はてなキーワード: 大袈裟とは
ねぇ〜、PHPにしてくださ〜い。え、PHPにしてくださいよぅ。
ねぇ〜。もぅ。OHねえ〜、いいじゃないよぅ〜
減るもんじゃなしぃ〜。
へ、ペリーとても悲しい。悲しいでーす。ねぇ〜ぃ。PHPにしてくださいよぉ〜。
もう〜。開発者の血を入れ替えてくださいよぅ〜。ねえー。も。もーう!
な、ねえっ!もう!なっ!なに!もう!
こ、このっ、じょ、じょ、上場!
なに、それ?
武器?
なに?それ?なんの意味があるの?
何をそれで実行しようとしてるの?
あなたがーた。
怒り?哀しみ?喜び?喜怒哀楽?
なんっ!
いいじゃなーい、PHP〜。
PHPにすれば、済むのです。
・・・・
おぅ。なしのつぶて、でーすか?
ねえ。
ちょっ、そっちのはじっこに座てる人、そう、そう、あなた。
あなた、どう思う?
ねえ。
ちょっ、喋ってよ〜。ねえ〜もう。
ちょ、さっきから、黙って、し、もう〜、喋ってよぉ〜。
ふんっ!
じゃあ、私はあなた方がそうやって私をしかとする様を、
し・か・と・見守ることにします・・・
あ、あっ、うそ、うそ。気、悪くした?
あっ、あっ、あ、でも、そんなにオタクっぽくないよね、Perlerって。
オタクじゃないのね。おーん・・
ううん、初めてじゃないのね、二回目。うん。
あの、<BGSOUND>でMIDI流すのもいいかなぁと思たんだけどねぇ、ちょっと大袈裟になるでしょ?
だから、うん。
最初はねぇ、Swish。で、今度のはAdobeのFlashなんだけどねぇ。
わう、もう!なっ!何やねん!なっ!
もぅ、トップページいったら、招待されろ。招待されたら、コミュニティいけ。
なにそれ!
で、「たった4日で退会しる!」。
なに?口説いてるのそれ?それで口説いてるつもり?
Yahoo!、落としたつもり?
もう!なっ!
PerlとPearlの発音の区別もできないくせに!ねぇ。
DOCTYPEも出さないのぅ?ここん家は?
DOCTYPEも?ああ、いい、いい。あっ、もう、まぁ、ま、ん。
もうねえ、私の好きなね、日本のことわざに、
「果報は寝てまつ」っていいます。
寝ましょか?ここで。寝させてもらいましょ〜か?
おっ、ほほほほほほっ。
It's a joke ! joke! ジャ、ココハじょーくあべにゅーデス。
ハハハ・・・OH!OH!OH!OH!
ふ〜。
PHPにするといいよ〜。
もてるよ〜。もてちゃうよ〜。もてもて。ダヨ〜。
もう、ねぇ、スゴイ。それに。
快適なDreamweaver的生活もねぇ、エンジョイできちゃう。
できちゃう!
register_global、どこでもパラメータねぇ〜。PEAR::HTML_Form、便利ね〜。
<?php ?>。さわやか〜。Zendの作ったFramework。OH!最高〜ッ!!
それに引き換え、Perlのままと、jcode.plはぬるぬるする。cgi、動かない。
あっ〜、もうPerlッ、最低ッ!!
