はてなキーワード: 末っ子とは
「学校に行きたくない」と泣きじゃくる娘 - OhmyNews:オーマイニュース
この記事の次女の不登校の原因、担任の先生と合わないからだと書かれているけど、
やっぱり家庭にあるんじゃないかと思う。
私の友人で同じように両親ともが教師な人がいて、子どもの頃の気持ちを語ってくれたことがある。
両親ともが教師というのは、忙しいから構ってもらえないというだけでなく、
親の生徒に愛情を奪われているという、一種の嫉妬のようなものを感じていたそうだ。
上の子なら、弟や妹に親の愛情をいくらか奪われる体験があるけど、
末っ子の場合は親の愛情を独り占めしたいものだから余計に生徒に対する嫉妬が強いのではないだろうか。
本当に学校に行きたくないというより、親の気をひきたいのだと思う。本人は無意識にしろ。
学校を休むと親も仕事(学校)を休んで自分だけを看ていてくれるし。
自分が学校に行きたくないだけでなく、親を学校に行かせたくない気持ちもある気がした。
人前でうまくしゃべれないのも、先生の子どもだからうまくやらなきゃっていうプレッシャーがあるんじゃないか。
この人、自分の娘に対しても教師としての視点で見てる印象を受けた。
もっと親と子として考え直したらどうかな。
自分が末っ子のせいか、男性は年上がいいです。昔からずっとそうで、30歳になったいまでも、かわりません。彼氏も年上です。
一度ひとつ下の人と付き合ったけど、相手の性格もあるだろうが、変に頼られて参った。せめて対等でいてほしい。自分は君のママじゃない。
19歳の頃は、周りがジャニーズJr.とかに興味を示し始めていた。
自分は、緒形拳とかが好きだった。「きっと20代になれば、自分の衰えとともに、だんだんぴちぴちの年下が魅力的に見えてくるんだろう!私も」と、「人間というものはそういう風にできているのだろう」と思っていたのだが、20代後半になっても、ジャニーズJr.は皆同じ顔に見えてたままで、好きな芸能人は田村高廣だった。
今好きな芸能人は、佐々木蔵之介とか吹越満とか(田村高廣死んじゃって、泣いた。おじいさん系だと、今思いつかないな)。若い方では、「若い可愛いこって誰が好きよ?」って、がんばって見つけてみるとV6の岡田准一だったりする。ちょw 岡田27歳かよ、若くないじゃん(一般的には)。
確かに生物学的には間違っている気もするが、自分は多分、年下の立場で守ってもらうことで生き抜くタイプなのだろう。
うん。元増田は釣りだと思うけど、書いてみた。だから、30代40代の未婚の皆様!年上好きの女性も必ずいるからね!いっとくけど、ファザコンというより自分はシスコン(姉コン)ですよ・・・。
子供4人
正確には5人。次男の森不律(Fritz)は生後半年で亡くなっている。彼を除いた簡易家系図を書くと
読みの後ろに「*」が付いてるのが鴎外自身の命名。そうですねー。鴎外はいま流行の「姫空梓(ぴくしー)」とかDQN命名の元祖なんですねー。Jaquesとか、もはや字自体がヤバいしw 自身の本名「林太郎」がドイツ人に正しく発音されなかったことがコンプレックスだったとか。
しかしまぁ。みなさんDQNネームに負けず、旧帝大、早慶出ばっか。孫の代まで見てみても、まず8割方著作がある。偉大な家系ですわ。
「歴史…青年期あらゆる希望を胸に、いきりたって人にケンカ(論争)をふっかけた鴎外。
以後官僚として栄達をのぞみ、ドロドロした権力闘争にも身を置いた鴎外。
歴史…それは男の当然の生き様であるが、晩年のわずか五年間、鴎外、
栄達がのぞめなくなると急に肩の荷が降りたのだろうか?
