はてなキーワード: ウイスキーとは
家の鍵を会社においてきた。
部屋には当然入れない。終電も終わったので会社に取りにも行けない。
始発まで待つしかない。時間つぶしに近所のバーに入ってみることにした。
バーに一人で入るなんて実は初めてだ。おどおどしてるのも変なので、カウンターの端に座ってウイスキーを注文する。
バーテンと店長が代わる代わる話しかけてくれる。端においてあるフライヤーを眺めながら、ゆっくりと話する。
他の客は2人以上の組ばかりだ。音楽に耳を傾けてると寂しそうな僕のことを気にして、隣の女の子が話しかけてくれた。
自分の知らない音楽の話をしてくれた。僕は昔の知識を思い出しながらなんとか会話を返していた。
そんなこんなで2時間たち、その子たちは帰って行った。
また暇だ。バーテンがまた話しかけてくれるけど、やっぱり手持ち無沙汰。客も少なくなった。お酒を何種類か飲んでみる。
店の奥で女の子二人が帰ろうか話している。酔った勢いもあって一緒に飲みませんか?と声をかけてみた。
おごりますよ、と言ったら、返事は「ありがと、私の体で返すね」。ごく普通にさらりと言ってのけた。
おや、即お持ち帰り系か?相手は全然趣味ではないけど。今まで経験がない訳じゃないし、ついでに朝まで寝させてもらおうと思った。
「いいね、お持ち帰りしてよ」帰れない理由を教えた。
「そうね、お持ち帰りね」「いいね、すぐ出る?」「あとでね、ところで・・・」
こんな感じでちょっとした趣味の話だとか仕事の話だとか軽くしていた。
このとき、女の子が嘘をついた。虚勢を張るための嘘自慢で、ばれたらお互い気まずくなるような嘘だった。
ついた嘘のことは僕のほうがずっと詳しく知っていることだったので、すぐにばれ、案の上気まずくなった。
なんでこんな嘘つくんだろう?
するとしばらくして彼女は帰ると言いだす。「えー、泊めてよ!」と追いかけたけどその子は本当に帰ってしまった。
「泊めてくれるって言ったじゃん」と言っても聞いてくれない。まさか本当に帰ると思ってなかったので追いかけた自分は格好悪かった。
「本当に泊めてくれないの?」というと、こちらをさげずむような目でなに言ってんの?という顔をされた。
元の席に座ると店長がこっちを気持ち悪そうな顔して見ている。
いったい何なんだよ。空気悪くしたのはお前だ、早く帰れよ。みたいな顔して。
いったい何なの?体で払うからなんて初対面で言われたら普通に言葉通りに受け取るだろうよ。冗談なんだからスルーしろよってことか?
店員からもおまえは空気読めない、体目当てのゲスじゃねーか、というような視線を感じて追い出されるように店を出た。
こういうエッチなトークは真に受けると痛い目に遭う。でも真に受けないと少ないチャンスを逃す。
結局この店には二度といけなくなってしまった。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。
殆ど寝むれなかった。会社でも昼飯が食えない。調子が悪い、途中ゲロを吐いた。
心配してくれる後輩。何故か嫌味を言う自分。すまない、今度おごってやろう。
17時。
今日は残業できない。足早に駅前へと急ぐ。大変だ、時間が無い。
タクシー乗り場で彼女と合流。あまりの混み用に列を無視して運転手に2人で懇願。
他に待っている人もいるのに。最低だ。でも遅れる訳にはいかない。
18時45分。
吐きそう。緊張が頂点。密かにポケットに入れてきたウイスキーを少し飲む。
でも駄目だ。全く酔わない。
店内に入った。
何ておしゃれなお店だ。正直言って苦手。
普段チェーン店か屋台くらいにしか行かないからだろう。自分にはキツイ。
あれこれ考えている内に店員がやってきた。
そして案内されて店の奥へと向う。
ヤバイ。足が震えてる。軽く眩暈がして来た。
帰りたい。逃げ出したい。今ここでスッと消えたい。
ふいにエヴァンゲリオンの台詞がでてきた。
「逃げちゃ駄目だ」
部屋の前まで案内された。
戸…個室だ。隔離された空間。吐きそうだ。
実際今日は5回程吐いている。それでも吐きそうになる。
密室で何分、いや何時間だろうか。尋問にも似た質問をされ続けるのだろう。
トイレに行って一端落ち着きたい。
メモを読み返す。あるであろう質問の答え方、敬語、自分の生い立ち、仕事、人生観、将来…
そして彼女への気持ち。色々考えていると少し落ち着いた。
そしてトイレを出ようとした時ある事に気付いた。
もし、もし万が一、だ。彼女が先に部屋に入っていたとしたらどうすればいいんだ。
自分は一人でノックして入るのか?入ってからどう言えばいいのだ。
名前だけを言うのか?ちゃんと返事してくれるのか?
