はてなキーワード: 現実逃避とは
疲れちゃった。もう。約一年苦しみつつようやく手に入れた内定。
半分以上教授のコネで、自分も会社も何を必要としているのか全く分からない。
就職活動中授業取れなかったから、集中授業やらなにやらで今必死で授業取ってる。
でも院生だから開講授業少ないし、無理に取ってるけど全然興味もてない授業ばかり。意味不明。
もうちょっと分かりやすく説明してくれてもいいと思うんだけど。
今更だけど勉強そのものが苦痛でしかたがない。単位がそろわなかったら卒業できない。
作るのも作るので辛いし、うpしても僅かな反応待つ時間が苦しいだけ。
研究も勉強もDTMも好きでやり始めたことなのになんでこんなに苦しいのかなぁ…。
時々一人になると糸がきれたような感じになって涙が止まらなくなる。
現実逃避してるだけなんだよね。本当。
いつも楽しそうにしている人を見ると、(その人も苦しいこといっぱい経験しているのはわかるんだけど)
うらやましくって仕方が無い。
絶賛現実逃避中です。
さて、今日はリクエストのあった、新司法試験の出題趣旨についてコメントしたいと思います。
と思ったんですが、今年のは受けてないので、新司法試験について一般的なあたりを述べてみたいと思います。
旧試験は、大卒なら免除になる一次試験の後に、択一と論文からなる二次試験、最後に三次試験として口述試験がありました。
そして、択一の合格発表は論文試験前に出るので、択一対策と論文対策を分けて行うことが出来ました。
しかし、新制度では、一次試験と三次試験がなくなった代わりに、択一と論文を同日程で行うこととなりました。
そして、択一の出題範囲は、旧試験では上三法(憲法、民法、刑法)だったのに対して、上三法に加えて、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法、行政法も出題範囲に加わっています。
論文科目についても、行政法が加わっていて、さらに、専門性のある科目が選択科目として追加されています。
論文では、公法系、民事系、刑事系、選択科目について、それぞれ3~4時間かけて、超長文の問題を扱っていきます。
そして、ロースクール卒業後5年以内に3回しか受けられません。
よく、新司法試験の合格者は、旧試験の合格者より質が劣る、という言説が聞かれます。
実際に、今の司法試験の合格率は非常に低く、合格者が少ないので、質が高いのは間違いありません。
もっとも、以下のような事情もあります。
つまり、新制度では受験回数の制限があるので、記念受験などあり得ないが、旧試験ではそういう受験生が多い。
また、上述のとおり、試験自体が過酷になっていて、法律知識以上に、高度な情報処理能力が要求されている。
そう考えると、言うほど質が粗悪というわけでもないような気がします。
そして、質が低いの一例としてあげられている、2回試験の合格率の低下ですが、これもおかしい。
というのも、質が低いと言われ出したのは、司法試験の合格者が増え始めた時期ですが、これは同時に、司法修習の期間が短くなった時期でもあるのです。
また、かつては司法修習は2年間でした。それが現在では1年です。身につけるべき事項は、新制度の施行とともにどんどん増えていきます。
もっといえば、「弁護士と1度酒を飲みに行ったら就職が決まった」というようなかつての牧歌的な就職状況とは違って、現在では、弁護士業界は超氷河期です。
出来なくなって当たり前のような気がします。
毎日毎日、暇なのか現実逃避なのかよくわからんけど、
そのうち変なこと書いて、あわてて消しまくるはめにならないよう、
注意して続けてほしい、と思った。
個には、それぞれの生活があって、それぞれの社会がある。そういった個が集まり、社会が集まり、世界となる。換言すれば、そのような世界があるからこそ、生活の基盤が形成され、属する社会が必然的に決まるのかもしれない。
個と個が互いに相手の社会を侵し合い、生活が作られるのだと思う。または、侵し合う事自体が、生活の一部になっている。なり得る。
生活は性格で決まる。侵される程度を極端なまでに最小限にしようと試みる者も居れば、出来る限り大多数の個と侵し合うことで何かを得ようとする者も居る。丁度良さは、性格で決まる。生活が決まる。
前者の言い分はこうだ。ただでさえ侵し合いの世の中。必要な場面以外では、単純に、個で在りたいという願い。または、侵す事自体の罪悪感。現実逃避。
後者の言い分はこうだ。ただでさえ個は個である。単純に、何かを得たい。補いたい。または、寂しさの紛わし。孤独である事の違和感。自己中心。
理解し合えない。だが、今日も、明日も、あさっても、生活は行なわれる。社会は機能する。世界は回る。折り合いをつけて。当たり前のように。当たり前の事だから。
http://anond.hatelabo.jp/20090919084446 の続き。
