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はてなキーワード: 怨念とは

2009-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20090921230933

こんな事を言う女だから売れ残るわけだな。納得。

女は出産という明確な年齢制限があるから必死になるのは分かるが、

本気ならせめて二十代前半には結婚してないとね。

男もアホだから恋に目が眩んで結婚してくれるよ。

荒フォーとか荒サーとかなんてマスゴミ流行らせたいだけだから

鵜呑みにしない方がいいよ。もう遅いかもしんないけどね。

女は高齢になるほど子供の障害率が上がるから大変なんだよね。

俺は男だが

あえて言わせてもらう。

お前死ねよ。

童貞オタクが嫉妬怨念丸出しで知ったかぶりしてんじゃねえよ。

お前なんかに生きてる価値ねえよ。

さっさと死ね

2009-09-16

今、増田が350942件目

匿名はてなユーザたちの怨念をもう35万件も吸ってきたわけだ。

10万件ごととか、定期的に念仏供養をした方がいいんじゃね?

僕が筋トレする理由

理由は自分への自信と人への威圧感です。

筋トレ始めたのがガリガヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先

バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を

持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部部員

くらいの体格になりました。

で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に

転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して

しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで

とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。

小学生のころとか気が弱かったのにね。

今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という

気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。

いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。

とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が

あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも一発入れば

立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。

文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジック威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→

自信→良い仕事仕事の結果でる→良い対人関係→たまに僕が大声で怒鳴って対人関係ヒビ入る人いる→

ていうかこのループそろそろ限界みえてきた→性格改造したほうがよくね?、みたいなところです。

まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が

生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(Aラン)に入って

院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)

仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。

ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや

という怨念の原風景筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな

人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分アイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を

形成して何とか生きて来れたのかもしれません。

筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと人を拳で殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり

しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。

かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、

というお話でした。

2009-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20090817234715

「中身空っぽの美形の異性を好きになって、簡単にセックスする」ってトコに怨念を感じるよ。

2009-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20090815045312

A1は、当然結婚相手には不自由しない。

A2は、恋愛はともかく、結婚相手としては低評価。ただ出来婚とかで結婚する場合もある。

B1は、空しくなるか呆れるか。最も女性を求める時期に相手にされず、経済力目当てに今頃寄ってこられても…。

B2は、まるで相手にされない怨念を溜め込むだけ。

結婚を通じて幸福を獲得できるのはA1だけだよな。

俺は当然A1でない。

金目当ての婚活女が寄ってくるような高ステータス一流企業勤務ではないが、しいていえばB1だろう。

スクールカーストとか就活におけるリア充至上主義とか非モテへの差別偏見迫害とか、

この国における「コミュ力を基準としたヒエラルキー構造」に徹底的に抵抗するために一生結婚しないつもりだ。

同窓会で考えた

中学校の時の同窓会が、ほぼ毎年開かれている。

まあ同窓会最中はそれなりに楽しく過ごしているが、クラスメイトの消息を聞くたびに、日本では

結婚に至るためのシステム破綻しているんじゃないかと感じてしまう。

あまりいい気分じゃない。


中学生1クラスが大体40人で、このうち男子20人、女子20人。

男子20人のうち、女子に相手にされるのは外見が良かったり、コミュ力があったりする10人程度

これをAグループとする。そしてあまり相手にされないのは10人程度、これをBグループとする。


A:10人 B:10人


20代前半くらいまではこの序列はあまり変わらず、Aグループ10人は女性に不自由しない生活をおくる。

一方Bグループ性的に不遇な青春時代を過ごす。


時がたち、年齢が20代半ばくらいになると、今度は就職先等で新たな“経済力格差”が出てくる。

ある安定したまともな職に就いているグループを 1、フリーター派遣等,無職等の不安定な立場に

甘んじているグループを2、と区分する。当然女性は1グループを中心に男性を評価するようになる。


A1:5人 A2:5人 B1:5人 B2:5人

※とりあえず会社勤めの正社員ってだけで「1」にしている。実際それなりに真っ当な職場となると…


A1は、当然結婚相手には不自由しない。

A2は、恋愛はともかく、結婚相手としては低評価。ただ出来婚とかで結婚する場合もある。

B1は、空しくなるか呆れるか。最も女性を求める時期に相手にされず、経済力目当てに今頃寄ってこられても…。

B2は、まるで相手にされない怨念を溜め込むだけ。

なお、現在結婚してるのはA1が3人、A2で2人、B1で1人、B2で1人。


以上、男目線で分析してみた。

綺麗過ぎる数字だと思われるかもしれないけど、聞いた話を総合するとこうなる。

ちなみに通っていた中学校は某地方都市の公立中学。今の年齢は35歳で、所属はB1(笑)。


何というか…元々「恋愛」と「結婚」って他者を受け入れるためのものだったはずだけど

現状はただの選別・排除システムでしかないよなと思う。

とにかくコレを何とかしないと、少子化なんて絶対解決しないよな。

2009-07-14

新彊ウィグル自治区路地裏の真実

宮崎正弘トンデモ中国真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)

 

(拙著からウィグルの紀行部分のダイジェストです)

モスクに祈りの音楽が聞こえない

ウィグル自治区で殆どのモスクイスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。

新彊ウィグル自治区地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。

大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区カザフスタンキルギスアフガニスタンパキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。

国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派ゲリラ武器中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。

極めて厳しい自然環境乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメット信仰している。

漢族回教徒を目の敵としたのには歴史因縁がある。

中世から近世にかけて現在中国北西部を収めていた元は原住民イスラム信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民漢族に立ち向かうようになった。

新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。

あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。

 

ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安チチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスク信者がちかつかないのだ。

冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタンウズベキスタンタジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラーアクバール」とコーランが流れているのを聴いた。

ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪

イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。

しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。

▲ウルムチは「砂漠チャイナタウン

一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。

寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区トルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。

北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。

イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国拙速にも北京と妥協したのだ。

 (中略)

村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランテープCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。

あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス茶髪ショートパンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。

ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ市民公園遊園地漢族家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルチャイナタウン」ではないか。

街の看板漢字アラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル大通りに溢れるのはトヨタ日産ホンダの車である。

服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラー民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。

最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。

都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。

中国沿岸部の人たちは競って英語日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。

~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~

仏教遺跡はすべて破壊された

「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。

南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。

交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教イスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。

嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャン石仏イスラム原理主義過激派らはミサイル破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。

南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカルモスク中国イスラム教徒メッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。 

現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒怨念はなまなかなものではなかろう。

血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。

イスラム歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランホメイニ師のごとく強靱な精神指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。

 

拙著トンデモ中国 真実路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)

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2009-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20090622135032