もう。あなた達だけよ、今時、Perlしてるの。
おー。だから、ね。いい?だから今こそ、PHPにすれば、い、いーの。
ねぇ、どう怖いかは、詳しくいわないけれどもねぇ。
俺はそのケが強いと思う。
オールオアナッシングな思考をする人は、求める対象にちょっとでも不備があると興味関心やる気等がゼロになる傾向があるという。
まさに俺はそれ。不備がないうちは、ずかずかやる気もって進めるのだが。
で、そういう人に対して、カウンセラーなどは、「完璧なんてほとんど有り得ない」事を自覚するんだ、等のアドバイスをする。
でも、なんていうか、それは出来ない。
ていうか、出来たくない。
完璧なんて有り得ないことを自覚したくない、というか。
いや、それはちょっと違うな。
なんていうのだろう。
完璧を目指すのを止めたくない。諦めたくない。そんな感じだろうか。
だからその種のアドバイスをされても、俺にはピンとこない。
というか、そんな事は、何となく分かっている。
それでもそれを諦めたくない。完璧を目指すのを諦めたくない。というか、それを諦めるなら、全てがどうでもいい、となる。完璧こそがそもそも動くモチベーションだから、それを破棄するならば、動く意味がなくなる。もともと基本的には何もしたくない人間だから、そうすると、どうでもよくなってしまう。オールがだめならナッシングになる、というのはそういうわけだ。俺の場合。
完璧なんて目指すのは要領がよくない事も、この思考回路でかなり自分を傷つけている事も、直すべきだという事も、分かっている。
分かっているが、出来ない。
直して、完璧をめざさずそこそこの生き方で満足する……そんな自分が耐えられない。それならばいっそ死にたいと思うのである。諦めるのが怖いのだ。俺にとって、彼らカウンセラーの言う「治す」事とは、「諦める」事なのだ。敗北する事なのだ。完璧なんて無理さ、と白旗をあげ、フツーの生き方で、満足する。彼らの「治す」はそういう事で、俺はそういう事を推奨される。俺はこの性格でかなり苦しんでいて、その苦しみから逃れたいと思う一方、そんな「治療」をされるくらいなら、諦めて白旗あげて負け犬人生(普通の人生が負け犬というわけでなく、自己に負けたという意味で)を送るくらいなら、俺は死にたい、と思うのである。
大袈裟でなく、これが昔からの俺の平静状態なのだ。(他人からすりゃどこが平静だってことになるんだろうが)
大学を受ける時、「受からなかったら死のう」と本気で考えていた。そう考えるべきだとすら思っていた。
どうすればいいのか俺自身よくわからない。治したいのか。治したくないのか。
治したくもあるが、その治療法なら治したくない、否、治せない……
そういったところか。
軽く病的。
何故こんな性格なのだろうか?普通の家庭で育ったのに。
分からない。
支離滅裂だぞ。それは主張を変えてしまっているも同義。最初に二つの言葉の違いを区別せず書いた文を後から区別して集合だの言い出したところで筋が通るはずがないだろう。人に言われてコロコロ主張を変えてどうする。
ニュアンスが違う、と言われても、自分が違わないとするならそう主張すればいいだけの話。
ちなみに別人と他人は、この場合この議論(と言うと大袈裟だが)のキーワードであり、ニュアンスなんてどうでもいいような言葉では決して無い。少なくとも、君にとってはどうでもいい言葉であっても、君に異議を唱えている増田たちはそれを重要であると考えている(だからこそ細かい突っ込みをしているわけだ)。彼らは要するに、ニュアンスの違いだけでなく、「そこを君はないがしろにしているが、そここそが重要なのではないか」というポイントも伝えているわけだ。君が混同している言葉を指摘する事によって。
大体分かってきたよ。
君は他人と別人の区別など取るに足らないこと、といった感覚で最初の文を書いただろ?
そこに、「いや、他人と別人では意味が違う」と増田のツッコミがなされた。
君はこれを不幸にも、「どうでもいいところを挙げ足取りしてきた」といった感じに受け取ってしまったわけだな。
しかしその意味の違いを指摘した増田たちがいいたかったのは、「他人と別人では話が違ってくる」という事だったんだよ。おそらく皆そういうつもりで受け取っていたはずだが、君だけがそうじゃなかった。「どうでもいい挙げ足取り」だと受け取っていた。