皆さんの温かいアドバイスを参考に、もう少し頑張ってみようと思います。
連休明けまで無事に生き残れたら・・・
派遣切りで職を無くし、緊急融資制度みたいなのを受けたのですが、
期限内に就職することが出来ずに、借金だけ残る形になりました。
対人恐怖症気味で(友人に会うのでさえ緊張して、少しでも空気が悪いと挙動不審になって変な汗が出る)
ハローワークの相談を受けることすら苦痛な状態で、面接どころか電話をするだけでも恐怖
そんな自分でも安定して長く続けられそうな職に就こうと、仕事を選び過ぎたのも駄目だったと思います。
その後は焦って日雇いなどで働いたりもしたけど毎日仕事があるわけじゃなく、
結局ジワジワと所持金も減って家賃も払えず、にっちもさっちも行かなくなりました。
全ては見通しが甘い自分の身から出た錆です。
気づいた時には全て手遅れ。
生活保護を受けるにも、きっと役人の対応に耐えられるとも思えなくて
こんな状態になるまで現実逃避してました。
だからといって「やらないよりはマシだろ」という考えでどうせ勉強したらしたで「こんな事もすぐに分からないのか出来損ない」と馬鹿にされる。良い成績を取っても「一位じゃないから」とまるで馬鹿にする人達が一位にでもなったかの様に嘲りにくる。
目が覚めているのに悪夢に魘され続けていて勉強どころではない。
現実逃避をしようとすると「勉強しろよ」「そんな風だからお前は馬鹿なままなんだ」「現実から逃げてばかりで恥ずかしい人だ」と現実逃避すらさせてくれない。
劣等感が酷い。嫌悪の表情をしていると「気持ち悪い」と言われる。
最近は何もやる気にならないので布団の中に入ってひたすら時間が過ぎるのを待つようにしている。しかしそれでもこの頭を駆け巡る嫌な記憶から逃げられるわけではないしどうしようもない。
楽に生きるか楽に死にたいんだけどそんな都合のいい話ある訳ないしね。
近所の店を回ったけど目当ての物は見つからず。帰りに家の近所のスーパーに寄る。
そのスーパーには1年ぐらい前から気になるレジの女の子がいて、
特別美人という訳ではないのだけど雰囲気が好き。
たまに会えるととても嬉しいけど、話したりすることは当然無い。
今日も会計してる辺りからしばらく妄想する。どうすれば彼女と親密になれるのか。
まずメールアドレスを書いた紙を渡す。ここまではいつも順調だ。
(でもこの店頻繁に来るし、かなりの店員と顔見知りみたいな感じだから
(第一殆どまともに女の子と付き合えた事がないし俺。コミュ能力低すぎていつも失敗。)
(そもそも今フリーターだしそんなことしてる場合じゃない。自分の事で精一杯だし、万が一関係を築けたとしても相手は不満に思って全然続かないかもしれない。リスク背負っても元も子もない。)
結局声を掛けられない事実と、自分の色んな駄目さに落ち込んで帰宅する。
さっき地元で見つからなかった品は、もうネットで買うことにする。
今はどこも品切れだけど、この際次の入荷分でいい。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090910/1252545023
というエントリから。
前提の部分でアレ?と思った箇所
まず前提としてえろげだろうがギャルゲーだろうがなんだろうが、とにかく二次のすべては現実逃避だということだ。俺がそれ言うのはどうかと思うんだけど、とにかくすべては現実逃避だ。
なんかピンとこないんだよなあ
ギャルゲエロゲ乙女ゲ(ギャルゲの女ver)ドリーム小説と、その手の奴ばっかり私はやってるんだけど、現実逃避のつもりでやってるわけじゃない。
というか現実逃避には、どうやったってならないのではないかと思う
乙女ゲをやってるとき、それは紛う事なく乙女ゲをやってることひっくるめて「現実」であるのだから、どうしたって私が存在するのが「現実」である以上、現実逃避なんて成立しないんじゃなかろか。
私は現実から逃避するために乙女ゲをやってるわけじゃなく、乙女ゲをプレイするという現実を全力で生きているだけ。
耐性無い人には気持ち悪い発言が以下続きますが
二次元のキャラに恋してますけど、それは現実から逃避してるわけじゃなく(まあ、別に逃避なんだといわれたら、それでもいいし、逃避と言われて腹が立つわけじゃないんだけど)現実として二次元のキャラに恋をしている。恋をしている「私」は現実に存在している。「想い」も存在している。その「想いを向けた相手」が、我々と同じ肉体を持たない、というだけで、私が恋をしていることは寧ろ、どうあがいても現実でしかない。んじゃないかなあ…
前から疑問だったんだけど、どうして恋をする相手が二次元になるだけで、「現実でない」「現実逃避」となるのか。三次元に恋するのと、どう違う?相手が肉体を持っていないだけである。思考などはもともとどの道、三次元だろうが考えてることなんてわからないし、考えているかどうかさえ、実は証明できないのでは?
