はてなキーワード: 大卒とは
現在3×才 男です。
全く就職口がありません。
運転免許はありますが、資格も何にも持ってないので、何処へ行っても雇ってもらえません。
社会人経験が少ないという事と年齢を理由に
「結果はあまり期待しないで欲しい」と苦言されて
出てきました。
多分、ダメでしょう。
事前に電話で問い合わせると
「是非、一度面接へ来て下さい」
と言われました。
行って、顔を見た途端に「いや・・ウチはちょっと顔と年齢的に合わないんじゃないかな・・」と。
そうですよね、なんの取り得もない35歳の独身男ですから。
鳴るのを待っている傍ら、ネットで仕事を探していますが、年齢オーバー、三流大卒、社会人経験ほぼゼロではアルバイトしかありません。
特技もなく、パソコンもろくに触った事がありません。今もキーボードは片手打ちでゆっくり入力しています。
先月から家賃が払えなくなり、住所不定無職で
コインロッカーを荷物置き場に使っていましたが、ついにネカフェ代しかなくなったので、荷物も取り出せなくなり着替えができません。
お風呂も3日以上入っていません。
それよりも食事ができず、空腹です
飲料が飲めるのでそれを飲めば少しはお腹が膨れるので飢えを凌いでいます。
隣でクチャクチャ誰かが何かを食べている音が
するのでそれを聞きながら炭酸飲料を飲み、食べた
気持になっています。
今日はここで泊まりますが、明日はどうなることかと。
大学院生って、親からしたら負担増えるだけじゃない?
何年あと学生やるつもり?
年間の学費は誰が払うの?
生活費は?
交通費は?
交際費は?
大学院で入社したときの給与におけるアドバンテージは新卒と10万も違わない。
大学院へと投資した時間とお金は何年で回収できるのかちゃんと計算したか?
修士だったらまだ可能性あるけど、博士まで進んで新卒入社は大卒で入社した連中に給与面でも人脈構築の面でもおっつかないだろ。
入社して右も左もわからないまま、いきなり20代後半だぜ?
折角入社した会社が生理的にあわずに辞めたいなと思っても、職歴ほぼなしの30近いおっさんのできあがり。
なのに院卒のため要求給料が高いという、雇用の幅が狭い、つぶしの効かない人のできあがり。
一線に出て仕事を身に付けてからやめようと思っても、
それなりの会社に入ったなら一線に出れるまでに時間がかかる。
その年齢とキャリアで再就職は果たして学士卒の連中とどの程度違うだろうか。院卒の方が有利だとでも?
有利なのは辞めない前提で働きつづけて、その現場があなたの水に合い良い上司からの評価に恵まれた場合だけだ。
研究職は院卒の方が有利に働くかもしれない。
だが研究コースに進み学んだことを生かそうとする人間が企業の上級管理職になんかなれると思うなよ?
もし学びたいだけなら社会人になってからでもできる。
君のやろうとしていることは何か若い間にしか勉強できないことというのがあるのか?
いっそ自宅で研究すればいいじゃないか。
だから目指すならニートで充分だとおもう。
(あれ、結論おかしいな。)
私の話で恐縮だけど、チャレンジはいつでも遅くないってことを書いておくよ。
昔からマンガ絵を描くことは好きだったけど、もちろん、デッサン等もメチャクチャでへたくそな絵だった。
絵が好きだから美大に行きたいナーなんて冗談でしかなくて、フツーに文系四大卒で事務職に就職した。それくらいの技術しかなかったから。
でも、24のときに、会社でのストレス解消のために、クリエイティブ系のスクールに通い始めて、私の人生は変わった。1年通った。そして、Illustrator使ったりPhotoshop使ったりDreamweaver使ったりできるようになって、25歳で退職した。半年休んだ後、スクールからの派遣としてある会社にアルバイトに行き、今もその会社で社員としてデザイナーをしている。
ただひたすら単純な事務作業でストレスを溜めていた毎日から脱出しようと、スクールに通い始めたあの日が転機だった。あの一歩がなければ私はこの席に座っていない。
スクールの宣伝をしたいわけじゃないし、脱出するきっかけはスクールじゃなくてもいい。だけど確実にプロになるために、素人の趣味からなにか一歩踏み出すことが必要だと言うことを伝えたい。
ジョブサイトを見れば、未経験可の募集も多い。けど、あれは、職歴がなくてもいいということであり、ソフトが使えない素人をイチから育ててあげましょうということではない。(いや、そういう人もなにか期待するものがあれば面接に呼ぶかもしれないけど、他にきちんとスキルがある人が応募してきたら即落とされる。)
とにかく、プロになるために何をすればいいかを考え、行動すること。行動すれば道は開けます。
http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#
http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#
■やっぱりさ、温情なんかやめて
悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。
「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#
■転売がイケナイのって
今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。
その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?
けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#
■
更生できなかったら無期懲役。
更生の見込みがなければ無期懲役。
本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。
人のやることに完璧はない、という問題であって、
http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#
■http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
360やPS3をHD対応のTVやモニタに繋いでプレイしてみろ。
戻れないだろ…。
http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#
表に出てきていない。
実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり
末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。
何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。
特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。
7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。
自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。
http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#
■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説。
http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#
ひたすら勉強だ。
学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当に生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強。学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。
http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#
■http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#
「サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴るときに使われる決り文句のような気がする。
夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、
とか。
http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#
■アルコール抜き
昨日はアルコールなし
一昨日は氷結350ml
だんだん普通の生活?にもっていけるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#
■http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#
http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#
■職種と生産性
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
■何でも楽しいという友人
「数学と現代文はパズルだし、物理や化学や生物や地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙の根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間の根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通に新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい。漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」
大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。
そして奴は、東大へ行った。
知ることが楽しいのだという。
他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。
たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。
「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」
「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」
「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときはサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」
「それ楽しいか?」
「楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」
「そういうもんかなあ」
「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットでサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」
言うまでも無く奴は非常に博識である。
だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。
小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。
「どうとでも楽しみ方はあるよ」
「どこがだよ。つまんねーよこんなん」
「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」
「うーん」
「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい」
「まあそれはそうだけど」
「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」
俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。
http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#
■http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
知的好奇心つながりで一つ自分の話を。
自分は東京の街並を眺めるのが好きです。
特に新宿の高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。
ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、
その部品に使われる小さなネジ・・・
と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。
で、はたと気がつく。
今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!
普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?
こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。
こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#
■格差と想像力
こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#
私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。
大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。
卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外で勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。
アメリカの大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。
もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカの大学で博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生がごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。
それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFLの勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。
その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学で日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報は常識であったらしい。まぁ、ハーバードだMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。
中堅大のハンディキャップは就職活動に現れる。ハーバード、MIT、スタンフォード、イェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードとMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。
もし日本の大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。
結局、人間は社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。
結局私は海外で就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#
■http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#
増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#
■そうね
クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、
書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。
俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。
http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#
■http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#
自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。
そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)
http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#
- 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
- オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
- 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
- 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
- 構成の再整理
追記:
もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#
■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。
これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。
なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。
でも、やっぱり苦手。
http://anond.hatelabo.jp/20070309234905
翌年から新入社員募集が打ち切られ、数年以上下っ端扱いを受ける。
新入社員でまともな会社に入るチャンスすらなかった世代も辛いが、この世代もつらいなと思う。
でも73世代はまだまともだとおもうんだ。
この世代をずっとケツにひいてたバブルの残り香世代びの30代はどうあつかっていいのか分からない。
というより、73は就職氷河期開始ぐらいの世代じゃないの?
かくいう俺は76世代。
・受験からなにから人が大勢いるので全てが狭い門だった
・就職時はそもそも大手の募集が無かった
・大手の現場に配備されたすこし上の世代と仕事をし酷い目にあう
・やっていくうちに零細社長の元についていくのが耐えられなくなり独立 ← 今ここ。
ま、一番哀れなのは、45歳ぐらいになってから会社からほおり出される世代かもしれないね。
若いうちの苦労はまだなんとでもなる。。
ぶっちゃけ、日本の大学生の大半はアホなのである。真面目不真面目問わず。「大学は教えてもらうところではなく自ら学ぶところだ」という有名な言葉があるが、その通り、彼らの大半は高校時代までに十分「教えてもらう」べきことを身につけてもいないのに、自分の学びたいことを大学時代に「自ら学ぶ」のである。その結果、真面目な学生であれば「専門バカ」になり、不真面目な学生であれば、「コネと情報を使って要領よく世間を乗り切る方法」を大学やバイト先という狭い「社会」から学んで、日本の明日を支えるチャラいサラリーマン予備軍になるのである。
そして恐ろしいことに、日本ではそういうアホでもいっぱしの大卒エリート面できる時代が40年以上続いてしまったので、日本人の大半は今やアホなのである。学歴の優劣など、アホ同士のどんぐりのせいくらべなのである。
そのことに気が付いている人間はもちろんいる。そして国外逃亡できるやつはしていく。しかしここで注意したいのは、留学して、海外の学位をとったあと、日本におめおめ戻ってくるようなやつはやはりアホなのである。帰国子女なのに日本で就職するやつも同様である。日本国内でえらそうに海外の大学の学位を経歴に書いて活動しているやつはアホなのである。そして、先述の理由から、そんなやつにコンプレックスを感じるやつもアホである。
では、アホではないやつというのはどこにいるのだろうか?