そーそー

非モテも十分諦めて一人で生きてく覚悟決めてるよ

それこそ二十歳過ぎからね

自分はまだその歳じゃないけど、30近辺で結婚って問題が出てきたときに

お金とかなんとか「恋愛はだめだけど結婚の条件はそろっちゃった」非モテ

諦めて封印した怨念とか劣等感とかつっつかれてファビョるんじゃないの

自分恋愛諦める理由」で綺麗に蓋できてたものに

改めて「自分結婚しない理由」を設定して封をしなおさなきゃいけないしんどさに

あー 結婚する気も出来る予定もなくても

年齢とともにそういう火病や欝が襲ってくると思うと

歳をとるのって本当に嫌だなあ

2009-06-21

ハマヒルガオ

潮風の砂浜に

咲いている

いい風ですね

届きはすまいが

声をかける

じっと観察していると

美しさの影が満ちる

無理やり連れて帰り

怨念を十分に楽しんだあと

捨てる

2009-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20090613200016

夫が復讐に向かう動機が曖昧なので、20年越しの怨念意味がわかんね。

オチもつまらん。

2009-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20090527043650

かわいそうにな。

専業主婦共働き現実を知らない母親に「専業主婦にはなるな、結婚しても子どもを産んでも仕事を続けなさい」と言われ続けて育ったんだろ。

それで働き続けるのが自分の意思だと思わされてここまできたんだろ。現実も知らずに。

今、初めて現実に直面したんだろ。それで狼狽しているわけだ。「こんなはずじゃなかった」って。

そりゃそうだよな。誰もそんなこと教えてくれなかったよな。東北専業主婦ばかりの田舎じゃ、現実を知る術もなかったよな。

増田母親増田押し付け価値観なんて、現実を踏まえていない夢物語でしかなかったんだよ。

母親の手から自分人生を取り戻せ。

自分で考えるんだ。自分がこれからどうしていきたいのか。自分の中での優先順位はなんなのか。

結婚して出産して子育てをしながら仕事を続けている女性は、よっぽど体力と気力の充実したスーパーウーマンか、もしくは実家の強い協力のある人か、どっちかだよ。

普通女性実家の協力もなく共働きを続けるなんて不可能に近い。

増田母親増田に言い続けてきたことは、増田母親怨念であってそれ以上のものではない。現実を知らずに言ってただけだよ。

だからもう自由になった方がいい。楽な道を選ぶことに罪悪感を覚えるように育てられてきたんだろうけど、田舎から出てきて今まで十分頑張ってきたよ。もう自由になっていいと思う。

2009-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20090513164534

普通に特定対特定で好きあってカップルになるような中間層は、

非モテの視界には入らないらしい。

そういう相手が若い同士の時にたった一人いなかったから怨念持っちゃったんじゃないのかね

100でなければ0も同じと思ってるから、

だから、「ただしイケメンに限る」とか「若い時にモテなきゃ無意味」とか言って、努力を放棄する。

一気に100まで行ける一発逆転は夢想するけど、地道な努力は100に行けないから除外。

「若いときに恋人が欲しかったんだ」というのが彼等の希望だから

彼等が30近辺である以上叶わないんじゃないのかね。100か0かとかじゃなく。

全部じゃないけどあの話はわかる。

みんな思春期にこそ恋人が欲しいんだよね。

モテモテとかじゃなくてたった一人。

http://anond.hatelabo.jp/20090514142914

モバイルサイト上の「牧場」を通して、交遊のある男性写真や簡単なプロフィール

登録(※2)、情報管理することで、友達承認された会員同士、登録された男性データ

を閲覧することが可能です。

※2 男性プロフィールの登録は、男性本人の同意が必要となります

こんなもん同意する奴いんのかよw

どうせ「同意をとりました」チェックボックスにチェックするだけだろw

小町以上に怨念の渦巻く最恐サイトになる気がするw

2009-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20090511230312

妄想っていうか妄執の世界に入ってきちゃってるぞ。

会話の相性が悪かった程度でそこまで怨念深めて相手を否定するってちょっとやばいんじゃないか?

恋愛至上主義は何故失敗したか

恋愛至上主義なんて言うと難しく聞こえるけど、

要はアレですよ、動物ですよ

動物的に優れた遺伝子をもつオスがすんごいモテモテ選り取りみどり

それ以外の大多数のオスは相手が全くいないまま死ぬ

ただ、動物だと勝ち組のオスは大量の妻子を囲い込んで全て面倒見るのに

人間だと「重婚禁止」や「養育費高すぎ」なので寄ってくるメス全てを囲い込めない

なので、メスが若いときに交尾を楽しんで消費しつくしたのち

本命以外のメスを微妙な年齢になったとこでまあ、リリースするわけです

「名残惜しいがさよならだ、今後は負け組オスに養ってもらえ」

「お前等は少し老けた俺の使い古しだけど大丈夫、あいつらなら喜んで飛びつくから」

ここにズルさがあるわけですよ、動物原理人間理屈のいいとこどり

で、人間負け組オスもまた動物よりは考える頭や自意識ってもんがあるので

「若いときに自分彼女で居てくれなかった女を引き取って養うのはすごく悔しいな」

なんつって怨念や、生意気な一寸のプライドを育ててたりする(意識無意識は色々)

