はてなキーワード: 精神年齢とは
アニメが、でもない。
むしろそれらは好きだ。
でも、どうしてもダメなのが杉田&阪口の醸し出すあの押し付けがましい雰囲気が。
そしてファンが、だ。
同属嫌悪は自覚しているが、なんであんなに2ちゃんねる的というか
厨二的な言動を表に出すんだろう。
基本的に原作、アニメが好きでも、それらが苦手なもんだから、静観するようにしている。特に触れないようにしている。
それなのに、何故草たっぷり生やしたコメントとか投げてくるんだろう。
オンでもオフでも、さして親しくもないのに、いきなり草生やして馴れてくる神経が知れない。
銀魂のファン層の精神年齢の低さは、ブリーチファンの上を行く気がする。
不快・不愉快を通り越して、親御さんはこんな姿を見てどう思うんだろう、という遠い目をしてしまう事さえある。
基本的に、漫画だの、アニメだのは、裏方やファンの姿を目にするものじゃないよなぁ、としみじみ思う。
とはいえ、別に全部が全部じゃない。最近でこれを感じたのは鋼錬と銀魂くらいだ。
リボーンなんかも同じような年齢層なのに、なぜかキャッキャウフフ的な、まったりムードなのが不思議だ。
痛いファン層、そして裏方の痛さって、どこから来るんだろう。
痛いファンやキャストってのは、勿論どこにだっている。
でも、なんか違うんだ。その密度が。空気が。
単なる好みの問題だとは思うんだけど、どうにも不思議でならない。
徹底した思想をお持ちなのであれば、なぜにそこで「知能指数100」だなんて、ぬるい基準を出すのか、ということを問いたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
の解説を見てもわかるとおり、
齢が違う人同士の知能を直接IQで比較することはできない(たとえば、IQ200の5歳児とIQ100の10歳児の知能は同じである)
…
IQは万能ではなく、主に左脳の機械的な演算能力のみを測っているに過ぎず、この検査の対象が知能のすべてを含むわけではない。記憶力などはIQとは関係がない。
…
精神年齢は12、13歳を過ぎるとそのままの定義では不自然なIQが算出される
…
「従来のIQ」の数値は、あくまで知能の発達の早さを意味するものであり、異年齢の他人との数値の単純な比較によって直ちに天才的であるとか成人より高知能であるとかを断定することはできない。例えば、5歳の児童が、10歳の平均的な児童と同じ知能を示せば、IQは200になる。そして、IQ100の11歳児とIQ200の5歳児を比べれば、平均的な児童であるIQ100の11歳児の方が、IQが突出して高いIQ200の5歳児よりも知能は高いことになる。この例からも分かるように、IQの数値は、知能の高さの絶対値ではないのである。
また、5歳でIQ100の人が7歳になったらIQ90であった場合、一見すると数値が低くなったので知能が退化したかに見えてしまう。しかしながら、5歳時のMAは5歳0ヶ月であり、7歳時のMAは約6歳3ヶ月である。このため実際には知能水準は伸びている。
…
外国人などの非ネイティブ者、言語障害者、非識字者などの場合は、言語面に重点を置いた検査で著しく低い数値がでる場合が多い。
…
IQはその測定のために便利な表記法として編み出されたものでしかない。このためIQは知能全般にわたる能力を示す数値と考えるべきではなく、知能検査の内容に含まれる言語的能力や論理的能力をはかることができる目安程度のものと考えるべきである
とか。
コレ読むだけでも「知能指数100以下」という基準があんま使えないとおもうのだが。
赤の他人と同居して、他人を理解して、受け入れて、生活していく。
間違いなく大変。でも、その困難を知って乗り越えてこそ一人前だと思うんだよ。
こんなもん結婚(というか人生)の大変さのごく一部でしかないだろ。
いい歳こいてこの程度の精神年齢ってことだから、せっせと容姿を磨いて(若いうちに)、女を愛玩動物として一生飼ってくれるような金持ち男を捕まえるしかないと思うけど、そんな男捕まえられるほどのスペックではなさそうだから難しいかもなあ。(男の)頭の方を妥協して、金だけはあるけど頭がイマイチなボンボンみたいなのを狙うといいかもな。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
命の危険にさらして申し訳ありません。
救いとなるのは、話を聞いてくれる人たち。ですよね?
