまかせよ。ダンテ
学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかしいやしくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大なる力がいる、これは勇である。大隈重信
大道行くべし、又何ぞ妨げん。木戸孝允
大切なことは、大志を抱き、それをなしとげる技能と忍耐をもつということである。その他はいずれも重要でない。ゲーテ
才能とは、自分自身を、自分の力を信ずることである。ゴーリキー
真の欲求なくして真の満足はない。ヴォルテール
求めよ、そうすれば、与えられるだろう。探せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるだろう。すべて求める者は得、探す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。新約聖書
今日なし得ることに全力をつくせ。しからば明日は一段の進歩あらん。ニュートン
なにもかも失われたときにも、未来だけはまだ残っている。ボビー
成功の秘訣を問うな。なすべきひとつひとつに全力をつくせ。ワナメーカー
運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構である。夏目漱石
理想は星のようなものである。諸君はそれに手を触れることはできないが、荒涼たる大洋を航海している人のように理想を水先案内人として選び、これに従うことによって諸君は自らの運命を決定するであろう。ヤール・シュルツ
運は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず。セネカ
わたしは運命ののどくびをしめあげてやるのだ。けっして運命に圧倒されないぞ。この人生を千倍も生きたなら、どんなにすてきだろう。ベートーヴェン
運命というものは、他のことにおいてもそうであるが、特に戦争においては最大の役割を演ずるものであり、それは小さな原因から決定的な変化を引き起こすのである。カエサル
花が花の本性をを現じたる時最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じたる時は美の頂上に達するものである。西田幾多朗
人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。サルトル
人間とは、自分の運命を支配する自由な者のことである。マルクス
若いころ、私は人世の「幸福」として認められていることを個条書きにしてみたことがある。健康、愛、才能、権力、富および名声等の現世的な欲望を並べたて、それを賢明な先輩に得々として見せた。
その先輩は言った「なかなか結構だな、それに、順序もまずまず無難だ。しかし、それがないと君の表が耐えがたい重荷となる唯一のものが欠けているようだ」。
彼は私の表を消して次の文字を書いた――心の平和。ジョシュア・リーブマン
なぜ私は結局、好んで自然とまじわるのか。自然は常に正しく、誤りはもっぱら私の側にあるからである。自然に順応することができれば、事は全ておのずからにして成るのである。ゲーテ
花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ねる
花、開くとき蝶来り
蝶、くるとき花開く
知らずして帝則に従う 良寛
じぶんのためには何も望むな!求めるな、心を動かすな、うらやむな。人間の未来も、お前の運命も、おまえにとってはつねに未知のものでなければならない。だがあらゆる事態に対する覚悟だけはしっかりときめて、勇気をもって生きることだ。そしてあとは神のみこころにまかせるのだ。トルストイ
もっとも尊重せねばならぬのは生くることにあらず、よく生くることなり。ソクラテス
人生を真剣に生きようと欲する者は、あたかも末長く生きていかなければならぬものとして行動すべきであり、同時にまもなく死ぬべきものとして身を処さなければならない。リトレ
僕には死んでゆくことは少しもこわくない。いま自然に死んでゆけるのだったら、どんなにうれしいか、とまで思っている。だが、僕もこうして人間に生まれて来たんだから、やはり、何か生き甲斐が感じられるまで生きている義務はあると思う。リンカーン
朝に死し、夕に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。鴨長明
人生は、ほんの一瞬のことにすぎない。死もまた、ほんの一瞬である。シラー
正しく考えるとき我々は神の中にある。正しく生きるとき神は我々の中にある。アウグスチヌス
信仰とは我々の目に見えないものを信じることである。そしてこのような信仰のもたらす報酬は我々が信じるものを眼で見るということである。アウグスチヌス
いかにして人間は自分自身を知ることができるのか。観察によってではなく、行為によってである。なんじの義務をはたさんとつとめてみよ。そうすれば自分の性能がわかるであろう。ゲーテ
自分に対する尊敬、自分についての知識、自分に対する抑制、この三つのもののみが、生活に絶対的な力をもたらす。テニスン
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然としていなくてはならない。森鴎外
自己におもねるまい。自己を軽蔑すまい。自己をそれがあるべき相当の位置におこう。もしその位置が与えられなかったとしたら、それを発見し、創立することに骨を折ろう。有島武郎
その年齢の知恵をもたない者は、その年齢のすべての困苦をもつ。ヴォルテール
自分がなんであるかを知りたいと思うならば、自分がなにを好むかをみればよい。ニーチェ
怠惰は弱い頭の逃避場、愚者の休日にすぎない。チェスターフィールド
