はてなキーワード: 迷信とは
http://anond.hatelabo.jp/20071114153237
脚気と悪者森鴎外
そんな中で、海軍医務局長の高木兼寛(後の海軍軍医総監)は、西欧と日本の軍隊の違いは食事にあるとして、白米ではなくパンを中心とした食事(後に同じ麦ということで麦飯に変えている。当時の日本人の中には「パンを食うぐらいなら死んだ方がまし」というくらい洋食が苦手だったらしい)をとれば、脚気にかからないことを証明し、脚気の解決法を明らかにしました。その結果、海軍では脚気患者はほとんど見られなくなりました。
しかし、ドイツの細菌学を中心とした陸軍軍医の上層部には納得できませんでした。病気の原因もはっきりしないまま、食事の改善などということで、病気が治るはずがないと考えたのです。彼らにはコッホ以前の迷信的な治療法のように感じられたのです。また、脚気の病原菌が発見されたという誤報もあり、高木兼寛に対して、露骨に反対をしました。
ここで登場するのが、悪役の森鴎外です。ドイツに留学中の森は、高木兼寛に反対する論文を送ってきました。これは、高木批判の大きな力となりました。さらに、帰国して一等軍医となった森は、脚気の原因は細菌であるという信念のもとに、徹底的に高木を攻撃しました。
(略)
その結果、海軍では脚気による死亡患者はほとんどなかったのに対して、陸軍では、日清戦争では 3944人(戦死者は293人)、日露戦争では27800人(戦死者は47000人(この中にも多くの脚気患者がいた))という非常に多くの兵士の命を脚気によって奪う結果となったのです。
森鴎外らが高木の成果に対して柔軟な姿勢をとっていれば、死なずにすんだ多くの人間の命を奪ったのです。しかし、森鴎外は生涯、誤りを認めませんでした。
前の60行テンプレートエンジンを改良して、レイアウトテンプレート機能を追加してみた(それでも全部で90行)。
レイアウトテンプレート機能とは、例えば個別のテンプレートが<table>...</table>を出力して、それをレイアウトテンプレートが<html><body>...</body></html>で囲って出力するとかそんなの。
詳しくは終わりの方のサンプルをみてくれ。
これは Ruby on Rails(とその仲間たち)にある便利機能のひとつ。
ついでにいうとSmartyにはない機能のひとつ。
今まで知らなかった人はぜひ試してくれ。チョー便利だから。
前回はたくさんのブックマークありがと。
コメントで「男前テンプレート」と名前がついてたので、勝手に採用。
あと、これ以上の機能追加はしないので、各自勝手に改造して使ってくれ(そのためにコメントをつけてるから)。何でも人任せにするな。
コード:
<?php /* * OtokomaeTemplate.php -- レイアウトテンプレートに対応した90行のテンプレートエンジン * * - レイアウトテンプレート中で echo $_content; とすると中身が表示される。 * - テンプレート中で設定した変数をレイアウトテンプレートで使うことが可能。 * - レイアウトテンプレート名をテンプレート側で指定することも可能。 * - 使い方: * require_once('OtokomaeTemplate.php'); * $TEMPLATE_DIR = 'templates'; // 省略可、パーミッションに注意 * $LAYOUT_TEMPLATE = 'layout.php'; // 省略可 * $context = array('title'=>'Example', * 'list'=>array(10,'<A&B>',NULL)); * include_template('template.php', $context); * - 要 PHP 5.1 or later * - ライセンス: public domain (自由に改造してね) */ /* * 設定用のグローバル変数 */ $TEMPLATE_DIR = NULL; /* テンプレートを探すディレクトリ */ $LAYOUT_TEMPLATE = NULL; /* レイアウトテンプレートのファイル名 */ /* * テンプレートを読み込んで実行する。 * $_context は変数名をキー、値を要素とする連想配列。 * $_layout はレイアウトテンプレートのファイル名。 * - NULL または省略した場合は $LAYOUT_TEMPLATE を使う。 * - FALSE ならレイアウトテンプレートを使わない。 * - $_context['_layout'] = '...'; とすればテンプレート側でも指定可能。 */ function include_template($_filename, $_context, $_layout=NULL) { global $LAYOUT_TEMPLATE; $_content = render_template($_filename, $_context); if (@$_context['_layout'] !== NULL) // テンプレート側で指定された場合は $_layout = $_context['_layout']; // それを使う。 elseif ($_layout === NULL) // 引数で指定されなかった場合は $_layout = $LAYOUT_TEMPLATE; // デフォルトのファイル名を使う。 if ($_layout) { $_context['_content'] = $_content; // レイアウトテンプレート中で使う変数 $_content = render_template($_layout, $_context); } echo $_content; // or return $_content; } /* * テンプレートを読み込んで実行し、その結果を文字列で返す。 * include_template() の実体。 */ function render_template($_filename, &$_context) { $_cachename = convert_template($_filename); extract($_context); // 連想配列をローカル変数に展開 ob_start(); include($_cachename); // テンプレートを読み込んで実行 return ob_get_clean(); } /* * テンプレートファイルを読み込み、convert_string() で置換してから * キャッシュファイルに書き込む。読み込み時のロックは省略。 * (file_get_contents() もファイルロックできるようにしてほしいなあ。) */ function convert_template($filename) { global $TEMPLATE_DIR; if (! file_exists($filename) && $TEMPLATE_DIR) $filename = "$TEMPLATE_DIR/$filename"; $cachename = $filename . '.cache'; if (! file_exists($cachename) || filemtime($cachename) < filemtime($filename)) { $s = file_get_contents($filename); $s = convert_string($s); file_put_contents($cachename, $s, LOCK_EX); // LOCK_EX サポートは 5.1.0 から } return $cachename; } /* * テンプレートの中身を置換する。 * - '#{...}' を 'echo ...;' に置換 * - '%{...}' を 'echo htmlspecialchars(...);' に置換 * - ついでにXML宣言も置換 */ function convert_string($s) { $s = preg_replace('/^<\?xml/', '<<?php ?>?xml', $s); $s = preg_replace('/#\{(.*?)\}/', '<?php echo $1; ?>', $s); $s = preg_replace('/%\{(.*?)\}/', '<?php echo htmlspecialchars($1); ?>', $s); return $s; } ?>
<?php require_once('OtokomaeTemplate.php'); $TEMPLATE_DIR = 'templates'; $LAYOUT_TEMPLATE = 'layout.php'; $context = array('list'=>array(10,'<A&B>',NULL)); include_template('template.php', $context); ?>
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd"> <html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="en" lang="en"> <body> <h1>%{$title}</h1> <div id="maincontent"> <!-- テンプレートの内容 --> <?php echo $_content; ?> <!-- /テンプレートの内容 --> </div> </body> </html>
<?php // レイアウトテンプレート名をテンプレート中で指定する場合 ?> <?php //$_context['_layout'] = 'mylayout.php'; ?> <?php // レイアウトで使用する変数をテンプレート中で指定する場合 ?> <?php $_context['title'] = 'レイアウトのサンプル'; ?> <table> <?php foreach ($list as $i=>$item): ?> <tr bgcolor="#{$i % 2 ? '#FFCCCC' : '#CCCCFF'}"> <td>#{$i}</td> <td>%{$item}</td> </tr> <?php endforeach ?> </table>
出力例:
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd"> <html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="en" lang="en"> <body> <h1>レイアウトのサンプル</h1> <div id="maincontent"> <!-- テンプレートの内容 --> <table> <tr bgcolor="#CCCCFF"> <td>0</td> <td>10</td> </tr> <tr bgcolor="#FFCCCC"> <td>1</td> <td><A&B></td> </tr> <tr bgcolor="#CCCCFF"> <td>2</td> <td></td> </tr> </table> <!-- /テンプレートの内容 --> </div> </body> </html>
いくつか補足:
http://anond.hatelabo.jp/20071108104159
を読んで思い出したのだけど、関西(京)風の料理が「薄味」だというのは大いなる誤解だと思う。
誤解をさせている理由は三つ。
(1)「薄口醤油」の色合い
うすくちは、味が薄いのではなく色が薄い。そして関西の料理は「だし」がメインで醤油は色づけ香り付け。対して、関東の料理は「だし」はあっさり、で醤油・みりんで味を調える。もし関東風の「だし」に、関西風の醤油を使い、かつ関西風に少ししか醤油を使わなければ「薄味」の料理ができるだろう。でもそれは関西の料理そのものではない。自分には関西風の「だし」は非常にコッテリと重く感じられる。たとえばおでんなどでそれを強く感じる。コッテリ味の食品がメインのコンビニが、全国展開のおでんに「関西風」を採用したのは当然なので、つまり見た目はともかく内容において、関西料理もまた「コッテリ」なのである。