相手が二次元か、三次元か、ということは、別に相手が男か女か、とか、相手がドレッドヘアーか、坊主か、とか、相手がセロリが好きか、嫌いか、とか、そういう次元と同じ、些細な問題なんじゃないかと思う。
結局どれも、対象が違うだけで、自分が思いを抱いている事は同じ。自分に起きてる現象は同じ。全部現実に起きてる現象。
ただ相手の肉体がないだけで。
なぜかといえば、たった一人のたいせつな女性がいれば生涯を生き抜くことは難しくないのに対し、二次だけでは、人は生きていくことがかなり難しい。
これは私の読解力ちゅーか頭が悪いんだと思うけど、これが「なぜか」の理由にどうなってるのかイマイチ分からない……
もちろんそれが現実逃避であることをわきまえたうえで切り抜けることはできる。しかし、二次を、いやここではフィクションといおう、フィクションを完全な現実の代償として把握したとたん、おそらく精神は死を迎える。俺はそれをやろうとして失敗した。なぜ失敗したか。理屈としてはあたりまえの話で、フィクションのキャラクターを価値のあるものとするならば、現実に存在するものはすべて価値がないものになるからだ。そしてすべてが価値のない世界では、自分もまた無価値なものになる。自分が無価値であれば人は長くは生きられない。
太字は勝手につけました。
これも、太字部分のところが、よくわからない。
フィクションのキャラクターを価値のあるものとすると、どうして、現実に存在するものは全て価値がなくなるのか、が。
フィクションのキャラクターも価値があるし、現実のものも価値がある、という共存は充分可能だと思うのだが…というか、事実この世は今そうなっていると思うのだけども。
だいたい、フィクションのキャラクターは、「現実」に存在しているんじゃないのか??寧々は、肉体(脳含め)を所持していないだけで、寧々という「キャラクター」は実際存在してるんじゃ。
もう10年も同じキャラクターにわき目も振らず恋をし続けているんだけどさ、
逃避というより、自分としては、励みになってるんだよね。
まあ、片思いだからさ。彼にみっともない姿は見せられない、的な感じで。彼にふさわしい人間に1歩でも近づきたい、みたいな感じで。
時には、永遠に叶わないということで絶望しかけたり死にたくなることもあるけど、それでも「じゃあ想うのやめますか」って言われたらそれは絶対に嫌だ。でも楽になれるだろうなとは思う。
実際に肉体も何もないことを考えると若干の空しさがないわけではないけど、でも人間だっていつか死んで、人間っていう種族自体いつか滅んでそれを構成してた原子がまた違うものを構成するだけで、その繰り返しがある中、結局宇宙もいつか消滅することを考えると、肉体が無いだのなんだのいうのは些細な問題に、思える。
現実なんていうけども、この世自体、逆に言えば虚構みたいなものじゃないかな。どうせこの人生も一瞬しかないんだよね。しかも、特に何の意味もないわけで。そうすると、世間とか社会というものの方が、時に、寧ろ虚構のようにもみえる。
何にせよ別に三次元の恋だって辛さは多かれ少なかれあるわけだし、辛いからといって投げ出すわけにもいかない。
肉体がなく呼応してくれないことは辛いけど、それでもその辛さを傍に抱えながら、想い続けるしかないんだろうな。
妹が中三の時にバレーボール部の帰り道に
暴漢に襲われて、
泣きながら帰ってきてから早くも1年・・・
性格も豹変し、未だに一人で外に出れないくらい苦しんでいるものの
被害届けも出してないし、もう思い出したくも無いらしい・・・
兄としてどうしたらいいか分からん・・・
元々妹は明るくて活発でバレー部の副部長も務めるくらい積極的で
髪型もボーイッシュで背も165センチと高かったし(俺よりも)
胸も結構でかくて俺の自慢だった・・・
今は髪も貞子みたいに伸ばして
一日中パジャマな上にベッドで少女マンガばっかり読んでる・・・
夜中トイレ行く時とかに妹の部屋の前を通ると
声を殺して鳴く声が聞こえる事もある・・・
後ろから抱きしめる形でピタッと引っ付くと、
初めビクッ!とした後に『なんだ、お兄ちゃんか・・・^^』って
反応を見ると、未だに一年前のことを引きずってんだなぁと思う
妹はレイプされてから親ともあまり会話が無く
親父もどう接すればいいか分からないみたいで
俺だけが妹と変わらずに仲良くしてた・・・