彼は負けたのだろうか? 男の生涯、ただの男になって死に様を見つけた。」
エレファントカシマシ / 歴史
アニメ版の時をかける少女が良かったので、大林監督の時をかける少女を観てみました。
最初に言っておくと、この作品が良かったとか悪かったとか言うつもりはありません。
コミュニケーションの感覚があまりにも現代とはかけ離れている感じがして、
そこばかり気になってしまい、自分にはまともに見ることができませんでした。
ほとんど冗談のように見えてしまうのです。言ってみれば突っ込みどころ満載というやつです。
映像表現としての古臭さだったりというのは、無関係ではないものの、ややこしくなるのでここでは置いておきます。
自分が触れたいのは、作中で描かれている人間関係、やりとり、コミュニケーションについてです。
現代と比較して、人と人との距離感が近い(近過ぎる)様に感じました。
正直に言って、暑苦しい、鬱陶しい、といった感じでしょうか。
異性にベタベタ触ったり、クサイ台詞を平気で吐いたり、客観性があまり感じられません。
要するにイタイのです。
もしも現代にこういう生徒がいたら、イジメの被害に合うのは目に見えています。
例え田舎でも、ここまで密接ではないんじゃないかと思います。
この作品が好きな方々がもしこれを読み、不快に思ってしまったらごめんなさい。
念のため言っておきますが、断じて作品にケチをつけるつもりはありません。
映画ということで多少大げさな表現があるかもしれないのを考慮に入れても、
この作品が多くの人に受け入れられていたということは、当時はそういう時代だったという事でしょう。
時代が変われば人も変わって当然です。
この時代の人間関係のあり方を貶すつもりもありません。
では何が言いたいかと言うと、ジェネレーションギャップというのは確かに存在する、という事です。
少なくとも自分には、この映画は鑑賞に堪えるものではありませんでした。
それほど隔たりが大きかったのです。特にコミュニケーションという点において。
自分は現在22歳で、両親は二人とも60歳をとうに過ぎています。
姉が二人いて、自分は歳の離れた末っ子として生まれました。
母がちょうど40歳位の時の子供です。
予定外の出産だったのかどうかは分かりませんが、
家の部屋の空きが足らず、姉弟の中で自分だけ、高校に入学するまで個室がありませんでした。
学校から帰ったら誰かしらいる居間で過ごすか外出するかのどちらかで、夜は両親と同じ部屋で寝ていました。
そういう環境だった為、必然的に両親や姉との距離はいつも近い状態でした。
今、当時の事を思い出しながら書いています。
その頃、自分は周りの子に比べてかなりイタイ子だった様な気がしてなりません。
人から冷たい視線を受けていた感覚が沢山残っています。確かに冷笑されていました。
でも当時は馬鹿にされている事すら分かっていませんでした。
自分を見て笑ってくれていることが嬉しいとさえ、思っていました。
大人になるにつれて、徐々に自分がイタイ人間である事に気付き始め、
異常な自分に対する自己嫌悪、加えて自分の異常な言動を起因とするコミュニケーション上の痛み、
それらが同時に襲ってきた十代の後半の頃からは少しずつマシになっている気はするのですが、
今でも人と滑らかなコミュニケーションを取れる自信はありません。
人といたところで、やはりどうしても自分で自分の首を絞める(止められない)事になってしまい、
どうして、自分は小さい頃からあんなにイタイ子だったのでしょうか。
考えた事を、ごめんなさい。お願いします。言わせて下さい。
やはり家庭環境が大きな一因であったと思うのです。
両親に対して育ててくれた恩義を忘れるつもりはありません。
末っ子の自分を可愛がってくれた姉達に対してもそれは同じ事です。
でもどうしても、自分と親の歳がすごく離れていることと、長い間自分の部屋がなかったことが
