はてなキーワード: 国家主義とは
http://twitter.com/hokusyu82/status/21463201782
共産主義だって労働者の生活向上のための手段であって北朝鮮のような生活水準政治体制になってでも共産化しろなんてのはいまどき共産党員の中にすらいないんじゃなかろうか。
様々な価値観・利害の人と共闘するのが通常の民主主義である以上、目標の優先順位を論じるのはあまり意味ないように思う。特定の政策が各自の目標を実現するのにふさわしい手段かどうかってのを問う方がいいはず。某右翼リフレ議員についてはリフレ政策を実現することで修正主義者の影響力が高まるかどうかと景気回復で排外主義に傾きにくくなるかどうかというのを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。公務員改革についてもみんなの党・上げ潮派の影響力が強まるかどうかとインフレ景気回復で財政健全化・民間企業社員の待遇改善が進んで公務員人件費削減圧力が減るかどうかあたりを考えて判断すべきなんじゃなかろうか。個人的には左翼勢力がリフレ政策を主導して景気回復を国家主義新自由主義の手柄にしないのがいいと思うが。
アメリカの新聞社が総理大臣をルーピーと評したことで嬉しそうに鳩山を非難する奴らはどこの国の人間なのか?
アメリカとの関係を根本から考え直し、対等な関係になるべきだ。
↑
まるで民族派のセリフのようですが、はてサがあちこちで言っている言葉です。
ルーピー騒動の際には、はてサはしきりにネット右翼に共闘を呼びかけていましたが、当然のごとく無視され嘲笑されました。笑
自民党政権時代、はてサは愛国心や国旗・国歌などに徹底的に反発してきました。
国という概念に抵抗してきたのが、左翼でありはてサだったのです。
そして、政権交代後、普天間問題で迷走を続ける鳩山をルーピーと呼ぶ国民に対して
「アメリカの尻馬に乗って日本の総理を馬鹿にするなんてお前たちは日本人として恥ずかしくないのか!!?」
と、非難するはてサがたくさんいました。(今も結構残っています。笑)
愛国心や日本人としての自覚や誇りを非難してきたはてサが、愛国心や日本人としての誇りを訴える。
滑稽というか、単なるバカ。笑
ルーピー騒動の時、国辱という言葉を使っていたはてサもいました。
はてサみたいな憲法改正もイヤ、基地もイヤ、愛国心もイヤ、だけど民主党政権の時は愛国心を持て、みたいな奴らこそ国辱者だよ。笑
だからこそ他者からの評価を求めるのではなく、自ら正義の名乗ればいい。
一時的にはそうだろう。
でも、恒久的でないと意味がないけどな。
一緒じゃないだろ。
国家主義者というのは国家を至上の単位とする個人を指すものであって、国家自身が国家を最優先させるべき単位として行動するのは当然。
評価そのものはどうでもいいんだよ。
どうでもよくないんじゃないの。
人間は基本的に悪には耐えられない。
そこで最も利用されるのが宗教だし。
前提となっている。
だから、それは観念的な国民であって、実在の国民を殺すことではないだろ。
協調以外の選択肢が国益に適わないと論理的に証明できれば論理的には問題はないよ。
証明できれば、ね。
この場合の「べき」論は「国益に適うべき」というものであり、そこから「国益とは何か」という形で利害の調整を行うようになる。それが筋。
それは国家主義者の立場。
「強制力」という言葉が好きなようなので「強制力」という言葉を使ってもいいけれど、その「強制力」もまた暴力を背景にしなければ機能しないしね。
武力というならまだしも、暴力というのは容認できないな。
宗教的な国家主義や暴力礼賛論者からみれば、そうとるのも無理はない。
何にせよ、それは国の都合ではなく、国民1人1人の都合であり、そこんとこは混同しないほうがいい。
国民1人1人の都合を最大限に擁護し、調整するのが国の最低限の役割だろうに。
最大であっても圧倒はできない。または圧倒するよりも一旦刀を鞘に納めたほうがいいときもある。
というか、誰彼かまわず噛み付くとムダに国力を消費することになるから、どれだけ軍事力を持っていても基本的には協調路線のほうが有効だろうね。
だから基本は協調なんだって。
だから賛成派はそうなるといってるんだが。
有効かどうかはともかく、秩序は暴力を背景につくられるものだろ。常識的に考えて。
そしてその秩序は当然、より強大な暴力を持っているものに有利につくられる。
暴力では連鎖を断ち切ることはできない。
「強制力」なら、必要になるけどな。
また、「自衛」という形では常に後手にまわることになるので、本当に自衛するだけで充分なのかどうかも検討する必要がある。
検討の必要もない。
個人的には国益にこだわってはいないが、「国にとってどうすればいいか?」という議論で国益を中心に据えなくて、何を中心に据えろと?