関東人にとって「関西風」というのは、『関東に出店してくる関西一流料亭の味』だと思う。だが、当たり前だが一流料亭の味は、一般感覚で言うと「薄味」である。つまり「関西は薄味」という言葉は、関東人による美化に過ぎない。
(3)うどんとそばの違い
関西人が誤解しやすいことに「関東でうどんを食うと汁が真っ黒で食えた物ではなかった」という出来事がある。関東人はうどんという食べ物を誤解していて、うどんダシにそばつゆをそのまま使っている。うどんというあわやかな小麦の味を味わうための麺料理にあのダシの味はきつい。結果「関東の味付けは濃すぎて口に合わない」と関西人はうそぶくことになる。
一方、同じ思いは関東人が関西に行くと味わうことになる。なぜ蕎麦を「うどんだし」のあの甘たるいあじのつゆで食わなくてはならないか、と。蕎麦粉という個性の強いものには、関東風の「すっきりダシ、キリッと味付け」のつゆがベストチョイスなのであって、それはあくまで「うどんvs蕎麦」という対象食材の差であり、地方差ではないのだ。なのに、それを地域差だと思っている不幸。
以上三点を根拠に、増田は長らく『「関西=薄味」は間違い』説を主張しているのだが、さっぱり広まらないのでとりあえず書いてみた。
ガチホモさんに触発されたので何となく書いてみました。
ちなみにスペックは東京在住、20代、ボウズ、髭、ガチムチ体型(≒でぶ)。ゲイバーは月に2〜3回飲みに行く感じ。
ガチホモさんと同じく、すごく偏ったゲイの一サンプルとして見ていただければ幸いです。
アタシはホントノンケを食うとか興味ないんだけど、知り合いとかでは「ノンケでもほいほいくっちまうんだぜ」な人がいるのは確か。
しかも一般的には「ジャニ系はジャニ系、ガチムチ系はガチムチ系を好む」って思うかもしれないけど、
実際はジャニ系のくせにガチムチ系が大好きだったり、その逆ももちろん有り。
一つ勘違いしないで欲しいのは、確かにゲイのタイプは様々だからアナタがねらわれることも(もしかしたら)あるかもしれないけど、
決して野獣のようにいきなりおそってくるって事はほぼアリマセン。
てかそんな事を男女の間でしたら間違いなく強姦でしょ?それはゲイの世界でも一緒。
もしその気がないのに迫られてきたら、いやなモノはイヤといいましょう。それでも引き下がらなかったらボ(略
アタシはします。ただし、昼間は普通の仕事なのでそこでは普通に話します。
「オネエ★MANS」のように四六時中あんな感じの人も中にはいるけど、大半は少なくとも仕事中は普通な人ばかりかと。
ただ、アタシの場合は思考回路も微妙にオネエになってるので、たまに気を抜くと仕事中でも「アタシは〜」「〜じゃないの?」とかいうことも多々・・・
そんな感じなので、アタシ自身はオネエに関して嫌悪感とかは全く持ってません。
もちろんオネエを全く使わない人もいることはいるし、そういう人たちでもオネエ好き〜って人もいる。
逆に脳みそまでオネエなアタシからするとうらやましいけど(笑
別に??って感じ。自分たちでも特に意識して使い分けてるって事も無いと思うし。
ちなみにアタシの周りでは「ゲイ」よりも「オカマ」って表現する方が多いかも。
「あの男、見た目からして絶対"オカマ"よね〜」みたいな感じでね。
あとは「ゲイゲイしい」よりは「カマカマしい」かしら?こっちはあんまり使わないかも(笑
迷信というか、確かにゲイの方が取り上げられやすいからそう見えるかもね。
ただ、周りを見ると割とゲイの人は流行に敏感、新しモノ好きって人は多いわね。人とは違うモノをほしがるとかね。
あと、コレはアタシもそう思ってるんだけど、自分がゲイであるってところにある種の負い目をどこかで感じてて
「自分が認められるにはノンケよりもっとがんばらなきゃ」って思って人一倍努力しているってパターンから
結果的に人一倍努力して目立つってことも。
・・・ま、コレは「オカマは負けず嫌い」って部分にも通じるところがあるかも(笑
会社にはばれてないと思うけど、まぁオネエこそ喋らずとも普段の行動が「カマカマしい」のでばれてるのかも?
まぁ、プライベートにはあまり関与しない会社だし、社内にもお仲間が数名いたりするので(もちろんその人達も隠してるけど)こっそり仲良くしてたりはする。
しない。何人か訳知りのノンケ友達もいるけど、その大半はアタシがゲイって事をしっててつきあい始めたので
自分から明示的なカミングアウトをした人はホント数名かな。
両親兄弟親戚関係には誰にもカミングアウトしません。うちは片親で母親には苦労かけてるし、
これ以上の苦労はかけたくないからたぶんこのまま死ぬまでしないでしょうね。
・・・ま、ただ家でもオネエこそ(略)のでうすうす感づいてるとは思うんだけど。
恋愛対象になることは無い。純粋にかわいいと思うことはあるけど。
アタシは俗に言うハロヲタ・アイドルヲタだったりするんだけど、ゲイのなかで「アイドル好き」が多いのは
って部分が大きいんじゃないかしら?少なくともノンケでいう「○○は俺の嫁」みたいな感覚はないかと(笑
堤下はだめだけど高田はOK。ま、ここら辺はホント人それぞれの好みだからねぇ。
あたしがほかに好きなタイプは室伏とかイチローとか須藤元気とか、あまり一貫性はない感じ。
ちなみにケンコバは理由はさておき、周りでも好きって人は多い。もちろんアタシも好きですが。
ん〜特に目立った事はしてないと思うけど。
幼稚園の頃から女の子と遊ぶことが多くて、小学校高学年の頃にはもうオカズが男だったし、
同級生の裸を見てハァハァしてたりもした(笑
飲み屋デビューは高校生のときで(もちろん飲み屋ではノンアルコールで(笑)、その前はゲイ系のチャットルームとかで遊んでたかな。
アタシ達の時代がちょうどネット関係がはやりだした頃で、もうちょい上の人たちになるとダイヤルQ2とかそこら辺になるらしい。
ただ、実際に一人で飲み屋に行ったりとかするようになったのは、社会人になって数年たってから。
ちなみに彼氏ができたのも20代前半が最初だったわ。
ぶっちゃけ、まだ何も考えてはいません。ただ結婚はしないとおもう。