自分の中でとても大きく感じてしまうのです。無関係とは思えないのです。
この歳になってみて、両親と話しているとジェネレーションギャップの大きさに驚きます。
姉達とさえ、ギャップ(溝)は感じるのだから当然のことです。
今では溝の深い家族ととても密接に暮らしていて、その頃は溝を感じていなかった。
つまり溝は家族との間ではなく、家族以外の他者との間にあったのです。
自分が「時をかける少女」を観て抱いた印象(上記)を、他者は自分と接して抱いたに違いありません。
成人した人間が、こんな事に拘っていること自体、馬鹿馬鹿しく聞こえるでしょう。
実際にこの話を家族に何度かしたことがありますが、
そんな訳がないとか人のせいにするなとか、家族の誰も決して認めてくれようとはしません。
だからこそこんなことにいつまでも拘っているのかもしれません。
勿論自分の人生の責任を誰かに取らせたいなどと言うつもりはありません。
ただこうなった原因を自分の中でハッキリさせたかったんです。
朝から長文失礼しました。
わあ、同じ子がいるw (でも私は長子^^;
高校くらいまでは本を読むのが好きだった。(今はまったく読んでない。やばい。
テープで聞くだけで、家庭内の会話が極少だったため(弟が生まれるまでほぼ無言だった)
その後、話し言葉を習得するのに困った。
主語や述語がちゃんと繋がっていないと意味がうまく取れない。空気読めない。
物語や、テストの回答文みたいな話し方以外の会話のサンプルを、ずっと聞いて集めてて、だんだん話すのを試せるようになっていった。
今もまだズレてる気がするけど。
そのために、女性はおしゃべりなんだと思った。これは正しい。
ダンナを養ってる元増田や、優秀なお姉さんを2人持ってる末っ子元増田を否定したってどうしようもないんだけど、
たぶん元増田たちも、これから先まだまだ色々な場面でその在り方を問われることは予想できるよなとか、
そんなことは思った。
世間体やメンツを気にする男たちなんて放っておけばいいよ。
その通りなんだけど、同じように「私はこう」という話をさせて貰うと、
自分は「世間体やメンツを気にする男たち」の末端にいる身として、この心理は何なのかやっぱり悩むな。
そういうふうに突き抜けられたらいいんだろうけど、何と言うか、この弱さもあえて手放したくはないというか、
もうちょっとこの小ささに付き合ってみてもいいんじゃないかと思う。
そうやって弱さと戯れているうちは、例えばブログに書くようなこともそうないだろうとは思うんだけど。
ブログとかネット上の日記を見てて思うのは、やっぱり言葉におこすには、増田のように突き抜けてしまうとか、
それを困難の末に克服したとか、そういう言説が適しているのかなと思う。
決してくさしているわけじゃなくて、日々なんとなく、弱さと付き合っているのって
人が見て一つの物語として理解できる文章にはなかなかしづらいと思うんだよね。
まあ、少なくともぶくまが付くようなものにはならない。
そういう意味では弱さと戯れる類のグダグダ感というのは消費すらされずに、
そのままグダグダと残っていくんだろうけど。
世間体やメンツを気にする男たちなんて放っておけばいいよ。
元の書き込み(anond:20070708015545)への反応を見て、今日の増田は平均年齢低いなあと思ったよ。
こっちが全くそう思ってなくても馬鹿にされてるんじゃないか見下されてるんじゃないかと思う人が、女サイドとしては一番扱いに困るのよ。
これがよく言い当ててる。
「私はこう」って話に「いやそれはおかしい」「そういう女は少数」みたいなことを言われても、元増田は実際そうだしこう考えてる。そのことすら否定したがるなんて、ずーいぶん打たれ弱いね僕ちゃんたちは。
優秀なお姉さんを2人持ってる末っ子増田(anond:20070708063614)に噛みついていたのも同じ増田かな。大きくなれよ。丸大ハンバーグ。