しかしそれでも日本がどうすればいいのか?という議論においては、ベストなオプションが戦争ならばそれを推し進める議論をする。
過去はいざ知らず、現在以降の日本において戦争というオプションはあり得ない。
国以外のものの都合によって議論を捻じ曲げるべきではない、と思うしね。
国家主義もここまでくるとたいしたもんだな。
anond:20090912050954
警官の気持ちもわかる。
だって、職質を断るって怪しいんですよ。どう見たって。
急いでるとか合理的な理由があるならいいですよ。
でも、これから商用で~と言いつつスカジャンで草履だとか、
いきなり声を荒げたりとかしてたらさ、普通犯罪か何かに関わってると思うでしょ。
断り方がヒステリックになればなるほど怪しい。
公益というと顔をしかめる人もいるけど、公益ってのは何も国家主義だとかいうわけじゃなくて、チャリ盗まれた被害者だとか、そういう具体的な利益も含んでるんだわ。
それを捜査する過程で、無実の人に声をかける可能性はゼロにできないでしょ。警官は万事を見通せる神様じゃないんだから。
「任意だから理由のいかんを問わず断れて当然だ」というのは正論ですよ。
「必要性」だけで強制処分が許されるわけでもないってのも当然ですよ。
でもね、一般的に、職質を断る人ってのは結果的に犯罪者である場合が多いんですよ。
だって、「断る権利」があっても、権利を使う使わないは自由でしょ。
使わないという選択肢だってある。
警官が疑念を抱いてるなら、「断る権利を行使しないで、疑いを晴らしてあげて、双方ハッピー」という選択肢を取るのが、良識的対応だと思うんだ。
そこを敢えて断るって、何か後ろめたいことがあるという推測が働くんですよ。
だって、意固地になって断る理由なんてないでしょ?
ムカつくだろうけど、警官の後ろには国民が存在して、国民の利益を守るために職質してんだからさ。
急いでるとか、さっき女に振られたとか、そういう事情が無けりゃ、協力してやりなよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090817000118
消滅した兵役の義務の流れで、公への献身の義務という文脈で出現し、左翼にもその労働至上主義的な観点から受け入れられた、という経緯みたい。
発想に徴用みたいなものがあるとしたらいやな感じだな。
そういえば、形骸化しているとはいえ、官憲の別件逮捕の便利ツールとしても悪名高い浮浪罪なんてのもあったな。
9)また、この、衆議院での審議の過程で、第二七条第一項の「勤労の権利」を「勤労の権利及び義務」に改めることも決まった。勤労の義務は第二弾として復活したのである。
この、「勤労の義務」も奇妙なものである。大日本帝国憲法の改正に際しては、第二十条にあった兵役の義務の廃止が問題になった。ポツダム宣言で陸海軍の解体を約束したし、実際に解体が進行して、陸軍省、海軍省も復員省になっているくらいだから、いまさら兵役の義務でもなかろうというところでは、廃止は必然であった。
そして、この義務の廃止と引き換えのように登場してきたのが、国家のために兵役に代わる公務に参加する義務を定めよという議論であった。当時は、公務に貢献する義務とも言われていた。内閣憲法問題調査会案(甲案)は、その第二十条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務ヲ有ス」と定めていたが、この考え方が、日本国憲法の審議においても繰り返し復活してくる。
「勤労の義務」は「労働の権利」ととはまったく別のものである。この場合、労働とは、自己及び家族、友人らの健康で文化的な生活を支える自助の努力という意味で個人目的性の強いワークであり、逆に勤労とは、公共のために献身するという目的の役務提供のワークである。こういう勤労を義務付けるというのであれば、市民は、国家に対して、役務提供の憲法上の義務を負うことになる。したがって、この意味での勤労の義務は、労働の権利とは別の条文で、別個に規定されるべき筋合いのものであった。