ちょっと前まではやっぱり老後のことを考えると偽装でも結婚して子供作るのがいいのかな〜と思ったけど
決してそれだけが幸せの形じゃないって事はいろんなモノをみてきて感じたし、
正直言って、そもそも長生きしようとは考えていません。
ガチホモさんと同じような感じだけど、今死のうが、数十年先に死のうが「いい人生だった」と思える様に生きたいわね。
かなり適当に書いたので読みにくいかもしれません。申し訳ないです。
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
西暦2026年。日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。
もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本の出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家も市井のブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。
21世紀の情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。
O社というある小さな会社の出した女性型ロボットが、その原因らしい。
そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味で生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気も食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。
三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子のコピーを広げるためであると言える。生物の存在という目標のためだけに生物は存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物は存在する。
男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性と関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性と関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性とセックスできるだろう。
だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノは存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間の経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間の無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。
たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性が権力や高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者、独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領のクリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家や財界人が愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇や大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。
しかし、人間は婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会は存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間の男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間の男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産、育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ
だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンス、バーチャルリアリティ、そして人型ロボットの研究が男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。
月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブとボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットのサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。
そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性型ロボットだった。
ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実の女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。
しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。
いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性型アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性の永遠の理想の体現であった。
だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?