だから君のスタンスから言えば、「他人と別人なんてほとんど同じ意味だろう(だからいちいち問題にするようなことではない)」と返すべきだった。そうすれば話はブレないよ。君の別人他人の定義と、他の増田が思っているそれらの定義について話し合う場になっていくだろう。君はそこを、「ハイハイどうせ挙げ足取り」とでも言わんばかりに適当に言われた通り直し(こうしてしまったら、別人他人の意味を突っ込んできた増田は、君がその意味の違いを了解したものと受け取ってしまう)反論することなく合わせてしまった。その時点で、君の主張は最初のものと違ってしまう事になる。周りは当然そう受け取るわけだ。君がその言葉を定義しなおした結果そうなったのだと。しかし君は、続けて同じ主張をしているつもりなものだから、話がかみ合わないのは当然。一体どの時点の君の主張にあわせればいいのか、こちらは戸惑ってしまうんだよ。
もしかしたらお前にキツい事言うハメになるかもしれないけど…
それは要するにさ。「生理的にダメ」っていっても、それは本当に「靴下が白なだけで嫌だ」じゃなくて、正確に言うと「靴下が白なだけで嫌だ、とこいつを切り捨てたとしても、どうせそれでも構わない、そんな程度の魅力しかこいつはそもそもない」って事なんだと思うよ。靴下が白だけど、でも超イケメンだとか何かしら凄い長所があるなら、多分そうはならない。なんていうか、嫌な言い方するけどさ、そもそもが、(少なくともその人にとって)そこら辺に掃いて捨てるほどいそうな平凡な人だったら、その人を切り捨てる理由は、どんな些細な事だって構わないわけじゃん。だって、代わりなんていくらでもいるからさ。それだったら、自分の嫌な「白い靴下はいてる」っていうポイントを我慢してまでその人を保留にしておく理由がないわけ。逆に。
例えば目の前に同じようなギャル(ギャルじゃなくてもいいけど、自分がさして興味を抱かない層の人たち)が一杯いて、誰かとデートしなきゃいけないとなったとする。どうせ全員とは付き合わないし、どうせギャルってもともとそんなに好きじゃないし皆同じような格好しててどう違うのかわかんね、ってな感じだったらさ。とりあえず「なんとなく直感的に嫌だ」ってとこから切り捨てるだろ。例えば何か髪型が好きじゃない。靴が汚い。とか。だってもうどうせ誰でもいいからさ。そんなにいちいちじっくり検証して選ぶほどの事でもないわけだし。それなら、少なくとも直感的に、生理的に嫌な奴はとりあえず避けておこう、どうせ、同じような奴がまだ一杯いるんだから。……んな感じ、分からん?多分、女の子の「生理的に嫌だ」ってのはそんな感覚なんだと思うよ。そもそも「生理的に嫌だ」って言われる人のレベルがさ、その子にとって、「生理的に嫌だというレベルの理由で切り捨てちゃっても、もともと構わないようなどうでもいい人」なんだよ。悲しいけどさ。もともとどうでもいいようなレベルだから、生理的に嫌、靴下が嫌、そんな感覚で切り捨てちゃえるわけだ。
あるいは、ただ単に、「スーツに白い靴下」というのが、君は軽視しているけど、それを指摘した子にとっては重大な事なのだろう。「それくらいのことで避けていたら…」というけど、君だってさ、フケだらけで風呂に三週間入ってませんなんて人はもうそれだけでオコトワリだろ?俺はオコトワリだよwでもそんな俺を誰かが、「フケだらけで風呂に入ってないって程度の理由で、人を簡単に切り捨てちゃえるの?」なんて、言うかもしれないわけで。要するに価値観の問題。スーツに白い靴下がダメな子でも、フケだらけの人は別にいい、と感じるかもしれない。これは全然大袈裟な話じゃなくて、結構、人の価値観ってそれほど大幅に違うから。現に俺の知り合いの女子には、ファッションセンスがダメな奴は絶対に無理だが、汚いってだけなら別にいい、という人もいた。君は「スーツに白い靴下程度で」って思うけど、彼女にとっては「そんな程度で」の話じゃなく、「有り得ない、こんなセンス」ってドン引きしちゃったのかもしれない、と。
それに「白い靴下程度で」っていうけど、なんだかんだ君も、「生理的にダメ」って言われたくらいでそこまで憤慨してるわけだろう?価値観ってさ、色々だよね。本当。
俺はこれ自分の経験談めっちゃ込みで話しちゃうけど。店員さんの業務上の愛想だけでホイホイ簡単に惚れてしまうような男という性の方が、はるかに生き辛いと思う。
どうせ大半の異性は関わらないのだから、自分に合わないならどんどん選択して絞っていける方が、人生は短いのだから有効だと思う。
どうせホイホイ惚れたところで、じゃあその先へ進めるかっていうと90%以上進展ないし。