横で寝てる時とかに
妹にギュっと抱きしめられることがあるが
こいつは友達も知人も拒絶してしまったせいで、
ホントは寂しいんだなっていつも思う
当時はショック過ぎて家族全員が軽く鬱になった
妹は強姦されて以降、男性恐怖症&消極的&現実逃避をするようになった・・・
俺だけは以前と変わらず仲いいけど、親父とも上手くいってないみたいだ
妹がレイプされて以降に父親がどう接していいか分からずに
関係が妙な感じになったからだ・・・
父は妹を溺愛してたが故に、あまりの喪失感に耐えられず
妹を支える事が出来なかったんだと思う・・・
周りの男の顔は絶対見ないところとかから感じる・・・
周りに理由は一切漏らしてないから、
多分強姦されたこと知ってる奴は俺の身内だけだ
妹は友達とも連絡を取ってない(携帯も使ってない)
妹とは強姦される前より今の方が仲が良い・・・
自分でも最低だと思うけど、妹は元々活発で外を向いて生きるタイプで
妹も俺と似た気質になった・・・
小さい頃に『お兄ちゃん・・^^』と
俺の後ばかり付いて来ていた頃を思い出す・・・
妹がレイプされてことは悲しいが、でも仲良くなれたのは嬉しいことだ
でも、妹が寂しく夜に泣いてる所や、明らかに少女マンガの純愛の世界に
逃避してるのを見るのも目と心が痛い・・・
少女マンガや小説でも、刺激の強さを武器にして注目を浴びている
だが実際のレイプは酷いもので被害者のみならず家族の人生をも狂わせてしまう
震えて怯えて触れなくなってしまうほどのトラウマになってしまっている・・・
妹はもはや俺にしか心を許せない状態で
俺は、妹がレイプされて以降決してレイプ物のAVを借りる事は無くなった・・・
妹にとって俺はどう見えるのだろう・・・?
悩みを苦しみを俺に吐露してる時の妹の目に俺はどう映ってるのだろう?
そんなことを考えていると、慕っているこの子を裏切らない兄になるために
これから出来ることをしていかなければならないと強く思った
俺がまずしたことは陵辱系のアダルトゲームを全部捨てることだった
バレー部の副部長で、後輩をビシビシ鍛えるポジションだった妹の身長は
比較的小柄な家族の中で165と割と大きい方だった
俺も少し抜かれていたくらいで、今後どんどん離されるだろうと
俺は心の中で思っていて、それがどこか寂しかった・・・
だが実際にはレイプされて以降、妹の身長は一年で1センチも伸びなかった
もし妹がレイプされずにバレーを続け、高校でもバレー部に入っていたら
多分身長はぐんぐん伸びてたんじゃないかと思う
変わらないはずの背丈が何故かものすごく小さく見えた・・・
まるで昔に戻ったみたいだった・・・
あの頃のように接したいと手を伸ばしたものの、
妹は俺の知らない性の世界を知ってることに気付いた瞬間に
二度と戻れるわけが無いという現実に叩きつけられるのだった
妹がレイプされてから12ヶ月・・・
一年と表現すると何故か短く感じてしまうから
俺はそう心の中で表現している
俺の人生で最も長い12ヶ月だったと自信を持って言える
妹を救おうと、助けようとし今までの人生で最も妹を大切にした12ヶ月でもあった
青春を送って貰えると信じていた・・・
人生を楽しんでもらえるようになると
現実派は甘くなかった
妹がレイプされてから13ヶ月目は二度と来ない
だからこの12ヶ月と15年を俺の中で大切にしていきたいと思う
おわり
引用元:
自分の落ち込んだ状態の時、現実に立ち向かったときによく「これって鬱かなー」とか思ったりする感情を抱いていましたが、ずっと「ただの自称鬱だろう。」と自分に言い聞かせていました。
実際外に出て友人としゃべったり、またはネットをしたりしていれば何ともなくなっていたので、特に何も特別なことを考えていませんでした。今思うと、これは単純に現実逃避してただけなのかもしれません。
けど、最近は鬱状態になると「どうやって死ぬか」とか「いつ死ぬか」とかそういうことを考え始めている自分に気づきました。
躁状態の自分は別に死にたいなどと考えていないので本当に死ぬ前に、心療内科に行ってみようと思います。
そこで心療内科に行こうと思ったのですが、どうやって選べばいいのでしょうか。
単純に近所にある、というだけでいいのでしょうか。
見事に「そんな甘くはない」「生きがいなんて」系が多くてやっぱり行くしかないと思いました!