私はもう27になるのですが、精神年齢は中2のままだなぁといつも思います。よね?
そんな世間のやさしさと厳しさ(こんなもんじゃないのだろうけど)を感じながら、
明日も生きます。
ありがとう。
私の姉は精神病を患っている。詳しいことは知らない。統合失調症とか、うつ病だとか、分裂症だとか、まあそこらへんだと思う。よく分からない。ちょっと前までは多重人格のようなことを口走っていたけれど、最近は聞いていない。
症状は、荒れに荒れた中学時分の反抗期が終わったぐらいから何年も続いていて、最近は落ち居ているけれど、少し前まではかなり大変なことになっていた。
夜。何かといちゃもんをつけては外へ飛び出す。自分は要らないのだ。ゴミなのだ。存在することが誰かの迷惑になるのだと両親にぶつけて、両親は決死の思いでそうじゃないと繰り返すのだけれど、一度主張しだしたが最後、頑固な姉は過去のことを穿り出して来て、最終的に深夜に家を飛び出しいた。心配して起きて待っている両親をよそに、コンビニなどへ行って、二時三時に帰ってくることがたくさんあった。
私の姉(一概に姉といってももうひとりいるので、以降は長女とする)は、わがままな頑固者で、人とのコミュニケーションの距離感覚が異常なまでに近い上に正義感が強く、するりするりと繰言を繰り返しては、結局最初に述べた理論を押し通すような人間だ。
一通りの中二病的精神状態を経てからは、どうやら一定レベルの精神年齢で思考を停止することを覚えたらしく、言動が幼くなり、五十歳も目前に迫っていた両親に肥満の巨体でじゃれ付いては、大変そうな表情を見つけて、居なくなった方がいいのだと言い募っていた。
まったく面倒くさい奴である。正直、私は長女のことが苦手である。一時は本気で嫌いだと思っていた。死にたいならさっさと死ねばいいと、家を出て行きたいのならばさっさと出て行けばいいと思った。まあ、その思いは、基本的なところで今も変わらないのだけれど。私も大概ひどい奴である。
さて、以下にそんな私の姉を中心とした私の家族を列ねてみる。個人的に、我が家はそれなりにどこにでもある家庭で、それなりにみんなが問題を持っている家族集団だと思っている。普遍的な家庭ってことだ。
最初は母だ。
基本的に短気な人である。長女との喧嘩でよくよく言わなくていいことを言ってしまうし、無視しあしらってしまえばいいような場面でも全力で受け答えをしてしまう。もう何度も経験して、その言い方をすればどんな結果に辿り着くのか傍目から見ても明らかなのに、同じ道筋を辿ってしまうのだ。学習能力がないと、家族からからかわれている可哀想なお茶目さんだ。
そして、寡黙なのを押し通して、最後の最後まで手を出さないよう、あるいは最後には俺しか居ないのだと構えている父。
母と長女が諍いをしているのをじっと黙ったまま見ていて、最終的に立ち上がってみるのだが諭すことに失敗する。成功例もいくつかあるように思うけれど、失敗した時は姉が飛び出た後で母を責めていたような気がする。いや、あんたにも責任はあるだろうとは度々思ったものだ。個人的に煙草の煙が大嫌いなので止めて欲しい。
祖母は、要らないところで口を挟むKYな人物だった。
聞いていてはらはらするのだ。基本的に関知しないことを潔しとしていた祖母だけれど、感極まって口を出すことがあった。それで口喧嘩になる。長女には敵うわけがないのだから、結局は無駄なのだからやめたらよかったのに。未だにバリバリと働く元気なお祖母ちゃんである。
次は次女だ。
私と同じで、基本的に部外者だったのだけれど、私に比べて彼女は家族思いだった。離れていても母親とメールのやりとりをしたり、いろいろ話も聞いていたんだって。更には、一度飛び出した長女の頬を張ったこともあったらしい。その後、ごめんと謝って、叩いていいよと返した次女は結構恰好いい女だと思う。うん、本当に。
そして、私である。