なんか自分で選んでる感じしないんだよね。逆に。
その点女はそうやっててきぱき選んでいけるから羨ましい。はるかに効率いい。
モノを捨てられなくて、部屋が片付かない人間と、ホイホイモノを捨てて、部屋が片付く人間がいるっていうじゃん。
まさしく俺は前者なんだけど。男女もそういう感じに思えるんだよな。過去の物や、どうでもいいものをいつまでも持っていて、結局「今」を大事に出来てない。みたいなところが男にはある。過去の恋をひきずるのも男……悲しい性だよ全く。原始時代ならとにかく種付けしてりゃよかったのかもしれんけど現代社会じゃそうはいかないからなあ。女は今まで「一人(ないし少数)」を選ぶ技術を磨いてきたからそういう風に効率よく選べるけど男はそんなスキルねーもん。でも現代ではそれが必要とされる。まあちょっと大袈裟に言ったけどさ。
だっていいじゃない
知識がなくたっていいじゃない……
みたいな風潮が、最近寧ろ優勢になってきた気がする。
ちょっと前?は、「おいおいこのくらいの知識もなくてオタとか言うなpgr」っていう、オタ同士の優越感ゲームな風潮があった気がする。それが主流だった気がする。でもここ最近は寧ろ、(少なくともはてな界隈では)「なんで?ぬるオタだっていいじゃない。どうして知識があるほうが偉いの?俺たち私たち、楽しんでるだけだよ。でもそれでいいジャン☆優越感ゲームなんておっくれってるー☆てか知識自慢のガチオタこそ自重しろ」な風潮が大きくなってきた気がする。
確かに、自分が「そんなに詳しくはないがまあまあ好き」な感じのアニメなんかを見てて、ガチに詳しい奴に何か色々言われたりすると、「なんだよ」とカチンとくるもんだが、かといって、「自分が滅茶苦茶好きで詳しくなった」アニメのスレなんかで、分かってない人が今更な質問をしたりすると、「おいおい、そんなんで本当に好きなのかお前?」と呆れる気持ちはないとは言えない。いや、バリバリある。
よくどっちの立場にもなるため(俺の場合好き度で詳しくなる度が滅茶苦茶変わるから。まあ普通そうかもしれないが)、どっちにも賛成し辛い。単純により深い知識や技術を持ってるオタを賞賛する流れにも、その反発として生まれた別にぬるオタだっていいじゃん的な流れにも、どっちにも乗り難い。自分が知識がないけど楽しんでる状態で、「おいおいこんなのも知らないのか」と見下されれば腹は立つけど、かといって自分が滅茶苦茶詳しくなってイラストなんかも描いちゃったりしてサイト作っちゃったりしてるアニメがある時、ちょっと観ただけでそのアニメのオタと自称するような人間に、「ぬるオタだってなんだって好きって気持ちは同じじゃん?」などと簡単に一緒にしてもらいたくはない。ぬるオタだっていいじゃん、知識なくたっていいじゃん、ってのはそれはそれで分かるが、でも、だから知識なんてあったって全然偉くない、皆一緒さ、みたいな流れはどうなんだ?と。それはさ。知識がない方が言える言葉なのか…?とか思っちゃうわけ。
同じスポーツのファンでも、なんとなく人気の選手がいるからという感じで見始めたような、ルールも覚束ない奴から、バリバリ知識があって、何度も応援に行くような奴までいるわけで、「ルールが覚束ない奴はダメだ!ファンの資格はない」そう言うつもりは全くないけど、かといって、ルールが覚束ないようなファンが、「別にルールなんて、このスポーツの過去の知識なんて、今の選手の名前なんて、知ってたって偉くないよ。そんな事は好きな気持ちに全く関係ない。皆同じファンじゃん」とか言い出すと、それはどうなんだ?って思うんだよ。それは、まだ、知識があるほうが言うにはいいけどさ。知識がない方が言うのは、なんつーか単に、自分の知識の拙さを、知識を得ることによってじゃなく、「知識を得たってしょうがない、知識を得てようが得てまいが皆同じ」と知識ある奴を自分のトコまで引き摺り下ろして、無理矢理一緒くたにしてるような(わざと大袈裟に言ってるんだが)嫌さを感じる。
関係ないことはないと思うんだよ。簡単にこんな事言っちゃうのもなんだけど、やっぱ好きな度合いと、知識レベルって、完全には一致はそりゃしないんだけど、かといって相関性が全くないかっていうとそういうことも無いと思うんだよ。全然好きじゃないけど知識だけありますなんて、そりゃ仕事ならそれもあり得るけどさ。趣味の範囲でそんな事はないでしょ。やっぱり基本的に好きなら知りたくなるもんだし。知識が深いオタが、色々難癖つけてくるのは鬱陶しいけど、でも、そいつの知識は、そのウザさとは別問題として、凄い事は凄いと思うんだよ。知識が深けりゃいいってもんじゃないけど――でも知識があろうがなかろうが皆同じってのは違うっつーか…