きっと声が震える。足もふらつく。怖い。
部屋の前まで戻った。
そこには彼女が居た。待っていてくれた。
思わず涙目になる。彼女は何事かとびっくりして心配してくれた。
ああ、きっと自分は間違っていない。大丈夫、問題無い。
彼女が私をチラッと見る。
私は彼女を見て頷いた。
「お父さん、連れてきたよ」
部屋の中にはお父様とお母様。
私の品定めの為に今日はいらっしゃったのだろう。
ここから30分程は思い出そうとしても良く思い出せない。
彼女の話題が中心だったと思う。ガチガチの私はロボットの様な動きとドモリ気味な喋りで何とか会話していた。
そして1時間くらいが経過した。
少し酒が進み・・少しずつ打ち解けはじめた頃お父様が切り出した。
「○○くん、君が娘を好きなのは分ったよ」
「恐縮です」と言った。
使い方あってたのだろうか。
「それで今後もあるだろうし…ちょっと色々質問させて貰いたいんだ」
そういうとお母様がお父様にA4の紙を渡した。
「えーと、まず仕事は何を?」
「販売店のスタッフをやってます。」
「具体的に何をするの?」
「レジ打ちとか仕入れを決めたり。たまに本社に行って事務を勉強させて貰ったりもします」
「面白い?」
「…はい。」
「ふーん。それで収入はどれくらいなの?」
「・・・」
「ん?」
「あ、えっと、残業とか、特別収入とかもあるのではっきりとは・・」
「大体でいいよ、年どれくらいなのか教えてくれればー」
「えっと・・」
本当の事を言う方がいいのだろうか、それとも少し多めに言う方がいいのか?
少し考えたが嘘をついてもどうせすぐばれるだろう、本当のこと言おう。
「260万です。」
言った。本当に言った。
彼女のことは真剣だ。嘘は付きたくない。
だから正直に行った。
「・・・」
沈黙。
何だこの間。誰か喋ってくれ。お願いだ。
「プフッ」
お母様。
「あ、ごめんなさい。でも…ウフッ、ウファファファファファ」
お母様が吹き出した。
「ワハハハハハ」
お父様も笑いだした。
笑い声。バカにされてる。これは絶対自意識過剰なんかじゃない。
心の声が聞こえる。今までもこうした笑い方を何度かされた。だから分る。
覚悟はしてきた。でも苦痛に変わりはない。
「ちょっと!!」
彼女が怒ってくれた。
嬉しい、けど情けないな。
私が幸せにできるんだろうか。自信が揺らぐ。
「ハハハ、すまんすまん」
「いえ。」
短く簡潔に、だ。
お父様。
「ちょっとお父さん、…フフ、この方、大卒じゃないのよ。そんな言い方酷じゃありません?」
お母様。
何だよコイツ等。笑いながら喋るな。
本音は
(ぶww底辺wwwwプギャーwwwwww転職は?ねぇねぇ?転職は?wwwwww)
(あwwごめんw高卒だった?wwあはwwwwじゃ、無理かwwごめんねぇwwwww)
何だろ。はぁ。でも仕方ない。
「まあ若いんだしまだまだ可能性があるもんなあ。少し距離を置くことも大切だよ、ねえ母さん。」
「そうよねえ。他に貴方に合う女性もきっと一杯いると思うわよ」
何このコンビ攻撃。
「はっきり言うとあれだ。僕には君が娘と釣り合うようにみえないなあ」
「私もそう思うわ、お父さん。」
はっきり言われた…
「ところで○○君は明日早番なんだよね。そろそろお開きにしようか。」
「もうお話も十分したしねぇ。あらヤダ、もうこんな時間だわ。でましょうでましょう。」
お父様、明日休日です。そしてお母様、私にもう少し喋らせてください。
ここでお父様が予想外の一言。
「○○君、今日はごちそう様。」
え? 俺払い?