かくして、恋愛至上主義と言うメスと勝ち組オスだけが若い愛と快楽を無制限に享受して

最後に全部のツケを負け組オスにおしつけるモデルは崩壊したわけですよ 当たり前だよね

特に日本オタクとか二次元というオプションが有ったし

2009-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20090508003229

そうそう、これ考えてて

「貞操」という概念がある世界だけだな、

自分のようなモテない仕事出来るだけの男が救われる世界

とは思った

手をつけた相手と責任もって結婚せねばならず

責任を取ることが負け犬廃品回収ではなく男の甲斐性として評価された世界

例の漫画の騒ぎみたいなのも、

あの漫画キャラに真面目に入れ込んでると言うより

そういう潜在的な怨念燃え盛った事例と見るのはどうだろう

2009-04-02

夫の創作2

http://anond.hatelabo.jp/20090329194927

スメル

バスに乗った私は一番後ろの席に座る。

理由は、「他人に後頭部を見られるのが嫌い。」だからだ。

何気なく外をみると彼が寂しそうにこっちを

見ていた。

バス左折して彼が見えなくなるまで

彼は居なくなろうとはしなかった。

決断をしたのは私。彼を悲しませたのも私。

正しいか正しくないかは今の私にはわからない。

でもひとつの決意だと思い、後悔もしない。

そんな考え事をしていると前の席の小学生

話が耳に入る。

「なぁ、お前の好きなやつ教えてよ」

「いやだよ。翔ちゃんこそ教えてよ」

「なん^で^だよwwwなんで^お^れな^ん^だよwww

 おれが答^^える意味^ねえ^よwwwおれは^シ^ラフだよwww」

「翔ちゃん拒否りすぎwww」

ほほえましく思った矢先、私の考えとは裏腹に

言葉が先走っていた。

「カッ!」

小学生がこっちを見る。

私は続ける

「シャー!」

小学生がビクっとして前に向き直った。

昔から私は考えとは違う本能のような行動を

取ってしまう。

彼は「それは誰しも持っている資質であって、

君に限った事ではないんだよ」

といつも私に言ってくれたが、そのたびに

「ギャッザー!!シャー!ナイトギャッザー!!スィー」と私は答えていた。

信号が青に変わってすぐ、目の前を自転車が横断した。

運転手は焦ってブレーキを踏み、自転車の乗った少女

慌てた表情で加速した。

「危ない!」と思った私は無意識に窓を開け

「あるぶるなるいるでるしるょるうるがる!