「俺はこの、ただアニメを観るってだけのレベルで満足してるんだから、余計な事言ってくんな」それは分かる。言われるとウザいもんね。でもだからといって知識なんか関係ねえ、でもないだろと。知識がある奴は、有る奴で、尊敬(ちゅーと大袈裟だが)する。それはそれで凄いことだ。だからといって知識ない奴に厭味言う権利はないけど知識ない奴もその知識を勝手に軽視したりするのってどうなんだろって。
よーするに、詳しくない時は、「俺はこのレベルで、満足してるから。別に知識これ以上いらないし」というスタンスでありながら、「でも知識が有る奴はすげーと思う」というスタンスでいたい。詳しい時は、自分より知識ない奴を「全くこいつはこんなことも知らずにこれを好きだというのか」なんて意地悪言わず、ただ、自分の好きなように詳しく好きな物を突き詰めていく。そんなスタンスで俺はいたいと思う……なんだかごちゃごちゃになっちゃったな。
ちょっと追加。
優越感ゲームって、それ自体が避けるべきものみたいな扱いだけど、そんなに過剰にならなきゃそれはそれで人生の妙味なんじゃねーかなーと思う。どうしたって人間そういう欲ってあるし。他人より凄かったらやっぱ面白いんだよ。そういう欲はどうしたってあるし。そんなのを、オタクの知識なんていう安全なもので満たされるなら、いいんじゃん?とか思う。それも知識なんだからスポーツやら何やらよりよっぽど平等に頑張れて、よっぽど優越感ゲームの勝者になりやすい。あ、だからこそ、他に何もない非モテ系がオタクになりやすいのかもしれんが…でもそいつらがオタクの中でそうやって頑張って勝利した感覚を得られるならそれはそれでいいんじゃないか、いい救済なんじゃないかとも思うんだ…
なぜ泣き出すことが痛めつける事になるのかとんと理解不能。
泣き出した事で増田が傷ついているとしてもそれは増田が勝手に傷ついてるだけだ。
要するに「振られた」これだけのことじゃねえか
いちいち大袈裟だな全く
どうせ増田も1ヶ月もすりゃ新しい女のケツおっかけてるだろ
僕のハードディスクの中に眠っている数MB程のテキストファイルと数千枚の写真、絵などの映像ファイルは全てインターネット上に、製作者が公開していたものを自分で拾ってきたものです。彼ら、彼女らはネット上では(ですら)有名人ではありません。普通に生活している、ごく平凡なありふれた人達です。月並みです。僕はそういった他愛も無い、各々の些細な自己主張の場であるHP(ホームページっていう呼称は僕は気に入らないけどこっちの方が一般的だと思う。ウェブサイトと書くと企業や法人がやってるような堅苦しいイメージもするしね。単なる偏見だけど。)を多数巡回し、しかし良質、有益な情報を選別し集めてきました。
彼ら、彼女らは有名ではありません。これは、後にも先にも同じ事です。インターネットに依存しにくい普通の生活を送っている人達が、単なる暇潰しや、それに準ずるあまり価値の無いものを求めて活動しているので、ほとんどの人が簡単に始め、簡単に終わりを迎えるという事がよくあります。(逆にそういう気軽な心がけが大切かもしれません。これは実感してみないと分からないと思います。)僕の所持しているファイルは殆どが数年前ものです。年単位のオーダーは個人で情報を発信する側が半年から1年で活動停止になるのが殆どという事を考えると、僕の収集活動から見れば長いものです。古い情報です。その情報を生み出した人間も、同じ名義ではもうネット上で活動をしていません。大袈裟な表現だと思いますが、これらの様な、同じ名義上での活動の停止とは一つの人格の死に等しいと僕は考えてます(勿論実際には誰も死にやしないし、生まれもしませんが)。その名前で発信され続けてきた様々な情報は、何らかの連続性を持っています。例えば、その人が文章を書く時に題材にされやすいもの、絵を描く時のタッチなど。そういった連続性こそが一つの人格と言えますし、その人格に何らかの価値や興味を見出して(あ、これって愛なんだ、と今更ながら思った。)、その為にその情報を求める、という普遍的な動機も世の中には存在します。