甘くはない系の人達は実際に殺し合いをした人じゃないなら僕に語らないで下さい!
戦争映画とか旅先で小規模戦闘みたぐらいじゃ僕と同類です!
老人がいくら僕に戦争の無意味さを語ってくれても、いくら残酷な映像を見たとしても、所詮はバーチャルクオリティなんです!
実際に見て、実際に目の前で人が躊躇なく殺されるのを見て、実際に銃口向けてくる人を撃ち殺さないと自分が真実かどうか
わかってないのを人に撒き散らすのはむしろ罪です!
以上のことから内容のある反応にお答えさせてもらいます!
http://anond.hatelabo.jp/20090816015057
目的は戦が否定されてる現代で合法的で尊敬される人殺しが出来る事、個人の感情とか人権が否定された場所で生きる意味を実感したいこと。
この2つです!「自分探し」なんか興味ありませんし「フランスの為」とか「平和」のためとかみじんも思いません!
似た様や人らと生きるか死ぬかの現場にいられればそれでいいです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816020741
年は気にしてます!あと自衛隊さんに比べれば体力は期待できませんがそこは根性でカバーです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816032053
サバイバルゲームは見てて気持ち悪いです!
自衛隊は憲法で自爆してて、闘えない軍隊じゃ単なる精神訓練所じゃないですか!
http://anond.hatelabo.jp/20090816102431
まさにそういう世界に憧れてます!
崇高な理想とかが全て否定されて、ただ作戦に忠実に機械になって仲間と一緒に目の前の敵を殺す。
相手が女子供だろうとなんだろうと、相手の人生を考えてる暇が無いくらい目の前で殺戮が行われてて、
自分が手震えてたり怖がっていたら死ぬだけみたいな。そんな感じゃければただの海外ボランティアです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816112151
昔は犯罪者の最終地点だったみたいですが今では精鋭部隊として頭も戦闘経験も優れた有能な部隊みたいですね!
だからという理由で諦めるようなシロモノではありません!留学にいくとか転職にいくとかそんな気分じゃないので!
>http://www.taisa01.com/how%20to%20join.htmが参考になるかもー/12分間に2800メートル以上走ることが入隊条件みたいだよ。がんがれ
楽勝です!3000で11分切ります!
がんばります!
>「命がけの現実逃避」という印象。仕事のやりがいとか、生きる意味とか、自分探しとか、こういうことに悩めるのって、結局のところ日々の衣食住にそれほど困っていないから出来るんだと思う。自分もそうだけど。
そう思います!自分ももしリストラされたり片親で日頃食べていくことに必死だったらきっと外人部隊なんて調べることはなかったと思います!
衣食住困らなくてもなーんにも日本で起きている事が楽しくない。
解散総選挙とかいうイベントはどうでもよいし、終戦記念日に靖国神社に群がる人の主張も説得力ゼロでした!
攻撃を受けたこともしたこともない人が何故反戦を語れるのか、甚だ疑問で仕方ありません!
>いや、まずhttp://www.legion-recrute.com/jp/読んでからいこうや。あと、合格率1割だか2割だかの狭い門だから、落ちた時の生活も考えた方がいーぞー。
英語版は全て読みました!日本語版と少し書いてること違ってます!
アジアで唯一日本語版だけあるんですね!歓迎フラグってことですねわかります!
>命はもっと粗末に扱うべきだ、というカイジの兵藤会長の言葉は理解するが、増田をそこまで追い込んだこういう社会を守るために命懸けで戦おうとする、ここが理解不明。
あなた勘違いしすぎです!
社会を守ろうとか戦争が無くなればとか微塵も思ってませんし!永遠になくなりません!戦は男の食欲とか性欲とかと同列なんです!
日本に帰って評論家とか民間会社に入る気もありません!帰った後知り合いに語っておまえらは甘い!とか言う気も毛頭ありません!
そういうヨコシマ(金儲け)な将来に興味も関心ももてないんです!