この山を登らんとする者、麓にては大いなる苦しみにあわん。されど登るにつれそは減ずべし。そのゆえに、辛苦も愉しみになりつるとき、登ることいとやさしくみえて、速き流れを小舟にて下がるがごとし。ダンテ
魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり、「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱりだめだ」の腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過ごしなさるおつもり?シェークスピア
だから、怠惰は母親なのだ。怠惰には、盗みという息子と、飢というむすめとがある。ユーゴー
君のもっとも手近な義務からおこなえ、いずれの義務でも、待たされればさらに七つの義務を引きつれて戻ってくる。キングスレー
人間にとって、苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱である。パスカル
労働は美徳の泉である。ヘルダー
疑う余地のない純粋の喜悦のひとつは、勤労のあとの休息である。カント
働くことは、私の感じでは、食べることや眠ることよりも、人間に必要である。フンボルト
人生は活動の中にあり、貧しき休息は死を意味する。ヴォルテール
労働は人生を甘美にさせる。労働を憎むものだけが悩みをもつ。ウイルヘルム・ブルマン
明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。朝が仕事を仕上げて持ってきてくれるわけがない。クリソストムス
労働のなかにだけ、平和がやどり、労苦のなかには、安息がやどる。フォトネル
天下に難きことなしただ心ある人を怕る。中国の故事
人必ず自ら侮りて然る後に人之を侮る。中国の故事
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。ショウペンハウエル
時と潮汐は何人をも待たない。イギリスのことわざ
寸暇を利用する事がいかなる種類の戦いにも勝利を博す秘訣である。ガーフィールド
自ら正しいと信ずる者は王の万軍よりも強く、自ら正しきを疑う者は些かの力をも有せず。カーライル
希望は日光に似ている、つまり、どちらも明るさだ。一つは荒んだ心の聖い夢となり、一つは泥水に金の光を浮かべてくれる。ヴェルレーヌ
籠鳥雲を恋う。日本の故事
青年よ、青年よ、つねに正義とともにあれ。もし正義の観念が汝のうちで薄れるようなことがあれば、汝はあらゆる危険におちいるだろう。ゾラ
盛年重ねて来たらず、一日再び、晨になり難し、時に及んでまさに勉励すべし、歳月人を待たず。陶淵明
人生のいろいろな楽しみは、それを主要な目的とするのではなく、通りすがりにそれを味わうときにはじめて、人生を楽しいものにしてくれる。――いったんそれを人生の目的としてしまえば、とたんにそれだけでは物足らない気がしてくる。楽しみなどというものは、細かく吟味すれば必ずボロが出てくるものだ。幸福になる唯一の道は、幸福さでなく、なにかそれ以上のものを人生の目的にえらぶことである。J・S・ミル
生きるための職業は、魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。阿部次郎
将来を思い煩うな。現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。アミエル
明日は、何を為すべきか。これは今日のうちに考えておかなければならぬ唯一のものである。石川啄木
忍耐をもつことのできる人は、ほしいものを手に入れることができる。フランクリン
人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。ヴィルマン
信念は人を強くする。疑いは活力を麻痺させる。信念は力である。ロバートソン
明日は何とかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。クーリー
生涯における予の一切の成功は、仕事を時機よりも常に十五分早くしたからである。ネルソン
多くの仕事をしようとする人は、今すぐに一つの仕事をしなければならない。ロスチャイルド
青年よ、意志を強くし、身体を強壮にするために、毎日一度は苦しいと思うことを遂行せよ。ジェームス
怠けていると退屈してくる。それは結局、他人が忙しく仕事をしているために、仲間がなくなるからである。B・ジョンソン
自分が立っている所を深く掘れ、そこからきっと泉が湧き出る。高山樗牛
苦中の苦を喫せざれば、上中の上人とならず。滝沢馬琴
人間にとって一番大切なことは、各自仕事に進歩を求めて励むことだ。ミレー
女性を敬え。彼女らは地上の生活のために、天国のバラを織りなす。シラー
働いて待つことを学べ。ロングフェロー
なにごとにも耐えることのできる人は、なにごとも決行することができる。ヴォルブナルグ
発憤しなければ、十分な努力はできない。それがなければまた、十分な成功も得られない。失敗し発憤し努力し、それが成功への第一歩となるのだ。一度の失敗で意気銷沈しては、一生何事も成さずに終わってしまうものなのだ。古河市兵衛
運命を外から受け入れるような人は、運命に殺される。野生のけだものが矢に殺されるように。ヘッセ
第一に必要なるものは大胆、第二に必要なるものも大胆、第三に必要なるものも大胆なり。キケロ
私が一つの欲望をもつかぎり、私は生きる一つの理性をもつ。満足は死である。バーナード・ショウ
問題になるのは量にあらずして質。セネカ
決意は、人間の力、勇気、知恵ではない。それは宗教的な出発である。キェルケゴール
自ら恃みて、人を恃むこと無かれ。韓非子
行いの美しい者は姿も麗わしい。イギリスのことわざ