勿論僕はそういった動機も大切にします。だからこそ愛着を込めて同一名義上での活動の停止を『死』とか表現したり、僕の所持しているHDに蓄積された情報を自分の中では『形見』だとか表現して勝手にセピアな雰囲気に浸ってますが、前述の通りネット上での『死』は気軽な分日常茶飯事の事なので、ある程度慣れ、それに伴いあまり有益でない情報は無視する様になりました。これによって細かなディティールは急激に失われてしまっています。非常に残念な事ですが、記録を完全に保存する事は事実上不可能なので仕方の無い事です。
彼ら、彼女らの活動の証を保存しているのはきっとGoogleと僕以外にはいないと思います。そしてGoogleですらスタンドアロンなページのキャッシュは数ヶ月で消去される事を考えると、僕の持っている情報は少なくとも僕にとってはとても貴重なものです。ショーケースに飾られた、器用に作られた煌びやかな小物も同然です。客観的な価値なんてありません。しかし僕はそれらを大事に思います。愛しているからです。
アホはアホでも、言われて気がつくアホもいれば、言われても気がつけない正真正銘のノータリンまで幅広い。
まだマシなアホにひっかかりゃもうけもん、まあ副産物にでもなるかなって程度
何よりだからといって言わずにいたらどんどんそっちに侵食されちまうんでないかという不安もあるな。実際今バカな女叩きが満ち溢れてるだろ。あそこまでどうしようもなくアホでも勢いと数がありゃそれなりに通ってしまう。一般人って基本的にバカだし。どうせ通用しないからといって口を閉ざしてたらマイノリティってのはどんどん消えてく運命だ。まあ大袈裟な話だけど
そもそも別に更正させるために書いてる訳じゃない。バカをバカと罵っているだけ
君が言うようなそういう根っからのバカは確かに獣と同じでどれほど分かりやすく言ったところで言葉が通じないから無意味という気持ちは分かるが。そういう奴の相手を避けるってのはわかるがかといって口を閉ざす必要なんてない。なんかバカな反論してきたらそれこそそこで無視だ。いちいちバカの相手なんかしてられんからな
「作戦行動中は隊長、若しくはコードネームで呼べと言ったはずだ、キングオブヤックル!」
「えー嫌ですよ恥ずかしいもん。大体なんですか私のそのキングオブヤックルって」
「おまえにぴったりじゃないか」
「略すとKYじゃないですか」
「…その点も、おまえに、ぴったりだ。」
「で小林さんのコードネームなんでしたっけ? タイガーバーム?」
「馬鹿!バーム、じゃない。何度言えばわかる。タイガーファングだ。意味が違いすぎる。大体、においで存在がバレバレになるだろ」
「で、用件はなんだ。」
「あ、合流地点に着くのちょっと遅れます」
「また寝坊か」
「違いますって。ちょっと手傷を負ったんで薬局に寄ってからいきます」
「ななななに手傷!敵方と接触したのか!深いのか!医者に行かずとも平気なのか!」
「ははは大袈裟だなあ、こば…じゃなかった隊長。だから手傷ですって。ちょっと手をすりむいただけですって」
「馬鹿者。手の傷だから手傷とは」
「違うんですか?」
「手傷というのは、手にできた傷の意味ではない。ここでの『手』とは手のひらの手ではない。手負い、とか、深手、という言葉があるだろう。あの『手』だ。つまり『手』自体で怪我の意味だ。」
「じゃあ、手傷は、傷傷ってことですか」
「そういうことだ。強調型の熟語だ。負傷全般、しかも、手傷といった場合、主に戦闘によって受けた負傷のことを言うのだ。」
「それで、敵がどうとか」
「そういうことだ。心配したではないか。で、大したことはないのだな」
「バンドエイドで治ります」
「キズパワーパッドが、治りが早いぞ」
「またそういうどうでもいい豆知識を」
「どうでもいい言うな。ともかく、できるだけ早く合流地点を目指せ。」
「ところで」
「なんだ」
「手傷が手の傷でないのだとしたら」
「うむ」
「手の傷のことはなんというのですか?」
「…!……!」
「流石のタイガーバームでもわからないことはある♪」
「タイガーバームではないとあれほど! 大体、タイガーバームでは」
「においでばれる♪」
「おまえ本当はわかってて言ってるだろ」
さっきも書いたけど、
1は、なんだか相手の足元見て、こっちが脅してるような、感覚に囚われるからかな。大袈裟に言うと。
あとなんか、これは両親がそう思ってるからなのかもしれないけど、根本的にお金の話自体あまり人様の前でするもんじゃない、的感覚が見についちゃってるんだ。親からそういうのは徹底的に隠されてきたし。小さい頃、お昼ご飯を外で食べたりする時に「これは○円で高いからこっちのほうがいいかなあ」とか言ってると、「そんな事考えなくていいから」って言われたり。