冗談かと思ったらお父様とお母様はさっさと店からでていってしまった。
残された彼女と自分。
払わせる訳には行かない。財布が空っぽ。給料日までまだ10日程あるのに。
店をでた。
気遣ってくれる彼女。でも優しさが痛い。
1人になりたい。その晩一人酒。彼女と自分について考えた。
きっと自分と来ない方がいい。でも彼女と居たい。
誰かが言ってた言葉。人様に迷惑をかけるな、人を巻き込むな。
その通りだ。きっと俺は害になる。お父様達にとっては害虫。ゴミ虫。
しかし怖い。資格に通るのはいつになるのか分らない。
きっと今でなきゃ一緒になれないだろう。でも今一緒になっても上手くいかないだろう。
互いの幸せを考えると… 「別れ」の2文字がでてくる。諦めなきゃ駄目なのか。
親の力は強大だ。今日の惨敗は彼女との今後に大きく影響するだろう。
憂鬱だ。
100エーカーの森のどこかで少年とクマが遊んでいる。表面的には純粋無垢な世界であるが、我々専門家グループが詳細に観察すると、この森には発達上の問題や心理社会的な問題が気づかれず未治療で放置されている。表面的には純粋無垢な世界である:クリストファー・ロビンは忠実な動物の友達に囲まれて美しい森に住んでいる。何世代もの読者がA.A.ミルンの「クマのプーさん」の話を優しくあたたかい物語として楽しんできた。しかし、時とともにとらえ方は変わり、現代の発達障害の専門家である我々のグループから見ると、これはDSM-IVの診断基準を満たす重大な問題を持つ動物たちの物語であることが明白である。我々はA.A.ミルンの作品を徹底的に読み、100エーカーの森の住人たちの診断を行ったのでそれを紹介する。医療関係者にこの物語には暗い裏側があることを理解してもらえたら幸いである。
まずプーから始めよう。このかわいそうなクマは2つの問題を合併している。もっとも目立つのは注意欠陥多動性障害(ADHD)の不注意優勢型である。また、例えばプーが雨雲に変装してハチミツをとろうとするなど愚かな考えを起こしたりすることから、我々はプーに衝動性の問題もあるのではないかと議論した。しかしながら、我々は、この行為はむしろ彼に合併する認知障害によるものであり、ハチミツに対する強迫的執着がそれをますます悪化させていると判断した。ハチミツに対する執着は、当然ながら彼の肥満の原因にもなっている。プーの食べ物に対するこだわりと何度も数を数える行為は強迫性障害(OCD)を疑わせる。ADHDとOCDを合併していることから、プーは将来トゥレット症候群を発症するかもしれない。また、プーは脳味噌がからっぽだと描かれている。しかし、クマの頭の周囲の長さの標準値がわからないのでプーが小頭症なのかどうか診断することはできない。プーの脳の発育が悪いのは物語の中に書かれていることが原因かもしれない。物語の最初のほうで、プーは(クリストファー・ロビンに)階段をひきずられて後頭部を何度も階段にぶつけている。彼のその後の認知障害はクマにおける一種の揺さぶられっこ症候群 によるものなのだうか?