厨房の頃は耳を塞ぎ、高校生の頃はどうにかできるのだと、私が何とかするのだと義務感に燃えていた無謀な馬鹿である。頭の中で何度も長女とのやりとりにおける対策を考えては、両親や祖母の向かい方を小馬鹿にして、私ならこうするとシミュレーションを繰り返していた。
でも、実践では惨敗。自分が要らない人間だと言う姉との会話の中で、お前は嫌いだと言われ、更には冒頭で死ねばいいとか思っていながらも、もう飛び降りると川に身を乗り出した姉の身体を抱き止めたこともあった。一貫していない阿呆である。そして、あの時手を離していたらどうなっていたのだろうと、最近考えてみたりしている。詮無いことだけれど。
まあ、結局私は無力だったのだ。若気の至り。世間知らずもここまで来ると可愛らしく思えてくるのではないか。黒塗りの消しゴムでぐちゃぐちゃに消し去ってしまいほどに。
さて、そんな我が家には犬が一匹居るのだが、これまた可愛いのだけれどもとっても可哀想な犬となっている。以上に上げたような人物たちなので、かなり怒られてばかりなのだ。また、長女は基本的に独占欲の強い人なので、愛情の示し方が自分のモノとして支配下に入れることで成り立ってしまっている。
つまりは、尻尾を力を込めて踏んだり、皮を力一杯抓ったり、頭に思いっきり噛み付いたりすることがあるのだ。きゃんきゃんと喚く愛犬の姿は、見てみてはっきり言って気持ちのいいものでない。要らない場面で要らない命令(ご褒美も上げないのに、お手とかジャンプとかをさせる)を出すのも気分が悪くなる。
が、それでも、長女は我が家の犬を愛しているのだ。餌をやるのは自分の仕事だと自負していて、先に他の誰かにやられてしまうと拗ねやがるのだ。今年、たぶん25歳ぐらいになるのに(恥ずかしいことに、私は家族全員の誕生日はおろか、正確な年齢すら把握していない)。大きな幼児が居たものである。
ただ、そんな長女だけれど、少しずつ症状が和らいできているように思える。依然として過去のことに拘り、うだうだと五月蝿いことはあるのだが、それでも入院した後は積極的にバイトに行くようになったし、ネットで知り合ったらしい友達の輪も増えたように思える。
母も、まだ気苦労は耐えないだろうが、気長に付き合っていくことを覚悟しているようである。
父は、問題は両親と長女だけの間で解決するのだと気負っているし、祖母も、最近ではあまり空気の読めない発言をすることがなくなった。
次女は、実は一度家族(主に長女に対して)に抱いている暗い感情を気の知れた人物に吐き出したことがあったそうだ。掛け替えのない家族なのに、邪魔だとか面倒くさいとか居なくなってしまえばいいのだとかひどいことを考えてしまうのだと、泣きながら吐露したのだという。
素晴らしいではないか! 私には到底できない芸当である。次女を筆頭に私は家族のことを(もちろん長女も含めて)結構尊敬していると思う。
さて、最後に一番ひどい奴だ。何だかんだ書きながらも、必ずどこかしらで家族のことを見限っている私だ。こんな詰まらん分析もどきをしてみたり、どうでもいいようなことを考えている私である。社会になど馴染めないと、すでに諦め腐っている。
しかしながら、だ。私は私のことがそれほど嫌いではない。かと言って好きでもないのだけれど、まあいいかなと思っている。だから、本心から自分のことをひどい奴だとか思って悔やんでいるわけではない。そう言う人間なのだと受け入れているのだ。
おそらく、人とのコミュニケーションの距離が近すぎたために大変な目に合った長女。
短絡的ながらも、結構いろいろ考えていて悩み苦しみながらも家族のことを思っている母。
憮然と外部から見守って、ちゃんとみんなを支えてくれている父。
できる仕事をしながら、ちゃんと家族として邪魔にならないよう居場所を作っている祖母。
遠くから人と接しながらも、根は優しくて、最近仕事に疲れきっているニコ厨の次女。