2は、それ以外の答えはないなあ。結局自分が気弱いから、もしあんな電話をする仕事について、喋ってる途中に「あ、いりませんから。ガシャーン」って電話を切られたら軽くショックかもしれない、と思うと、なかなか切れないって感じ。結局俺が気が弱いからなんだよね。相手を思いやってるとかでもなんでもなく。それはわかってるんだけどこの生来の気の弱さなんとかならんもんか…
最近滅茶苦茶な例えをしたり、そもそも例える必要があるのか?というところで例え、より分かり難くしたり、例えの役目は既に終わったというのに、何故か例えをメインにして話し始めたり、「例え」が暴走している気がしてならない。
例えが暴走すると、大抵議論はぐちゃぐちゃになる。何について話しているのかすらぐちゃぐちゃだ。
自分の出した例えがやたら気に入っているのか、やけに例えに固執したがる人もいる。「その例えはおかしくないか?」と言われてもやけにその例えをプッシュし続け、いつのまにか議論の矛先は「その例えがどうしておかしいか・おかしくないか」という方向へ流れたりもする。
例えなんてのは結局、より分かりやすく伝える為の手段でしかない。
相手が「それはおかしくないか」と疑問を持った時点で、例えの働きは失敗している(というより、相手がおかしいと思えてる時点で、そもそも例える必要がなかったのだろう)。固執するのは、単に、「この例えどうよ?美しいだろ?」と言っているに過ぎず、全く本末転倒だ。
大抵の例えがそもそも、より分かりやすく伝える手段というよりも、「お互い既に相手のいいたい事は分かっていて、その上で反発している」という状態において、「より相手を言いくるめる」為に使われてしまっているのが問題な気がする。その時の例えというのは、より分かりやすくというより、自分に有利な様に、ある部分を極端に大袈裟にし、作為的にしたものになっている。そもそも反発している相手にそんなものを出したところで、相手は当然「その例えはおかしい」と言い出すに決まっている。そしてその相手もまた、自分に有利な極端なものを出す。ここには「より相手の思っていることを分かろう、分かりやすく伝えよう」という意思ではなく、「相手をより早く言いくるめよう」という意思が働いている。うまいこといって、相手を納得させてやる、という用途で例えが使われてしまっている。その上での例え合戦など、ナンセンス極まりない。
お好み焼きを切らずにかじって食べるか、箸等で切り離して食べるかと言う論争があった場合に、丸ごと派が「お前はたこ焼きを切り離して食べるのか」といったり、切り離す派が「お前はピザを切らずにかじって食べるのか」といったりする、こういう例え論争は本当にナンセンスだと思う。結局お互い分かり合おうなどとはせず、ただ自分の意見で相手を屈服させる事しか考えていないのだから。例えというのは本来、「お好み焼きをかじって食べるってどういう事?」「ハンバーガーやクレープのように、切らずにそのまま食べるって事だよ」というように補助説明として用いる物であるのでないか。例えの話をしておきながら、例えが下手なのはご愛嬌っちゅーことで。
原文の「誠死ね」から分かる元彼氏のことなんて限られてる上に、一方的な視点からみた歪曲されたものに過ぎないのにね
そりゃそうだけどw、しっかり裏づけ取るべき重大な事件ならともかく、こんなあるカップルの別れ程度の事でわざわざ公平な目で見て判断を……なんていちいち考えんやろ。別にブクマコメントつけてる人だって、そこまで考えてつけてるわけちゃうやろ。半分ノリみたいなとこがあるっちゅーか。「誠氏ね」ってもう、ほとんど合言葉みたいなもんだし。レベルなんか、考えすぎっつーか、大袈裟に受け取りすぎではないか?ブクマのコメント程度でさ。
1年半で世界で金って何なのよ
負けた選手が「俺は18年やってるのに18ヶ月しかやってないトーマスに負けた。ショック」と生々しいコメントを残していたけどそりゃそうだよなぁ……これに比べると俺が才能がどうこういってるのなんて全然たいしたことないレベルだなと妙な方向で安心しなくもないのだがそれにしたってこのバネはなんなんだ
日本にはほとんどいないけど、アメリカなんかじゃ結構、他のスポーツから転向しましたなんて奴いるし
黒人もまだまだ金になる野球やサッカーやアメフトなんかに集中してるだけで、これからより陸上や他のスポーツに散らばり始めたらと思うと益々凄いことになりそうだ……
今でさえこんななのに!
