きょうだいの一番上に生まれた。
両親はともに末っ子かそれに近い位置。
「一番上なんだから」と、自分のこと+きょうだいのことをやるのが当然!という環境だった。
「怒られたくないから」「ほめられたいから」こどもだった自分は健気になんでも頑張った。
しかしそれをほめられることはついになく、気付けば思春期、受験、そして、大人になっていた。
自分の話を聞いて欲しかったら人の話をきけ、
優しくして欲しかったら優しくしろ、
とか、そんな風に厳しく言われてきて、それについては今でも納得している。
逆に言ってしまえば、
意地悪する相手に優しくする必要はない、と、思っている部分がある。
両親ともに、年を取り、きょうだいの半分は家を出た。
家にいる時間が長くなり、私たちこどもと接する機会や時間が増えた。
しかし、こどもといえども、もう大きくなってしまった。
私の話をこれっぽっちも聞かず、それでも聞いてくれとアピールすると、
①無視②うるさいと怒られる③殴られる のどれかだった。
のに、だ。
二人とも話しかけてくる。あれもこれも、と。
私は冷たく接する。
だってあのときあんなに冷たく接したじゃないか。
あのとき私はこどもだった。
両親以外に頼れる人も好きな人もいなかったのに。
唯一無二だった二人にあんな寂しいつらい思いをさせられてどれだけ悲しかったか。
そんなことなかったかのような、二人の現在。
私は優しく接することができない。するつもりもない。
学費を出してくれたことには感謝している。
でも、それだけだ。
この二人は気付いているんだろうか。気付くのだろうか。
それとも、どんな風に接しても、こどもは大人になれば親を尊敬し面倒を見ると思っているのだろうか。
成人かどうか言うためのもう一つの方法は、挑戦に対してどう反応するか見ることだ。まだ成人にならない人は、大人に挑戦されると、彼らの支配を認めるような仕方で反応する。大人...
>しかしそれをほめられることはついになく、気付けば思春期、受験、そして、大人になっていた。 どこが?