 ひるきるかるえるしるなるさるいるブルン!」

と叫ぶ。

それを聞いた小学生が叫ぶ。

「はるちるがるとるぶるんだぁ!!」

もう一人の小学生が叫ぶ。

「しむらけんのだぁいじょうぶだぁ!!」

私も続ける。

「だぁ!だぁ!だぁめぇだぁ!」

心の中で「ダメだ」と「アメマ」が似ているなとフッと

思ったが良く考えたら「メ」しか合っていないので

「だぁめぇだぁ」の言い方次第なのだと気づく。

自転車少女は間一髪、接触をまぬがれ

私はホッと胸を撫で下ろした。

乗車時に私に対して、小言を発した運転手が

後ろで騒いでいる私をバックミラー越しに睨み付けてきた。

私は歯をむき出した。

バスを降りるとき、どうしても運転手への苛立ちが我慢できない自分

気づいた私は、仕返し、いや、恨み、怨念、と募らせてきた思いを

行動で表現することにした。

テトリスと共に彼の家から持ってきたもう一つ。

熊出没注意!と書かれたムササビの貯金箱である。

私はそれをおもむろに叩き割り、中に入っていた1円玉を

料金入れに流し込んだ。

「お釣りはいらないわ。」

私はバスを降りる。後方で徴収機の異音が聞こえる。

私はむき出していた歯を仕舞い、ニヤリと笑った。

私はこれから富士に向かう・・・。

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321002211

欲望からの解脱を誇ってるってことはないんじゃないかな。

限られたリソースである「お金」を運用するテクニックが優れていることを誇っているんだと思う。

消費を削っただけで『お金を賢く使えている自分』を誇るなんて片腹痛い気もするけど、

金に糸目をつけず浪費出来る階級なんてそうそう居ないわけだしね。

だから、必ずしもそういう主張をする人間ワープアであるとは限らないと思う。

まあ、ワープアに近い階級人間ほど「何も考えずに消費を出来る階級」に怨念をぶつけやすい側面はあるのかもしらんね。

2009-02-21

非モテ雑感

世の中の非モテ怨念が「負け組のくせにセクロスだけはご立派ですよねw」的マインドに支えられてるんだとしたら不健全このうえない。

あのねえ、30過ぎたら非モテとかどうでもいいわけ。男としてどうなのって話なわけよ。

言い方を変えるとだね、30過ぎたら非モテとかぐだぐだ言うフェーズは終了してるわけよ。

もっと他にこだわり直さないといけないことがある。人生とか。

2009-02-19

僕が筋トレ肉体改造をする理由

http://anond.hatelabo.jp/20090219093036

元増田です。コメントありがとう

キモヲタが何のために筋トレ?とあったので理由とその体験を答えたいと思います。

最初に言っておきますが引かないで下さいね。

理由は自分への自信とお察しのとおり外への威圧感です。

筋トレ始めたのがガリガリヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先

バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を

持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部部員

くらいの体格になりました。で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に

転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して

しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで

とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。

小学生のころとか気が弱かったのにね。

今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という

気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。

いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。

とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が

あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも一発入れば

立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。

文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジック威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→

自信→良い仕事仕事の結果でる→良い対人関係→たまに僕が大声で怒鳴って対人関係ヒビ入る人いる→

ていうかこのループそろそろ限界みえてきた→性格改造したほうがよくね?、みたいなところです。

まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が

生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(Aラン)に入って

院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)

仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。

ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや

という怨念の原風景筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな

人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分アイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を

形成して何とか生きて来れたのかもしれません。

筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと人を拳で殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり

しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。


かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、

というお話でした。

2009-02-08

とんび兄弟VSTAKURO兄弟

とんび兄弟は黒装束に身を包み、闘技場にあがっていたTAKURO兄弟の前に姿を現した。時代錯誤とも言えるとんび兄弟の黒装束は忍者の雰囲気を醸し出している。だが、忍者の装束と違って、顔までは覆っていない。

兄のとんび昇空は、長い髪を頭の後ろでポニーテールのようにまとめていた。痩せた体で、身長は弟よりも低い。弟のとんび滑空は黒装束がはちきれそうな巨躯であった。どこかで拾ってきたでこぼこの岩。それをそのまま置いたような無骨な顔で、ひびが入ったように細い目であった。頭のてっぺんに苔が生えたように短髪がはりついている。

昇空は振り返り、自分の後ろの観客席に視線を送った。三ヶ月前合コンで知り合ったガールフレンドが、昇空の視線に気づいて小さく手を振った。まだ彼女と呼べる関係ではない。その娘の黒のストレートの髪には、昇空が誕生日プレゼントに贈ったオレンジ色のカチューシャが付けられていた。昇空はそれを見て、今までの人生になかったリアル世界での充実をかみ締めながら、緩もうとする表情筋を引き締めなおし、目の前のTAKURO兄弟をじっと見つめた。

こんなちゃらちゃらした男たちに人気がある、そう思うと昇空の心の底にある暗い嫉妬の炎は、静かに燃え盛った。年齢=彼女いない歴自分人生は、こんな男たちにずっと敗北し続けていたのだ、そういう想いがこみ上げる。2対2の格闘戦。トーナメントの試合という形を借り、自分人生をあざ笑い続けたちゃらちゃらした男たちに、今日こそ思う存分自分の感情を叩きつけることが出来るのだ。昇空の胸に暗い怨念にも似た歓喜が膨らんでいた。

試合のゴングが会場に響き、とんび兄弟は弾かれたように前に出た。昇空はTAKURO兄(TERU)、滑空はTAKURO弟(TAKURO)に襲い掛かる。昇空はローキックTERUの体勢を崩して顔面に蹴りを入れるが、TERUは必死に両手でブロックした。両手のガードごとたたき折るような容赦ない蹴りが続いた。

滑空は低く沈み込んだ姿勢から、TAKUROの顔面に張り手を喰らわせた。TAKUROTERUとは対照的に一切ブロックをしていなかった。張り手の嵐の中で、みるみる顔面が膨れ上がり、口から血と唾液がいりまじったものが飛び散った。

ひとしきり続いたとんび兄弟の攻撃が止むと、会場から悲鳴があがった。ガードを続けていたTERUの手はあちこちが腫れ上がり、TAKUROの顔は見るに耐えない様相であった。目の周りが青黒く変色し、腫れあがったまぶたでTAKUROの視界がほとんど遮られているのは明白だった。

