はてなキーワード: 寂しい病とは
宣言したいのだ。
自分は今30歳、都内住み、年収380万円、昇給ほぼなし。人間関係の悪い職場。
今は恋愛もしていないし好きな人もいないから不自由していない。
今にこう宣言するのは、これから数年後に「寂しい病」を発病して結婚したくなってしまう感情と向き合う事への懸念だ。
恐いのだ。寂しいと思ったときに何も出来ずに悶々としてしまう事が。そういう苦悩を抱えるのが嫌なのだ。
とにかく自分を抑えなければならない。
だから今のうちに楔を打つように自分に言い聞かせなければならない。
「お前は低収入。世間の普通から落ちこぼれた存在でそれを受け入れ目をそらすな」
今も多くの人が色々な事で現実的向き合い諦める作業をしているだろう。
数年前まではこんな事考えもしなかった。
これを受け入れなければならない。
不安だ。
初めはほとんどの人がパニックに陥ると思います。
しかしそれだけではなく、統合失調症は何故か合理的な判断ができなくなるのです。
例えば死んだおばあちゃんの声が隣の部屋から聞こえたとすると、
統合失調症だと何故か「生き返った」とか「天国と通信できる機械が発明されていた」とか
「実は自分は死んでいるのではないか」と考えてしまいます。
そうなるとなにがなんだかわからなくなりますが、それでも生活していかなくてはなりません。
となると時計仕掛けのオレンジのように平静を装うか、
視覚だけを信じて聴覚を無視する戦略をとろうと漏れは思いました。
聴覚より視覚の方が信頼できるのは、情報量が圧倒的に多いからでしょう。
いっそうのこと耳が聞こえなくなればいいと思いますが、
幻聴なので耳をふさいでも聞こえます。
逆に盲目のひとは不確かな聴覚に頼りを置いて生きていかなければならないので大変だなと思いました。
んで幻聴はいつもいい加減な嘘ばかりなので、
次第に嘘ですらなくなりただの雑音になります。
ときにひとりでぶつぶつ喋ってる人は生真面目だなと思います。
ちなみにもれはテレパシーを使えるようになったので、
発音しなくてもいいので楽ちんです。
それでも時に、幻聴に惑わされるときがあります。
確かな事実を積み重ね冷静に考えたとしてもです。
「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立とう」と思っています。
いちど親戚に結婚式をボイコットしようと考えたことがありましたが、卵側に立って出席しよかったと思います。
逆に出席しなかった時のことをいま考えると恐ろしいです。いちど奥さんを夜中に閉め出してしまったこともありました。
反省して次からは閉め出すことは絶対にしないとこうと思いました。
統合失調症はとても寂しい病気で、世界中の人が敵に回り、自分をいじめているように感じます。
そしてどうして自分を信じてくれないのか、どうして自分に聞いてくれないのかと心の中で訴え続けています。
よく戯言を言う人を統合失調症なんじゃないの?とレッテリ貼りする人がいますが、
統合失調症の症状は本人がそのときの常識を保とうとする結果です。
もし大切な人が統合失調症みたいだったら、病院に行けなんて言わず、
まずその人のいちばんの味方になるように心がけてみて下さい。
嫌いな人だったら「死ね」とつぶやいてみましょう。聞き慣れてるので無視されるでしょうが。