私は彼らのことを受け入れて認めている。愛しているなんて言わないけどさ。
でも、家族ってそう言うもんだと思う。愛すことができなくても、憎たらしくて殺したくて死んでほしくなったとしても、それでも認め受け入れざるを得ないものなのだと思う。
そりゃあ、過去に何かがあったかもしれない。親にひどいことを言われたりとか、逆に子供から言われたりとか。
でも、そんなものを全部飲み込んで包んでしまうのが家族なんじゃないのだろうか。完璧な親が居ないように、完璧な子供が居ないように、完璧な家族だって存在しないのだから。温かいだけじゃなくて、生臭くて、汚くて、苛々して、泣きたくなって――
まあ、それでも耐えられなかったり、辛い人もいるだろうし、家族って何ぞ? って思うような孤児の方も居るかもしれないけれどもさ。
要は、家族って面倒くさいんだよ。滅茶苦茶面倒なんだよ。飽き飽きするし、嫌いになるし、憎んで、殺意を抱いたり、でもそれでも感謝することもあったり、いい意味でも悪い意味でも時々励まされるものなんだ。
だから、結局何なんですかって話になるのだけれどね。
私にも分からん。そして終わり方も分からないから、こんな中途半端で一区切りつけることにする。
うーん、これじゃあブクマは増えそうにないな。難しい。
不評だったから冒頭消しました。
ブクマ云々は冗談のつもりだったのだけれど、無意味以上に性質の悪いつかみになってしまったみたいだ。
常々、私は冗談が巧くないと自認していたけれど、ここまでひどいと楽しくなってくる。
もういやだ。チクショウめ。
だからさ、そういうキチガイで精神年齢中学生みたいな馬鹿(=私)が専業主婦なんだって。
専業主婦なんてそんなの多いよ。まともな人は働いてるのが普通だから。
仕事辞めて間もない新米専業主婦は分からないかも知れないけど、
自分の家族と親戚と近所の人とママ友とかが付き合いのメインっていう人(ほとんどの専業主婦はそう)なんて
大抵まともじゃないし、最初まともだった人もまともじゃなくなってくるんだって。だってぬるま湯だもん。
新米専業主婦はまだ仕事を辞めて少ししか経ってないから、仕事を続けてる人との差とかも分からないだろうけど、
これが5年も経つと全然違ってくるよ。
やっぱり仕事を続けてない人(私のような専業主婦)って微温湯に浸かってるからぬるーい感じなんだよね。
残念だけど、こんなアホ(私)でも専業主婦なんだよ。
なんていうか、誰でも子供を産めば親になれるし、仕事をしてなければ専業主婦。
専業主婦って誰でもできるんだよね。
「保育園に預けるなんてかわいそー」って言ってる増田は「まとも」なのかもしれないけど(私はそうは思わないけど、きっと本人はそう思ってるね)、
私のようにキチガイで中学生みたいなのも専業主婦にはいっぱいいるんだよね。
ようやく18話まで見たが、面白いなんて認めたくない。
だって29歳男独身彼女なし、昼間は仕事をバリバリこなすサラリーマンが、会議で熱弁を振るったその2,3時間後に家でアニメ見てボロボロ泣くなんてキモ過ぎるだろ。
アニメは昔はよく見てたけど会社入ってからはほとんど見なくなったし、萌えとかもあんまし興味なかった。
なんでみんなあんな真っ直ぐな子なんだ!って思わず叫びそうになった。
まず大河。あの子の言動一つ一つが、今までどれだけ「ほしいものが手に入らないこと」で傷つけられたかよくわかる。
父親なんかいらないと言いながら、もう何度目かわからない父親が差し伸べた「やり直し」の手を握って信じようとしてしまうあたりが特に痛々しい。頭が悪いんじゃない、本当にほしくてたまらないから信じようとしてしまう、期待してしまう。
次に北村。レギュラーメンバーの中でも一際真っ直ぐな子。友達にいたらいいとは思うが、実際にこういう奴いたら輝きすぎて近づけないな。なんか後半「実は家庭が○○で」とかなったらどうしようとか思ってたけどなんか伏線回収したっぽいし今のところそういう雰囲気なさそう。壇上のアレは王道。ベタという奴は許さん。