プーには治療が必要である。我々は薬物療法が有効だと考える。プーに少量の中枢刺激薬を飲ませてみたら彼の日常生活がどんなに改善するだろうと考えずにはいられない。メチルフェニデート(リタリン)の服用を含む適切なサポートによって、プーは適応性が高くなり、多くの仕事がこなせるようにるであろう。そしてたぶん、もっと多くの詩を作って覚えていられるようになるかもしれない。
僕は薬をちょっとだけ飲む
薬は僕をちょっとだけ良くする
薬は僕をちょっとだけ良くする
悪くはないね
ピグレットはどうだろうか? 不安で、顔を赤くし、狼狽する、かわいそうなピグレット。彼は明らかに全般性不安障害である。もし彼が子供の時にきちんと診察と診断をうけたなら、パロキセチン(パキシル)のような抗パニック薬を処方され、"ゾゾ"(ゾウ)をつかまえようとした時のような心理的トラウマに悩まされることはなかったかもしれない。
プーとピグレットは、彼らの隣人イーヨーの慢性的な気分変調症により、二次的なセルフ・エスティームの低下を生じる危険性もある。このロバはなんとかわいそうな毎日を送っているのだろう。イーヨーの気分変調症が遺伝性・内因性のうつ病に由来しているのか、あるいは以前の心理的トラウマが彼の慢性的な否定的考え方、元気のなさ、失感情症の原因になっているのかの十分な情報は得られていない。イーヨーには抗うつ薬と個人精神療法が大いに効果があるであろう。少量のフルオキセチン(プロザック)の使用でイーヨーはシッポを失った事件のトラウマから解放されるかもしれない。もし彼が食べるアザミに混じって、セント・ジョーンズ・ワートがちょっとだけ生えていたら、森にはイーヨーの元気な笑い声がひびきわたっていたかもしれない。
かわいそうなオウルについて我々発達障害グループの意見は一致した。彼は非常に頭がいいが、読字障害(ディスレキシア)を持っている。彼が言葉の能力の欠点を克服しようとする痛々しい努力は、我々が毎日目にする読字障害で悩んでいる人々のそれと同じである。彼の障害がもっと早く気づかれて、徹底的なサポートが受けられていればよかったのに!
我々はルーのことを特に心配している。我々が心配しているのは彼の衝動性や多動ではない。これらの症状は彼の年齢相応である。我々はルーが育っている環境を心配しているのだ。ルーは片親の家庭で育っており、これは彼の将来に問題が生じるリスクを高めている。我々はルーが将来不良少年になって夜中に森の中をうろつき、ウイスキーの割れたボトルとアザミの煙草の吸い殻をあたりにまき散らすのではないかと予想している。我々はもう一つの問題からも、それがルーの将来の姿として十分にありうることだと考えている。ルーの親友はティガーだが、彼はルーにとって良いモデルではない。つきあう仲間は将来に大きく影響する。
ティガーは社交的で親密だが、危険な行動を何度も繰り返す。例えば、彼は初めて100エーカーの森に来た時、見たことのない食べ物を衝動的に食べてしまっている。ちょっとした挑発にのり、ハチミツやドングリ、はてはアザミまで食べてしまった。ティガーは自分の実験が後でどんな結果をもたらすのかをまったく考えていない。後に彼は高い木に登り、他の人の邪魔になるとしかいいようがない行動をとっている。ティガーはルーを危険な目にあわせる。我々のグループはティガーにはどんな薬がもっとも効果があるかを議論した。何人かは彼の問題行動は明らかに多動と衝動性によりもたらされており、中枢刺激薬が必要であると主張する。また、何人かはクロニジン(カタプレス)単独、あるいはクロニジンと中枢刺激薬の併用が有効なのではないかという。残念ながら、これらの薬物の効果はヒトでしか試されたことがないので、トラにも有効であるかどうかを科学的に判断することはできない。
たとえ我々がティガーを治療できたとしても、片親のもとで育っているルーの将来には問題が残ると思う。カンガはちょっと過保護すぎる。カンガのルーに対する独占欲は以前に社会保障サービスに逃げ込んだことがあるのと関係しているのだろうか? カンガの将来 はどうなるのだろうか? 彼女は何人かの男性と一時的な関係を持ち、その結果妊娠して生まれた子供達の世話をするのに疲れ、財政的困難に直面して、年老いていく可能性が高いと考える。しかし、我々は悲観的すぎるかもしれない。カンガは立ち直る力のある数少ないシングル・マザーの一人かもしれない。 ひょっとしたらカンガは高校の到達度テストに合格し、大学を卒業し、さらにはMBA(経営学修士)を取得するかもしれない。そして、カンガはいつの日か100エーカーの森を買い取り、1軒50万ドルもする高級住宅地に変えてしまうかもしれない。しかし、教育を評価せず、女性の強いリーダーシップを認めない(100エーカーの森の)社会の中ではそのようなことは実現しそうにない。