会場に詰め掛けたTAKURO兄弟のファンから、もうやめて、と悲痛な声が上がる。TAKURO兄弟の姿を見るとんび昇空の顔面には、残酷な笑みが張り付いていた。見ろ、ちゃらちゃらとした男など、実際に戦えばこんなに弱い。外見だけなのだ。見た目でモテてるだけなのだ。虫ケラのように負けるしかないこいつらの姿を見て、目を覚ますがいい。昇空はTERUを見つめて、止めを刺す必殺の構えを取った。

その時、TAKUROが動いた。

背中に背負っていたギターを手に取り、ギターが切なげに響き始める。腫れあがったまぶたに覆われて目は見えていないかもしれない。だが、TAKUROの指は滞ることなく華麗にギターの上を舞っていた。

ガードで壊れかけた両手を下ろし、TERUの澄んだ声が会場に響き渡り始める。二人とも大切なものには傷一つ負っていなかった。会場は静まり返り、ギターと歌声だけに満たされた。

聞く者の魂を根底から揺さぶるような音の波が、とんび兄弟を包み、その動きを止めた。これがTAKURO兄弟のうた。昇空は自分が抱いていた暗い情念が、透明な波に押し包まれ、形を失って四散して行くのを感じたのであった。やがて歌はどこまでも澄み切って、空に溶けるように終わった。

だが、負けるわけにはいかなかった。敵である自分の心を、ここまで屈服させた歌。それに敬意を表して、出来る限り苦痛のない形で止めを刺そう。昇空は決意を胸に秘めて、ゆっくりと前に足を踏み出した。

「まだTAKURO兄弟を痛めつけるつもりなの?」

会場のあちこちから叫びにも似た声があがった。見ると、会場にいる女性は、ほとんど全員が涙を流していた。

「このブサイク兄弟!」「TERU様に触れたら殺すから!」「その髪型、かっこいいつもり?かなり生え際が後退してるわよ?」「どチビ」「短小」「包茎」「童貞」「帰ってオナニーでもしてろ」会場の女性陣は口々に罵詈雑言を並べ立てた。滑空は既に戦意を失い、闘技場に膝をついていた。「短小」「包茎」あたりが刺さったらしい。

髪型身長の事を言われた昇空も、既に終わりかけている。ただでさえ苦手としている女性からの言葉は、一つ一つが重かった。今にも倒れそうな中、昇空はたった一つの希望を抱いて、自分の後ろの観客席にいるガールフレンドに目を向けた。目があったその娘は、にっこりと微笑み返した。彼女さえ応援してくれれば俺はまだ戦える、そう思った瞬間、彼女は昇空が贈ったカチューシャを外して、二つに叩き割り、会場を去って行った。

昇空は滑空の隣に倒れ、いろんな意味でもう立ち上がれなかった。TAKURO兄弟の二回戦進出が決定した。

http://anond.hatelabo.jp/20090206005917

http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20090128/p1

2009-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20090202200330

なげえええええええええええええええええ

怨念こもりすぎ!

非コミュコミュの対立構図がバカバカしいわけで

会話のキャッチボールが成り立っていなくても、コミュ力がなくても、人間がいなくても、「他人と関わること」から逃げても、コミュニケーションは作動する。

コミュニケーションは、人間意識主観や行為を参照せずに進展していく。コミュニケーション人間的な単位還元することはできない。人間が想定する「コミュニケーション能力」などお構い無しに、コミュニケーションは作動していく。あくまでコミュニケーションとは、<コミュニケーション>についてのコミュニケーションなのだ。だからこそ学術的なコミュニケーションは、各人が知識人の「本の受け売り」にならずとも進展していくことができるのである。先行研究の観察が接続可能性の担保に必要となるとはいえ、それぞれの人間が先行研究を理解しているか否かは何の問題にもならない。観察されるのは、理解度や各人の意識合意形成などではない。観察されるのは、観察である。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196

id:ekkenのような誹謗中傷罵倒を垂れ込んでいる奴のも、ある種のコミュニケーションekkenコミュってのも実感がわかないが。

 社会システムは、コミュニケーション継続させることによって存続している。コミュニケーションが中断されれば、そこに社会は無い。よって、自己を存続させようとする社会システムからすれば、学術だろうとコンフリクトだろうと、コミュニケーション継続していればありがたいものなのだ。だから、免疫システムとしてのコンフリクトは、まず社会システムの存続の負担を免除しているのである。