ところが、憲法草案が審議されていた当時は、社会主義思想の強い影響の下に労働運動が活発に展開され、「働かざる者は食うべからず」で、人間は労働する義務があるのだという左翼的な主張もなされていた。左翼は、もし勤労が国家への役務の強制的な提供であると知っていれば反対したであろうが、そこで巧妙にも官僚たちは「勤労の義務」を「労働の権利」と結合させ、「勤労の権利と義務」にしてしまって左翼の支持も取り付けた。ここに、国家主義的なボランティアリズムと左翼社会主義が合体してしまい、憲法の規定は、右と左で違った色彩に見える意味不明のものとなってしまった。
戦後の憲法学は、左翼的であったから、この条文に含まれている、国家緊急時における、兵役に代わる役務提供義務という本来の意味を無視して、働くことは権利にして義務であるという説明をしている。こうなると、しかし、「義務」の性格はわけが分からなくなる。義務は権利に対応する。市民は、誰に対して勤労する義務があるのか。これがさっぱり理解できない。そこで、憲法の施行後の解説書では、「勤労の義務」というのは趣旨不明な言葉としてあつかわれた。そして、だれかが、この言葉があるので勤労の義務への意欲がない市民に対する国の福祉配慮義務は否定されるという理屈を立てると、それが広まって、またいつまでも影響して、今日までこのように解釈されている。
http://www.citizens-i.org/kenpo/paper/duty2.html
この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99
詳細を書いてる人がいた。
「・・・貴族院農地調整法委員会で石黒忠篤氏の「国民の兵役義務に代わるものとして平和国家建設のための労働義務を課する意思はないか」との質問に対しては、「国家の為に労役に服することを想像して規定し置くことは必要であるが、その規定の方法は憲法に明確に定めることは困難で、臣民の権利、自由に制限を加へ或ひは義務を課するには法律による必要があると云ふ様に広い意味で謳って置きたい」と[松本国務大臣]は答へたのであつた。」
公式の中国軍事費は次の通り(「公式」とは中国が発表した数字、ロケット打ち上げなど別項目で勘定しているため、世界基準の算定方法ではなく、欧米はこの三倍とみている)
1999 1076億4000万人民元
2000 1207億5400
01 1442億0400
02 1707億7800
03 1907億8700
04 2200億0100
05 2474億9600
06 2979億3800
07 3554億9100
08 4184億0400
(1人民元は14円)
中国は空母二隻建造を堂々と公言するようになり、また中東、南アジア、アフリカ諸国では中国製武器が市場に溢れるようになっている。
いずれ手に負えない化け物として北京へ跳ね返るだろうが。。。
いや中国のことを批判してやまないアメリカは、膝元でおきた以下の数字をみて愕然としている。
ISNニュース(3月10日付け)によれば、アフガニスタンとイラクという両戦域をかかえるアメリカは、武器をせっせと当該戦闘地域の部隊に運んでいるが、多くが行方不明というのだ。
2005年から2008年までにアフガニスタンへ運び込まれたアメリカの武器は、むろん、米兵、米軍下請け傭兵ならびにイラク正規軍と警察に配給された。このうちの36%が「返却」されておらず行方不明だという。
アフガニスタンへの武器は242000点におよび、これらには自動小銃、機関銃、ピストル、ショットガンが含まれている。そのうちの36%が追跡不能状態。
また2004年から05年にかけてイラクへ同様にはこびこまれたアメリカ製武器のうち、AK47ライフル11万丁。ピストル8万丁が「行方不明」。
杜撰な管理をかいくぐり、武器は密輸され、転売されたか、あるいはテロリストの手に渡った。
つい先般、米国の観測船(?)が南シナ海で中国艦隊五隻に取り囲まれる“事件”が起きた。米中外相会談が開催されている最中のこと、両国間に緊張が走った。
この地点に注目である。海南島沖合。
中国は海南島南部「三亜」に潜水艦の秘密基地を建造した。しかもICBM搭載の潜水艦の集積地といわれ、米軍は観測を続けてきた。
「海洋を抑える西側帝国主義と揚子江のファナティックは国家主義者との対決」(英紙ガーディアン、3月10日)は政治の表舞台での「戦略的パートナー」「ステ-ク・ホルダー」「G2」という米中関係の緊密ぶりとは別の思惑で進んでいる。
国籍法についてあんまり興味なかったのだけれども、ちょちょいと巻き込まれたりしたので関心を持つ様になった。