そいつはfinalventにでも聞いて下さい。ワシャそんなことおっそろしゅーて言いとうない。
学歴コンプレックスについての議論が「学コン」とのあやしげな略語(俺は大学への数学を思い出して苦笑いしかできない)まで飛び出すほど盛りあがってるが。http://anond.hatelabo.jp/20070223011440が源泉?
コンプレックスというのは非常に厄介だ。突き抜けた有名人になればコンプレックスを抱く対象にはならないが、同じコミュニティで対等に接している限り、劣等感を感じている者は、劣等感を呼び起こす対象に対して心穏やかにいられない。小学校の地元リーグで活躍する野球少年は、イチローに対して劣等感を覚えることはないが、年下の仲間に数値的な成績で負けているとしたら、これは劣等感になるだろう。コンプレックスとは少し違ってくるかもしれないが、すこし感覚はわかっていただけただろうか。
俺は大学を卒業してはいないので、社会の中で学歴コンプレックスを引き起こす存在ではないが、一流私大卒の新人が先輩社員に飲みの場で理不尽な皮肉などを言われている光景はよく目にする(ここではコンプレックスを抱く側とされているが、明治や中央は世間一般の大半の無名企業において一流大学であることを忘れてほしくはない)。
ところで、いわゆる超一流の企業においては、今度は学歴は全く問題でなくなっている。俺の経験では、高い成績を日常的に産み出している連中は、自信というような概念自体を忘れてしまっているように見える。学歴という感覚は無く、せいぜい初対面の話題として利用しているくらいではないだろうか。そこには林業関連の高校卒業?なんていうのも居たが、大学名を聞かれて「当然、東大ですよ。ウソです。チェーンソーの使い方を高校で習って大学は行ってないです」などと答えていた。特に面白い冗談だとは思わないが(毎度同じことを言うので身内の中ではオヤジギャグ扱いだった。まだ30歳に達していないが。)、そのような冗談の中でしか学歴の感覚が登場してこない。関心の対象は、いかに新しいものを生み出すかにしかなかった。ちなみに彼は、そのあと営業代理店業務を行う会社を立ち上げて独立し、しかしゆっくりと過ごしている。
高学歴であったり、高い能力を誇る人間は、コンプレックスによるやっかみや嫌がらせを避けるためにはこのようなコミュニティを選ぶしかないのだろうか。ある種の対人テクニックを身に着ければ(このような対人テクニックを総称して世間ではよく「謙虚さ」と呼ぶようである)コンプレックスの対象にもならずに過ごせるかもしれないが、そんなものを社会に出る前に得られる保障は無いだろう。大学でサークルなどに入れば先輩が教えてくれるものだろうか?会社内ですら、同じ学閥の先輩が後輩にそのようなスキルを伝授している風景は目にしないのだが。まぁ俺には最近の大学内での「意識の高い学生」同士の交流の様子はよく理解できていないので、多くは語れないが。
上に書いたような「コンプレックスの存在が希薄なコミュニティ」は、多くの場合特殊な場ではないかと思う。実力主義の中小ベンチャー企業でも学歴コンプレックスは明確に存在することが少なくない。職人業的な、極めて少人数の家族的なコミュニティか、もしくは突き抜けた実力を持つ人間が集まった企業のようなエリート集団にでも居ない限り、コンプレックスの意識を避けるのは難しいんじゃなかろうか。
ただ、後者のエリート集団に所属すると、今度はエリート集団自体が回りの他のコミュニティから「排他的」だとか「エリート」だとか言って揶揄されてしまう。確かに、コンプレックスを抱きうる常人があんなところ(俺が経験したのはせいぜい2社だが)に居たら、いくらか経験を重ねてしまっている場合は特に、一緒にやっていくことは難しいだろう。呼吸をするように物凄い仕事量をこなしていることを当然のように求められるから、普通はついていけない。俺も到底無理だったので「癒し系キャラ」役に逃げることでどうにか居場所をつくっていたような。なんであんなとこで働こうと思ったのか、いまではぜんぜんわからんw