それは3万だと大変だから言い訳考えて2万でいいようにしてくれたって話だよw
1万だとちょっと格好付かないもんねー、大変だ。
ところで関係ない話だけど、前に母方の祖母の内輪の葬式みたいのやった時、そこのまあ長老格(祖母の兄弟の末っ子なんだけどすでに彼一人しか残ってない)のおじさんが、とある異常犯罪のこと取り上げてさー。
と始めた時に。
「あ、あれウチのすぐ近所だったんですよー、すっごいショックっていうか怖かったですー(><;)」と返したらば、さっくりあっさり収まったっていうか、可哀想にと慰められたという顛末なわけで。じじいってちょろいな、と思ったりしたんだが。
まあそれって、本当に優しいってことでもあるよね。
女だからカケ数倍甘いことは否定しないけど、男が頼ってもそこそこ効果あるしなぁ。
まあなんというか、なんでも物は見様なのではないかとも思うよ。
なんとなくいい子だなと思っていた男の子に告白されました。
とても幸せであたたかい気持ちになって、年甲斐もなく世界がキラキラして見えました。
でもどうしたらいいのか分かりません。
なぜ私なのですか。
私とあなたはとてもとても離れています。私の方があなたよりもずっと年上です。あなたは学生で私は働いています。
もっと近くに、例えば同じ学校の中に、もっと若くて素敵な女の子がいるのではないでしょうか。
あなたが年上の女性に甘えたいのなら、末っ子で甘えん坊な私ではダメでしょう。
それにこんなに離れていたら、そう簡単にあなたを抱きしめてあげることも、あなたに抱きしめてもらうこともできないのですよ。
あなたが私を幸せにしたいと思っているのなら、私は既にあなたに会えないさみしさでこんなに辛いのですよ。
なぜ私なのですか。
そしてなぜ私たちはこんなに離れているのですか。
末っ子は甘やかされるからねえ。妹さんには一度一人暮らしをさせとかなきゃね。
父が何もできない人だ。母がいなければまともな食事は食べられず、がんばって洗濯(全自動)をしてもしわしわのまま干して取り込みは忘れるだろうし、脱いだ服の始末を忘れて靴下をなくしてばかりだろう。
なのに、まったく不安がないんだよね。自分の生活力のなさに対して。
万が一母が先に亡くなってしまったらどうするんだろう?子供が来て自分の世話をするのが当然と思ってるんだろうか(実際その節もあるなあ)。
さらには、自分に生活力がないことを棚に上げて、母に向かって「お前は俺の世話をするのが当然だろう」と言った発言をよくするのだ。自分ができないから母にやってもらっているのに、母がやるのが当然だからやらせているというような雰囲気。
自分で自分の世話をできないやつほど、傲慢な発言をするのはなんでだろう。父も、ν速+民も。以前増田に己の傲慢さを書いていた高校生のような感覚をいつまでも持ち続けている幼さにいらいらする。
今年は月額14100円です。一年分まとめて前納すると3000円引きになって166200円です。
21歳大学生なんだけど、父は今年60歳、母は52歳。
両親の祖父母とも健在で、上から順に88歳、86歳、80歳、76歳。
ちなみに父方の祖父母の孫は俺を含めて14人います。
母方の祖父母の孫は俺を含めて6人います。
父母とも末っ子で当時にしては晩婚だったのでどっちの家から見ても、一番年下の孫なんですと。
母方の親族で、3人いる叔父叔母は、まだ年金受給者はいません。
父方の親族で、祖父母の孫にあたる14人の中で、結婚しているのは7人です。
その7人で、子供(祖父母から見た曾孫)は6人だそうです。
父方の祖父母の暮らす家は二世代同居で、みんな年金受給者になってしまって数年たちます。
他の親族はみな高度経済成長期に関東圏に出てきていて、新潟県内で暮らすのは、孫の中で一人。
最近では、祖父母の元に会いに行く孫も少なくなって、たまたまツーリングが趣味な自分と、
その家で暮らす叔父叔母の娘二人(30代)ぐらいしか、顔を出さないらしいです。