 一方、コンフリクトによって負担を免除されているのは、社会システムだけではない。学術的なコミュニケーション継続させることの負担についても、免除されている。たとえば、ニクラス・ルーマンヘーゲルの先行研究が観察されることによって学術的なコミュニケーション接続可能性が担保されたとしても、ルーマンヘーゲルの先行研究の観察が理解されなかったとすれば、それ以降、ルーマンヘーゲルについての学術的なコミュニケーション継続させることの負担は増大することになる。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196

コミュニケーションは学術、政治経済、法、教育芸術宗教とかに区別される。全部ひっくるめた会話のキャッチボールとか、全部ひっくるめたコミュ力とか、全部ひっくるめた人間性とか、そんなものはない。

 このことは、各種の社会的部分システムにも相当する。学術的コミュニケーションは、いつも<学術的コミュニケーション>についての学術的コミュニケーションである。政治コミュニケーションは、いつも<政治コミュニケーション>についての政治コミュニケーションである。

 機能的分化社会では、政治コミュニケーションシステムも学術的コミュニケーションシステムも、互いに全体性を記述していく。だが、互いに全体性を記述するからこそ、その全体性は真の全体とはならず、特殊部分化された<全体性>だということになる。それ故、双方は互いに全体性を記述するものの、政治の全体性に学術が倣わなければならない理由も、学術の全体性に政治が倣わなければならない理由も、無い。「審議会」のような場でできることは、精々のところ、一方が他方の作動の前提に攪乱を与えられる程度のことである。だから、一方が他方の作動を制御することは、原理的にあり得ないのである。よって双方のシステムは、互いに自律的に作動していく。

 このことは、学術と政治の対話が成り立たないことを意味する。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298

 勿論、政治システムは、<世論>の心情や苦悩やカタルシス怨念や「一般意思」や「憲法意思」などといった心的要因や人間的な単位を理解しようとしている訳ではない。政治システムは、こうした心的要因や人間的な単位について、政治的にコミュニケートしているに過ぎないのである。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298

 学術的コミュニケーション政治コミュニケーションにおける接続可能性の差異は、市民的な対話や「言葉キャッチボール」などといった猿知恵を、いとも簡単に粉砕してしまう。こうした学術と政治の対話に期待することができない以上、対話に期待する<理性的啓蒙>よりも、機能的に差異化された各コミュニケーション形式への参入離脱可能なポジショニングを採ってもらうべく、各システム作動を学習させる「社会学啓蒙」を選択したほうが無難かもしれない。と言っても、この「社会学啓蒙」それ自体が既に学術システムの構成物なのだから、この結論は学術の学術に対する自己言及だということになる。こうした状況は、前半で取り上げたハーバマス・ルーマン論争の時期から、既に一般化していたことだ。この意味で、未だに右と左の区別に縛られ、厳密な根拠づけや理性的合意形成を目指すような政治的討論を試みるのは、完全に周回遅れである。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298

要は、「会話が成り立たない」という会話も学術的で成り立たないから、「会話が成り立たなくても作動していくそれぞれの部分システム」への参入と離脱を両立しろってこと。

こんな不良債権学生ども、一体社会はどうするんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20090130234807

社会社会のままだと思う。

アホウもここに極まれりといったところだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20090131095520

だからってアホウにアホウと言っても、アホウはアホウのままだと思う。

トライブにとっては、学術システムこそが外部環境に位置づけされる。双方のコミュニケーションは互いに影響を与えることは無く、自律的に作動している。したがって、こうしたトライブの戯れを批判し、啓蒙することは不可能である。経済学者や活字好きのご老体は、はてなブックマーク馬鹿危険因子が存在していると批判していた訳だが、彼らにできたのは、あくまで馬鹿危険因子が存在していることを発見し、記述するところまでである。彼らを啓蒙することなど、できるはずもなかった。何故なら、トライブコミュニケーションを決定付けるのは、トライブだからである。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196

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