川嶋はすごく自分と似てる、と言おうと思ったけど多分「いやオレの方が似てる」なんていう奴がいっぱいでてきそうなのでやめる。川嶋は「人は他人の前では仮面を被るもの」という概念を具現化したようなキャラクターだから、視聴者は誰もが共感する部分を持つと思う。この手の話にはよくあるポジション。でも本当の自分を見てほしい、本当の自分を見てくれる人がほしい、なんてあたりも割と王道キャラ。でも亜美は「仮面を被る自分」とも向き合う強さを持ってたり、普段は表舞台に立とうとしながら肝心のところは陰から大河や竜二、櫛枝を助けようとする優しさも持っている。もちろんそれは孤独に対する恐怖の裏返しでもあるのだけど、恐怖に正面から立ち向かう強さでもある。竜二に対して臆病すぎたり優しすぎたりするわけでもなく、ときには突き放すあたりもまた彼女の強さだ。
生徒会長、最初あの人と川嶋の区別がつかなかったんだが、中身までそっくりで驚いた。正直なんで出てきたのかわからない。別に嫌いというわけじゃないのだけど、なんか北村や大河の引き立て役でしかなくてかわいそうだった。原作だともっとこの人について掘り下げた描写があるのだろうか? あの老成した性格は、家庭環境が特殊だとしか思えない。そういえば高校時代の同級生で学年トップの男がいたが、そいつはやたら老成してたな。確か固い家のお婆ちゃんっ子だったような。案外あの生徒会長もそういう家の出なのかもしれない。まあラストはわーわー泣いたりして高校生らしいところを見せたりもしたが、それでも精神年齢が軽く25は行ってるよこの子。ちょっと真っ直ぐすぎてカタブツなのが難点だが、後10歳年とったらおつき合いしてみたいところだ。
櫛枝。18話終了時点で落ち込みモード全開。今のところ、登場人物の中で最も高校生らしい(とオレが勝手に思ってる)キャラ。遊んで、部活して、恋して、はしゃいで、落ち込んで……北村とは別方向で青春してるって感じがする。竜二に対してほのかな恋心抱いてるみたいだけど、その恋愛に至るまでの思考回路を想像すると、やっぱ10代の女の子っていいね。言っておくがオレはやましい気持ちを抱いてるわけじゃないぞ。でもこんな子妹にいたらちょっといいかもとは思う(オレは姉が一人いるだけ)。櫛枝も生徒会長も、自分の仮面に正面から向き合うって点では川嶋に負けてるな。頑張れ。
最後は竜二。なんで最後に持ってきたかというと、このアニメこれまでさんざん竜二視点で物語進んでるにも関らず、竜二自身の情報がほとんど出てないから。父親いないし、母親あんなだし、明らかに家庭環境が異常で、そのことで精神的な傷を負ってる描写も僅かにあったが(玄関前で父親を拒絶する大河を叱るシーン)、しかしそれ以上の描写がなかった。これは意図的にこの部分にスポット当ててないんだろう。クライマックスに持ってくるために。あの母親がやたら登場回数多いにも関らず今まで話の本筋に全くからんでこないのも気になる。多分母親ラスボスなんだろうなーと勝手に予想。
いやほんと、竜二いいやつだと思うんだけど今のところ何も言うことがない。竜二と聞いて連想するのはお弁当だったり掃除に夢中になるところだったりで、精神描写がほとんどない。あるのは幽霊の話ぐらい?大河に一生懸命になってるところはここでは除外。「なんで」一生懸命になるかの描写がほとんどないから。その辺含めて後半盛り上げてくれると期待。
主要登場人物以外のサブキャラもいい味だしてる。あのクラス先生も生徒もみんないい奴ばかりだな。全国の高校生はきっとうらやんでるに違いない。現実はもっとギスギスしてるからな。あの先生も普通にいい人だね。年近いしおつき合いしてみたいよ。