100エーカーの森では、小さな1人の少年、クリストファー・ロビンが強いリーダーシップを持っている。我々は今のところクリストファー・ロビンには診断しうる問題を認めないが、いくつかの点について心配している。この子が動物と話をすることに時間を費やしていることは言うに及ばず、両親の監督の完全な欠如には明白な問題がある。我々は物語の中で学業困難の初期のサインを見いだしている。また、E.H.シェパードの挿絵を見ると、この少年は将来、性同一性障害に陥る可能性があると思う。我々のグループの中の精神分析に重点をおくメンバーの一人は、彼がクマのぬいぐるみにウイニー・ザ・プーという風変わりな名前をつけたのにはフロイト的意味づけがあると言う。
最後にラビットにうつろう。彼は非常に尊大にふるまう傾向があり、まわりの者(しかも多くの別の種類の動物たち)と非常に親密な関係で友達がたくさんいると妙に信じ込んでしまうところがある。ラビットはしばしば他の者の意志を無視して彼らを新しいグループに組織し、彼自身はその頂点に君臨しようとする。我々は彼には明らかに病院の上級管理職の適性があると思うのだが、彼はその天職につく機会をのがしている。
森のどこかで少年と熊が遊んでいる。残念ながらこの森は実際には魅力的な場所ではなく、発達上の問題や心理社会学的な問題が診断されず未治療のまま放置されている幻滅するような場所である。彼らが小児発達クリニックに”てぁんけん”(探検)に来なかったのは残念である。
まあ、解る。
俺の場合は内容や価値観の面で相容れないことより、ノリが相容れないことが苦痛だ。
ブ米でいえばこういうの。
体育会系やリア充様のノリには息切れして付いていけないけど、キモいはてなのノリは近づいて欲しくない。
でもこういったのが大好きな方がはてなには大量に犇めいているんだよな。
ここの人たちは酒をのむ=バーでのむなの? すごいなあ。大人だなあ。
ぼくなんかも自分の部屋でばんしゃくがデフォルトですよ。安くすむし!
バーで飲むと、いろんな銘柄がそろってるし、1ショットからのめるから手軽に色々試せるのさ。
もちろん気に入ったお酒を常備して晩酌も大好きさ。
ウイスキーは2000円も出せば、それなりにおいしいものがのめるから、その位の価格帯でなにか一つ買ってみて飲んでみたらいいよ。
楽しんでもらえたら本望だよ。
下戸だけど、ハーフロックグラスと氷とミネラルウォーターを部屋に常備してる増田です。
ちゃんとしたバーが(心理的地理的に)遠いなら、インターネットで薀蓄を調べるとか、その薀蓄が気になったら試しに通販で買ってみるとか。
近所のチェーン酒屋でも結構シングルモルトとか揃ってる時代だし。
あー。居酒屋においてあるのなんて、日本製ウイスキーでも膳とか角とかそれはどうよ?ってのしかおいてないからねぇ…(角は嫌いじゃないけど)
初めて飲むならROYALとかリザーブとかのエントリーちょっと上から入ってほしいよね…
そう考えると件の酒飲める自慢君の「ウイスキーまずい」が理解できてしまうよ。
いや、それ正しいよ。ウイスキー旨いっすよ。
最近ハードリカー、つまりウイスキーとかスピリッツを飲む人が減って寂しい。
お子ちゃま認定ですので放っておきましょう。きっと「飲み会」「コンパ」「打ち上げ」というフレーズが言いたくて仕方がない年頃なのです。だいたいチューハイぐらいで「俺酒好き」「俺すごい」とか言うほうがどうかと思います。格好つけているつもりかもしれないがむしろ格好悪い。
ただ、元増田の居場所が何かしらのサークルなんかでその中に「飲み会」「コンパ」「打ち上げ」があるのならその場を楽しむようにしたほうがいいと思います。ぬるま湯に浸かるとそれはそれで居心地がいいから。どっぷり浸からなければいいだけの話。