>生きがいを「求める」のは違うんじゃないかな。生きがいは、誰かが与えてくれるものじゃないからね。
あなたみたいに実態の無い物を語ってる社会に嫌気が指すんです!
もうパスポートと書類も作って今月中にとりあえず行って試験受けてみるので数年後どこかにネットが使える場所があったら増田で何か書きます!
ではさらば!
二次オタに対し「現実逃避」だとか、「代替で我慢」だとかいった類の言葉を投げかける人がいる。
今まで反発していたけれども、本音を言ってしまえば、その通りだ。
現実で抱き締めたい、柔らかな髪を梳きたい、美しい耳を甘噛みたい、あまり大きくない胸に顔を埋めたい、情を交えたい、子供は二人欲しい、情熱なんていらないから、自然と微笑めるような心地よい倦怠感を共有したい。私はこういう思いを抱いているし、たぶん、他の多くのオタクも同じだと思う。
でも、反射的に努力しろよなどとは言わないで欲しい。或いは、努力は必要かもしれないが、その努力は一般に想像されるものとは全く違ったものだ。確かに二次に陶酔するのは代替でしかない。けれども、何の代替なのか。二次のあの子の代わりになる現実の女はいない。
私は三次元のこの世界に生きているから、この世界の流儀でしか想像できないし、恋できないし、愛せない。だから二次元の存在はいつまでも代替でしかない。私には二次そのものをそれ自体として恋し愛することは出来ない。けれども二次は三次にはなり得ないから、代替で我慢するほか無い。二次という代替か、現実の女という代替か、そのどちらかの代替を選ぶほか無い。前者は愛でることの出来ない本物で、後者は愛でることの出来る偽者。
A「まったくきみは現実から逃避しているのだよ。目の前の習わし、風習、決まり事、自分にとって面倒なすべてのことを否定しては、僕はヒトとは違う、なんて言葉を吐いて優越感に浸っている。君は逃げているだけだ。現実逃避だよ。どうだね、何か反論は出来ないのか」
B「現実を否定するのが逃避だとは誰が決めたのだよ。眼前に広がる常識を疑って何が悪いのかね。むしろ、きみたちは常識を受け入れることによって、自分の頭で考えることから逃避しているんだよ。妥協している。それこそ逃避だよ。現実逃避。現実へ逃避しているんだ。”逃避”という言葉について少し考えてみようじゃないか。行動として簡略化した場合、それは本質的には単なるある一方向への移動とみるべきだよ。相対的であれ絶対的であれね。つまり相対的な逃避とは例えばよく使われる意味での現実逃避だよ。”現実”が存在していて自分は立ち往生している。これも逃避として考えられる。つまり現実が時間的に進んでおり、相対的に見れば自分が後方に移動して見える。だから逃避だ。だからだね、逃避というのはある一方向への移動として考えられる。ここで重要なのは”ある一方向”という言葉だよ。これはanyではなく特定の一方向だ。しかも面倒だが、其の方向は相対的であるべきだし、ある場合はそうなっている。其の相対性は個人個人の価値観と社会の価値観のバランスによって位置づけられる。ある直線を仮想して一方を物事のあるべき姿、追い求める価値観だとすれば、その逆方向に進むことが逃避である。つまり君は僕が現実逃避しているとおっしゃるが、その逃避の判断基準の底には、無意識的にではあるけれど社会から強制された価値観がでんとたたずんでおらっしゃる訳であるのだよ。僕が現実逃避ではないことを論理立てて説明するには、社会の価値観を僕が細かく切り分けてその問題点を明快に説明する必要があるわけなんだが。物事はそうは単純にはいかない。社会通念そのものを否定するのは傲慢というよりは無知だよ。結局僕は自分が現実逃避していることを否定できない。それとは逆に僕が君の行為に現実逃避とレッテルを貼れば君は比較的簡単にそれを論破できる。その社会的な価値観を行使することによってね。社会とは過去から積み上げられてきたものだから、社会の価値観であれば、それ自体が肯定される理由となるんだよ。ジャイアンの「お前のものは俺のもの」理論だよ。社会は強者だ。この強権を行使して僕の価値観は否定される。なんということだろう。こうして僕が一生懸命、価値観の本質を追究しようとしても、いとも簡単に否定できる。ああああああ。なんということだ。なんということだ。」
A「そういった思考が逃避というのだ。君の考え方は、考えるために考えているとしか思えない。答えもなければ対策もなく発展もしない。全く持って役に立たない。」