コンビニで表紙につられて立ち読みする雑誌で「また外資系か」とか「ワーカホリックで人生楽しいの?」とか書いてるのを読むと、どちらもいろいろ大変だなぁと、余計なお世話だし「お前が言うな」なんだが、変な同情をしてしまうよ。
ちなみに俺自身は特別優秀でないし成果も全然出してないし、自分が落ちこぼれなのが当たり前だと思って生きてきたからコンプレックスは感じない。傲慢になろうにももともと何も誇れないので、そもそも「謙虚になる」かどうかという選択肢など無いような状態w
二十代後半くらいまでについた階層格差がその後も固定されてしまうような社会に今後もどんどんなりゆくのだとしたら、いっそ死にたいと思ったやつは簡単に安楽死できる制度を整えてくれればいいと思うんだ。別に自殺に倫理的タブーのある国じゃないんだしさ、日本。
俺、今大卒フリーター二年目。パラサイトしつつ、そこそこ楽しい暮らしをしてる。だけど、多分あと二〇年もしたら生きてるのが辛くなってくると予想してる。両親が死んだらまずきついだろう。だから、生きてるのが辛くなったらさっと気楽に死にたい。
あとさ、今高齢者の自殺が増えてるって言うじゃない。実際、厳しい暮らしをしてる老人も近所でたまにみかける。なんつーかさ、そのひとたち、もういいんじゃないかな。そろそろ「自分の生きた時代は苦しいことばかりだった」みたいな老人いないよ。一瞬だけでも楽しい時代を生きることができたんだから、その美しい思い出を胸に死んでいきたい、というひとは国が補助して死なせてあげらんないかな。
……という考えが夜勤明けの頭に降りてきた。できるだけ強烈な反論が書き込まれることを願って寝ます。おやすみなさい。
私は学びたい分野以外で卒業に必要なものはテストにだけ出るだとか、何も得るものもないのに単位だけ獲ろうとする。
学びたい分野がなければ、ニート同然。
学びたい分野もない友達を見ると、常にバイトバイトバイトか、親からの仕送りで遊んでいたりするだけ。徹夜マージャン、飲み会、合コン
じゃあなぜ彼らは大学に通っているのか?
有名大なら志が高いわけではなく、なおさら○○大卒という肩書きが欲しいだけ。ってのがほとんどでしょう。
それでも、三流私大でも頑張っても、有名大でだらけてるようなやつらには就職で負けるんだろうな。
変な話。
現在、私は有名国立大に通っていますが、そんなやつはいっぱい居ます。
新種もいます。
学びたい分野でもないのになんでもがんばるやつ。
個人的にはこれが一番嫌いです。
何でも成績良ければ偉いとでも思ってるんでしょうか?
成績がよくてもこれもニートみたいなもんじゃないかと思っている私は変ですかね?
なんでもがんばるやつは私を「ある一定の科目しかできない馬鹿」と馬鹿にしているのです。
バイトやってるよりは自分のしたい学問を一日中やってるほうがよっぽど意義があるだろう。
興味もないものをがんばるなら、仕事でもしてろよ。
これを言うと「まあそうかもしれんけど・・・」と言うが、完全には認めないんです。
多分認めたくないんだろうなと思ってます。
親には一銭も出してもらわず、奨学金だけで学費から生活費からやりくりしてるのに。
仕送りもらって学費払ってもらってけど、バイトしてるやつに「ニート」といわれなきゃならんのがわかりません。
浪人とか親に迷惑かけまくりで、大学はいって、フリーターして。。
そんな親もアホですが。
うちは親が大学なんて行かなくていい思考だったので、自分でやりたいこと押し切って大学に入りました。
なんも迷惑かけてません・
親に援助されるならされるなりに恵まれているんだから意味ある大学生活送れよ。って思います。
っていう全部ただの愚痴でした。
おわり