と、一通り登場キャラクターについての寸評を書いたが、あれこれごちゃごちゃ言うよりみんな好きの一言で片づけたいところだ。一人一人が輝いてる、なんて臭い言葉が思わず漏れてしまうような、そんな素晴らしい子たち。
正直、このアニメを面白いって認めたくない。これ面白いって言うんだったらまだそこらの萌えアニメ好きって言う方がマシだ(あんまし興味ないけど)。これを面白いって認めることは、自分の精神の未熟さを認めることになってしまう気がする。高校生の悩みに共感してしまう自分が恥ずかしくなる。いや、共感というほど自分を重ねてるわけじゃないが、でも先生の目線で暖かく見守るってほど遠くの距離から見てるわけでもなく……オレの貧相な語彙力じゃ説明できない何かがある。でもやっぱりこれを面白いと思うのは耐えられない。職場の同僚や大学のサークル仲間(みんな仕事して結婚したりして大人になってる)にこれが好きだなんてばれるくらいなら、ガンダムとかエヴァが好きって思われる方がマシだ。「自分も結局『仮面』と向き合うのが怖いだけ」ってことなんだろうけど、それさえ認めたくない。
いいよ、オレは仮面被って生きてくよ。みんなそうしてるようにさ。
……こうやって酒飲みながら上の一文書いたら、頭の中で大河が飛んできた。
「ぬわにたわけたこといっとんじゃあーーー!!!」
蹴りで。
ああ、川嶋ってきっと大河のことこう見えたんだろうなあと思う。
やっぱ大河すごい。ていうかこのアニメがすごい。頭の中でキャラが動くぐらいはまるとは。
最近の仕事疲れでもやもやしてた頭の中をきれいにすっ飛ばしてくれた。
と、まあこの「とらドラ!」がオレにとってどれほどつまらないか説明したが、わかっていただけただろうか。
こういうこと?
ならそんな信憑性の低い迂遠な「テスト」なんて使わず、最初から「別の基準」を使った方がよくね?
きっかけ。
研究室での飲み会に参加することが勝手に決まっていて、それを直前に知った私は行けませんと連絡したら怒鳴られた。
私に非があるのだろう(お金持ってないのが悪いんだと思う)けど、謝って何日もネチネチと睨まれる。
コミュニケーションを取ろうとしても目も合わさない。
私が同期内で発言すると、その人の機嫌が悪くなる。
その時は空気読めないふりしてそのまま話をすすめて終わらせる。
正直もう関わりたくないと思い、完全に無視することにした。とりあえず視界に入れない。
その人ともう一人の同期(女)が研究室内カップルで、女の子のほうとは私もわりと仲がよかった。
ある時、研究室にお菓子を作って持って行ったり差し入れたりすると
その子の目の前でだけ、その人が女の子らしいね~もっと作ってきて~と言って私にべたべたしてくる。正直気持ち悪かった。
そしてその子のびっくりした顔を見た時私はさっさとこの二人くっついちゃえばいいのになぁと思った。(その時点で彼らはつきあってたんだけどね!)
もう一つ。初めてスノボに行ったとき。
その人は私にくっついて来て転ぶと立ち上がり方は教えずに、わざわざ手を差し出して起こそうとする。自分で立てるっつーの。
彼女のほうは数メートル先でほかの友達(女)と練習していて、私を見てびっくりした顔をしていた。
いやだからさぁ、好きならしっかり甘えたらいいんだと思った。(その時点で彼らはつきあってたんだけどね!)
もうなんか自分のふがいなさに死にたくなった。
そのくせ私にはなにも言わないんだ。つきあってるってこと。
彼女の方が院に行かずに卒業して半年くらいたってから人づてに聞いた。
さて、この結果
完全に私は空気の読めない女ですね。ほんとうにありがとうございました。
関わりたくないから、関わらないようにしたら、
逆に彼女のやきもちを焼かせる道具として利用されてしまったよwww
人間関係ですらないわ。
そのことに気づいてから、どうその人に接したらいいのかわからなくなった。
ほかの同期からも私が空気読めないからか話しかけづらいと思われていると人づてに聞いてしまった。