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2013-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20130926033942

元増田です。ブックマークがたくさんついていてびっくりです。そして、コメントありがとうございました。せっかくコメントをいただいたので、何が間違って伝わっていて、何を本当に伝えたかったのかを整理しておきたいと思います。これでも反論などあれば、是非聞きたいですね。

まず、ぺらぺら、くそ野郎などの言葉が、違和感不快感を与えてしまったようでしたら、申し訳ありません。人目を引くために挑発的な文体を選択したまでで、文化の優劣の主張、語学能力の自慢話などを意図したものではありません。

また、英語のみで文化一般を語る事、数年の駐在経験から文化全般を理解しているなど、私の極めて限定的な経験から一般論を主張する事に関して、批判がありました。これは全くその通りで、数カ国後を操れる言語エキスパート外国へ定住している人が、同様の主張をする事に比べれば、私の主張ははるかに納得性が低いと思います。ただ、英語の習得度合いに応じて、得られる情報の量と質が上がると共に自分の考え方や世界観が変わっていく感覚経験したので、その事のみを根拠にして書いています。この感覚の形成要因として、駐在経験ネイティブスピーカーとの深い交流などももちろん寄与していますが、独学である程度のレベルに達した時点で感じていた事なので、主に言語習熟の度合いと使い方から来るものと思います

最後に多かったのが、ここが一番大事な部分なのですが、語学学習目的である事を証明するつもりが、手段の証明になっているというコメントです。この批判は、文化理解を目的とすれば、語学学習は手段になるではないか、という事だと思います。完全に個人的な経験からますが、私は英語の響きが好きだとか、できると何かかっこいい、というような不純な動機で、ただ語学学習が楽しみながら続けてきた結果(英語目的として位置づけている)、上述のブレークスルーに至りました。グローバル競争で生き残るための英語などと言われます(英語を手段として位置づけている)が、そのような大義の元に若い人たちの語学学習奨励したり、興味の芽をつぶしたりするのは、何だかどこかの独裁国家のようで、違う気がするのです。語学学習のもたらすアートがのような強烈な世界観の広がりを踏まえれば、ただ語学学習目的とする事に対して、大人は寛容な姿勢を持つべきではないか、というのが一番伝えたかったメッセージです。

まり、こんな大人でなく

 大人:「なんのために英語勉強してんの?」

 若者:「何のため・・・うーん・・」

 大人:「私くん、目的なしの英語なんて無駄だよ。いいか世界グローバル化して(略)」

こんな大人が増えたら良いなあというのが私の願いです。

 大人:「なんのために英語勉強してんの?」

 若者:「何のため・・・うーん・・」

 大人:「私くん、語学を学ぶ事は良い事だ。きっと楽しい未来が待っている。がんばりたまえ!」

 
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