政治に関心はあるけれど、主義主張皆無のノンポリだから、この件に関しては皆が丸く収まればどうでもいいと思ってる。
それでも、なんか色々と回ってみると、思うところも出てくる。
自分のダイアリーは単なる日記だから、そこでこの手の話をして、イデオロギーな人達に巻き込まれたくないので増田。
チキってすみません。
<わたしの理解>
ということなのだと理解した。
しがって・・・・・
結論1:国籍法改正反対だよ(もう通過成立しちゃった)
結論2:偽装認知できない様に、DNA鑑定を導入して父子関係を検証するようにしてよ(議論中)
それで、それに対する、改正賛成派の対抗意見は
とか大体こんなところか。
とにかく、国籍法改正自体を否定するというのは無理があるし、認知にDNA鑑定を導入するというのも無理らしい(よくわからんがそうらしい)。
<わたしの思ったこと>
それで、疑問に思ったことが一つ。
そもそも、今回の違憲判決は、以下のような子に日本国籍を認めないのは法の下の平等に反するという判決
これを見ると、今回の法改正に関して日本国籍を取得できる要件というのが明らかになってくる気がする。
つまり、
しかし、そもそも、
しかしそもそも現状の認知制度が血縁関係の厳密な認定を求めていません。ならば、外国人との子ばかりではなく、日本人同士の場合を含めて、認知のありかたを議論する必要があるでしょうね。
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=419
らしいから、実質、条件は、
という一条件になってしまうんじゃないのか?
というようなことを思った。
だとすると、そもそも、「法の下の平等」に違反する要件であるはずの、
というやつに当てはまらなくなるんじゃないのか?
というようなことを思った。
この場合、「父親」=「法律上の父親」ということであって「血縁上の父親」ではないということになる。
まあここら辺は、別にいいとしよう。養子縁組なんて昔から日本では普通だったし、血縁上の父親かどうかなんてどうでもいいことさ。
<わたしの疑問>
しかし、だとすると、「偽装認知」なんて、そもそもにして認知制度上存在するんですかね?
これが真の疑問です。
「偽装認知」なんていうのが、血縁関係を重視しない認知制度の上で存在するんですか???
<わたしの言い訳>
ほんとにイデオロギーな人達に巻き込まれたくない一心で言うんだけど、わたしとか別に日本が日本人が世界からいなくなっても別にそうなったらそうなったで仕方ない、かまわないと思っているし、反対に、日本が日本人が世界で褒められたり、強かったりしたら単純に誇らしく思ったりするし、反日といわれる国の日本に対する憎悪とか辟易するし、日本が日本人の国であるべきとも思わないし外国人増えて全然かまわないと思っているけど、まあ日本乗っ取られたりするのは厭だなあ、とも思うし、まあそんな程度の人間ですから。自分から2つ先の人間関係までうまくいってれば、それで全然かまわないと思っているような人間ですから。
だから、このエントリーで気に触ることが在ったとしても、イデオロギーな人達はわたしのことをあんまり責めないでください。お願いします。
<読んでみたところ>
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081208/1228709887
俺の主観で「遊戯王」と「Vフォーヴェンデッタ」比べたら断然「Vフォーヴェンデッタ」だけどな。
「ワンピース」「ドラゴンボール」はちょっと悩むけどな。大人の目で読める部分も結構あるから。
長台詞云々も作風の違いでしかない。テキストで読ませる漫画だって多くあるぞ。
ところで、君の評価では和月のるろ剣とかどうなるわけ? あれはアメコミからインスパイアされた表現も多いんだが。
あ、あと俺が前に書いた「日本漫画の信者はほぼ日本文化の信者」についてのレス無いけど、これすごい重要だと思うんだけどどうよ?
どう思うかレスしてほしいならしてやるよ。
信者って。それを日本人が自分から誇るそのセンスがキモくて死にそう。ヘンな国家主義の称揚に使われるくらいなら、日本漫画のアピールなんてしないほうがいいとさえ思うね。それが日本の古きよき奥ゆかしき謙譲の文化って奴じゃねえのー?