大学に入るととたんにアルコールを飲むことを半ば強制的に文化として受容せざるを得ない、というのはなんとかならないものか。とくに大学入学以前の友人とアルコールを飲むことに私は強烈な違和感を覚えてしまう。
つい数か月前まではアルコールの存在なしでも普通に会話をし、普通に楽しくやっていた仲なのにもかかわらず、突然彼らとの付き合いが「飲み」一辺倒になってしまうことが残念でたまらないのだ。
無駄にmixi上で「自分はこんなに酒を飲んでいる、えらいだろ」といわんばかりの「一人だけ空気を読まず酒を飲んでいました」的主張をする人間もいる。高校生の時の彼はアルコールを飲むような人間ではなかったから、大学生になってからアルコールに触れたのだろう。そういう彼が、4月1日を超えた瞬間に「自分はアルコールが大好きだ」と主張し始めるのだが、なんだが「アルコールが飲めるやつほど素晴らしい」という大学生にありがちな残念な価値観に毒されてしまっているようでならないのである。
また、アルコールを飲んだ感想として「ジュースみたいでおいしかった。ウイスキーとかはまずいけど、やっぱチューハイはおいしい。」と書いている人物もいる。先にあげた彼もそういった発言をしていた。しかし「ジュースみたいでおいしかった」というのならば、はじめからジュースを飲んでいればいいと思うのは自分だけだろうか。「チューハイはアルコールっぽくなくておいしいですね」というなら、はじめからノンアルコールのジュースを飲めばいい。結局のところ、彼らは「アルコール」が好きなのではなく、「アルコール飲料をたくさん飲んでいる自分」が好きなのではないだろうか。
アルコールは確かに旨いと感じるときがある。しかしやみくもにアルコールを飲めばいいとする大学生の文化は何かおかしい、と私は感じる。結局のところ、アルコールは自己顕示欲を構成する一要素となってしまっているのではないか、と。アルコールを飲めるやつに対して、一応形式的(もちろん本当にそう思っている人もいるが)に皆「すごい」という。それをうけて彼らは今日も「アルコール自慢」を続けているのだろう。
最近人生に疲れてきて、一日いちにちがあんまり楽しくない、代わり映えがしない、とか思うようになってきた。
そんなときわたしは、お医者さんからもらったマイスリーを、お酒と一緒に飲む。
別に自殺未遂とか、そういうのじゃない。飲むにしたってたった1錠。死ぬような量では全然無いけど、でもよく効く。
飲んで数分もすると、意識が朦朧としてくる。眠い、といえば眠いのだけれど、布団に入ったからって眠れるわけじゃない。おでこのあたりが、熱くなってくるような、そんな感じ。
一緒に飲むのは、スピリッツやウイスキーが良い。最近はジンとかと一緒に飲む。
飲んだ後のことは、あんまり覚えていないことが多い。翌朝眼が覚めてみると、服が床に散らかっていたり、シャワーを浴びたおぼえがないのにお風呂がぬれていたり、お酒のビンが空になっていたり。
ネットで変なことをしちゃったりもする。書いた覚えの無い日記が上がっていたり、mixiやケータイで、きわどい内容のメールを送ってたりする。全然記憶に無い。
たぶん、理性とか節度とか、そういう普段の自分を抑え付けているものが、緩んじゃうんだろうなと思う。でも、それが気持ちいいんだと思う。
自分としてはお酒はそんな強いわけではないのですが、飲むときには
そういったものがが分けられてこそ大人の飲み方だと思うのですよ。
ただ、会社に「そういうのは社会人としてどうか」という人がいてその人から見るとどうも自分は強い部類にはいるらしくて、それこそ死ぬ気で飲まないと「社会人としてはおかしい」と言うことで必死でつきあうわけですよ。
昨日だってかなり飲んで一人つぶれてたら途中で話し振ってきてこっちはそれどころじゃないもんだから「あーなんだよ」って言ったら思いっきり頭を締め付けられる始末。
とはいえこっちも「こっちはそれどころじゃねぇんだよ、話なんか聞こえてねえよ。」って怒鳴ったらさすがにその後席はなされましたがね。
以前も同じように飲んで、帰り気持ち悪くなってふらふらしてたら「てめーはそこまでよわかねえだろ!こっちだってウイスキーだの焼酎だの飲んでるけど、てめーはビール飲んだだけじゃねぇかよ」「はぁ?ビール一気のみしたくらいでなんだよ。聞いてるぞ毎週のように飲みに行ってるって」
飲み方が違うんだっていったら「お前バカか社会人としてそれは違うだろ。」って突き飛ばされるしまつで…