そんなわけで、年金保険料は祖父母に頂いたおこずかいで賄っていたりする悪い孫です。
爺ちゃん婆ちゃん、末永く長生きしてね。
わたしはとてもあたたかい家庭で育った。
私は家族を愛している。
私は両親に感謝している。
私の両親は仲がいい。
私の父は私に似て(逆か)偏屈だし空っぽだし人の話は聞かないくせに自分の話は聞いてもらいたがる褒めてもらいたがりの構ってちゃんでおまけにのんべえである。
そんな父は職場でも敵を作りがちである。
私はそんな『私そっくり』な父にフクザツな感情を抱かないでもないのだが、母はそんな父を愛しているようだった。
『生まれ変わっても結婚する』とかいうような事をこの前も(冗談めかして、ではあるが)言っていた。
ふたりの距離感はとても絶妙な気がする。
付かず、
離れず。
正直うらやましい。
私の母は愛にあふれた女性である。
私や父や姉だけでなく、私の友達にも、分け隔てなく接してくれる。
私が友人や彼女を連れてくると(私がちょっと恥ずかしくなるくらい)すごい勢いで喜んでおもてなしをする。
私はそういう時ちょっと嫌な顔をしてしまったりするのだが、友人達が喜んでいるのを見るとやはり感謝しなくてはいけないな、と思うのと同時に、この女性の愛の深さに感嘆するのであった。
ふと、母や父の若い頃の事を考えてみる。
母は中々に美人であるし、前述の様に器量も良い。料理もうまい。さぞモテた事であろう。
しかし私の父はそうでもない。イケメソな訳でもないし、背も高くないし、収入もそこそこだし、モテた訳ではないだろう。
この二人はどのようにして恋に落ちたのだろうか。
聞いた事無いので私は知る由もないし、聞くのも何だか恥ずかしいので暫くは謎のままだろう。
プラネテスのハチとタナベみたいな感じで結婚したんだったらちょっとショックだなぁ。と思わなくもないが、まぁ別にどうでもいいや。
とりあえず私が言いたいのは父グッジョブ、ということである。
両親は私のことを心の底から愛してくれている。
こんな偏屈だし空っぽだし人の話は聞かないくせに自分の話は聞いてもらいたがる褒めてもらいたがりの構ってちゃんな僕を。
本当にありがたいと思う。
僕も両親を愛している。
ただ、僕は両親が僕を愛してくれているほどには彼らを愛していないのだと思う。
でも、まぁ、ハタチそこそこの大学生なんてこんなもんだろうな、とも思う。
堪忍して、とーちゃんかーちゃん。
私には姉がいる。
この女は謎だ。
私は彼女についての一切を知らない。
十数年一緒に暮らしていたが未だに謎である。
と、
行動はかなり天然ではあるのだがそういった趣味の面においてはフッツーな姉
とではまあウマが合うわけもないのだが。
私は末っ子なだけに姉よりも甘やかされて育てられた(我ながら甘え上手だとも思う。多分女だったら絶対モテてるぞ俺)から、姉には色々迷惑をかけた事もあった。我侭言ったりしたし。
しかし、不思議と仲が悪いわけではない。
私達はお互いのことをあまりにも知らなすぎる。
だが、血の繋がりというのは意外にも深いのだなぁ、と思う。
何も知らなくても、やはり僕はそこそこに姉の事を愛している。
姉も僕を愛してくれていると思う。そこそこに。
これから先、私と彼女がこれ以上歩み寄ったりすることは無いと思う。
でも、やはり根っこの部分で私と彼女の人生は交わっているから、今より離れてしまうことも心配する必要はないんじゃないかな。と思う。
私は私の家族を愛している。
以前付き合っていた女の子に、君の家族は『理想』だ。素晴らしい。と言われた事があった。嬉しかった。
願わくば彼女がその一員になってくれれば良いのになとか思っていたのだが、今となってはそれは叶わぬものとなった。
彼女は僕の家を訪ねる『友人達』のくくりに戻っていった。それはそれで嬉しいことだな、と今は思う。
話が逸れたが、私は私の家族を愛している。
私自身はあまり誇るものの無い人間ではあるが、この家に産まれて良かった、と自信を持って言える事だけは確かだ。