数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。
例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママな女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性が女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。
そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実の恋愛、結婚へと戻っていったのだった。
しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。
こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本の出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。
しかし、再び現実の恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。
だが、、、これは本当に人類の進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術の進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類の歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類の未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。
http://anond.hatelabo.jp/20070605234145
http://anond.hatelabo.jp/20070606021132
ストレス解消してるって実感はないんだな。
まあ、やめとこかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070606105024
他へのトラバでも言ったけど、理屈はどうでもいいんよ。実体験が聞きたいだけ。
その六年寿命が減るところを実際に見たのかと疑問に思う。
そういうどこからどんなふうに出たかも分からない数字を信じるのは、
写真を撮ると魂がとられるとか迷信と同じに感じるから、実体験だけ聞きたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070223132842
男子も女子も元から普通に男性、女性を表す言葉だよ。落ち着け。
男子にはむしろ「ますらお」という意味もあるぐらいで。「男子の本懐」って子供の夢のことじゃないだろ? 女子……はちょっといい方面の表現が少ないのは歴史的にしょーがねえので例示はしないけどさ(女子と小人とか……あ、しちった)。
だから「文脈から言って「子供」の「子」だと思う」ってそこから違う。「部」は「同好の士の集まり」だから別に学校文化云々でもない。社会人ラグビー「部」でも全然問題ないだろ? まー勝手に日本語誤解して勝手に吐かれてもお疲れさんとしか言いようがないので、とにかく落ち着け。左を下に寝てればいいと思うよ。多分。
何でも女性誌発祥にしたくなる気持ちも分からんでもなく、そこがおまいさんの全ての発狂の源かもしれないけどさ。俺も「セレブ」とかいう酷い和製英語を見るたびに吐きたくなるので。左を下にして寝てよう。
補足:右を下にして寝ろというのは迷信らしい。
みなさんの体は何で出来ているでしょうか。
はい、お肉で出来ていますね。
本来、お肉以外のものを摂取する必要はないんです。
どんな人間も肉と骨と皮で出来ているでしょう?
肉と骨と皮さえ摂取すれば、それ以外には何もいらないんですよ。
みなさん、それをわかってないんですよね。
やれ身体に悪いだの、大豆のほうが美味しいだの…。
ちょっと考えればわかることじゃないですか。
大豆ばっかり食べているとモヤシになってしまいますよ。
分裂勘違い君劇場 - 分裂勘違い君劇場は、データねつ造疑惑発覚により閉館になりました。長い間ありがとうございました。
大豆農家の提灯ブロガーとして活動していた分裂勘違い君劇場もついに閉鎖しました。
しかし、彼が食肉業界に与えた損害を考えると、「閉鎖します」の一言で済ませられるものではありません。
これまで間違った言説を広めてきた責任を本当に取りたいのなら、
一刻も早くブログを再開して、今度は肉食の素晴らしさを訴えてほしいものですね。