叔父が亡くなり、叔母と高校生の従弟が残された。
末っ子の私は本当の弟のように従弟を可愛がって可愛がって、今でもあの小さい頃の舌足らずな会話を思い出す。
葬儀では涙一つ見せずに痩せた母親に寄り添い、沢山の友人が来てくれて嬉しかったと笑った。
これからはシンプルな生活をすると断言し、沢山のマンガを処分した。
彼は急激に大人になっていく。
いくつになってもチビで、こないだやっと私に追いついた身長以上にどんどん大きくなっていく。
あんた成長するのはいいけどね、私と背比べした去年みたいに背伸びはすんなよ。
叔父さんの大きくてやさしい手や背中にはまったくぜんぜん敵わないけど、
あんたに差し出す手は周りのみんなが持ってるんだからそれを忘れんな。
周りを利用して、必要な時には甘えて、それで大きくなれ。
私も、みんなもそれが嬉しいんだ。絶対忘れるな。
最初は幸せだった。初対面で直感したとおり、これまでの仕事に恵まれなかっただけで、彼女の知性にはキレがある。コミュニケーション能力も高い。経歴で判断できるよりもずっと仕事ができるはずだ。そして仕事をどんどんまかせた。どんどん育っていった。でも、そのうちあれ、と思った。自分のプロジェクトのはずなのに彼女にのっとられている?
自分は正直コミュニケーション不全である。対人恐怖の本性を経験年数と業務知識でカバーしているだけだ。そもそも心の底から他人が嫌いなわけでもないのだが、コミュニケーション手法がぎこちないので、他人からはどうしても距離をおかれてしまうタイプ。他人を愛しも他人から愛されもしないタイプ。経験値が足りないため、対人コミュニケーションのスキルは洗練されず、年齢を重ねているわりにはきめ細やかな心配りができない。他人の当意即妙な反応を見て自分もそういう反応をすればよかったのだ、ということを思いつかなかったことにショックを受ける。心を許せる友人も職場に誰ひとりいない。仕事をこなすだけで精一杯。他の人間から飲みにさえ誘われない。寂しい。しかし寂しいながらも自分のプロジェクトだけはきちんきちんとこなして成果を挙げているのをただひとつの心のよりどころにしていた。
ところが、彼女は巧妙である。雑談から入って他人の心をつかむことにたけている。頑固なおやじも篭絡。お局さまのお気に入り。自分のミスは最小限に見えるようにふるまう。たちが悪いことに、それに悪気はまったくない。素だ。裕福な家庭に育った愛される末っ子。不器用な長子に比べ、親の愛を得るための立ち回りが格段にうまい末っ子だから。その反面、他人のミスが大きく見えるよう、他人の判断ミスについては大きく見えるよう人に吹聴する。処世術だ。派遣契約を切られることのないよう。人事権のある人間にアピールするよう。メールで。女子トイレで。ランチの場で。休日の飲み会で。こちらが入り込めない場で。
プロジェクトリーダーはプロジェクトを把握していない、リーダーをたててアシストしているけど、本当の実権を握っているのは自分。彼女は遠まわしに周囲に信じこませる。周囲はあっという間に信じ込む。だってあんなに賢くて信望の厚い、お局さまも一目置く、彼女の言うことなんだから。業務知識よりコミュニケーション能力が大事。実際に行っている作業の質や量より、他人に与える印象の方が大事。「彼女、感じがいいし、がんばっているみたいだし?」
そうして、リーダーの意見は聞かれず、彼女の意見がまっさきに聞かれることになる。こんなはずじゃない、なんで、と焦ってリーダーは自信を失い、ますますミスを増やしてしまう。周囲の信念は強化される。やっぱり彼女の言ったとおりじゃん。頼りになるのは彼女じゃん。
そうしてプロジェクトはゆらぎはじめる。…船頭は一体誰なんだ?
というわけでごめんなさい、私はもう耐えられません。船をおります。なぜこの小娘に負けたのか、プロジェクトから離れてゆっくり考えてみたいと思います。