大阪まで見に行ったが、そもそも単なる観客の外人のガタイからして凄い。白人もだ。まずやっぱり背が高い。足が長い。筋肉が凄い。
短距離も強けりゃ長距離も凄い。つーか何でも凄い。どんな筋肉してりゃあんなんになるんだ、全く。
アジア人って一体何なんだと正直少し悲しくなった。経済面じゃ白人にリードされて運動面じゃ黒人にリードされて。正直言っていいところが特にない。(つっても、特にないのに関わらず、なんだかんだでそれなりの位置にいたりする日本は別の意味で凄い気はするが)
昨日は軽い外人コンプになった。まぁ、結局俺個人のレベルじゃあんまり関係ない話だからそこまで落ち込むわけでもないけどもさ。それにしたってなんだかね。こういう生まれつき系の問題ってどうやったら解決するんだろうね、仮に全てをコントロールできるようになったとしても、じゃあ最初の値を全員同じにすればそれが一番いいのかっていったらそれはなんか違う気がするし。究極的にどこへ向かうのだろうなぁ――と大袈裟なところまで考えつつ、とりあえず俺は食器を洗うのであった
http://anond.hatelabo.jp/20070829195023
よかったな増田!
そうやって、ぶっちゃけてくる彼女なんだから、こっちもぶっちゃけちゃえばいいんじゃないか?変に緊張するとか何したらいいのやら、とかもね。最初はちょっと引かれるかもしれないが、なるべく話すようにしていけば、いい関係が築けると思うぞ。
ところで余談だが、むこうにはたぶん参謀がいるな。間違いない。
参謀というと大袈裟だが、恐らく彼女の親友。人数は複数かもしれない。普段から恋愛の相談なんかしてて、どんなタイミングでどういうセリフを吐いたらいいのか、なんてことも相談してるだろう。参謀は参謀でノリノリでもって「ためしにさワタシたちつきあってるんだよね?とか言ってみりゃいいじゃん?」なんてことをけしかけてるな。
増田は参謀の動向も読んでおいたほうがいい。もし面識がある人だったら、手懐けて味方にしておいたほうが得策だぞ。いざというとき裏から手を回すなんていう手も使えるのだ。
なんてな。
ともかく、素敵な交際を。2人でシアワセになれ!
この増田だけど、別に挙動不審というほどの大袈裟なことでもなくて、気にしてるような外見上の問題もなくても、目が合ってそらされるパターンはあり得るよって話だよ。
日本人は公共の場所では他人と目を合わせないようにしてるし視線もなるべく動かさないようにしてるので、すこしでも動く人は目立つんだよね。自分も、いけないと思いつつ、そういう人に目が行っちゃうことがあるんで、心当たりありまくり。
目を合わせないように視線を動かさないように努力してる知人に言わせると、他人を見るのは失礼だし、きょろきょろしてる人に気付く時点で失格だそうだ。そこまで避けるほどのことかって思うけど。
気になるなら、本とか携帯とか見て、なるべく視線が他人に向かないようにしたらいいと思う。
低脳水死体
彼女の凄いと思う所は、その切り口だ。曖昧でなくスパッスパッと簡易な言葉で核心をついてくる。確かにエセメンヘラーウザい、など、ネタ自体は今更感が漂うが、そのネタの調理法がうまい。それは中学生にしては、でなく、普通に上手という意味だ(だからこそ、中学生という事を信じるならば、より凄さを感じるのだが)。そしてそもそも、そのネタ自体を中学生の時点で扱える、という事自体に驚く。中学生の頃に、ここまでメタ視できるというのは凄い。中学生の頃は誰しも中二病におちいりがちな所を、彼女はそれらを形式的に「邪眼=中二病wwww」とかいって条件反射的にからかうのではなく、中二病の本質をつかんでしまっている。一段上のところにいるのだ。(ここは中学生にしては、であり、30代がやればこのメタ視レベルは普通だが)ここまでだと「じゃあ高二病?」ってことになるが、彼女の「時かけ見て考えた事」というエントリを見ると、彼女は更にその上を行っていることが分かる。彼女は、単純に中二病の人間のみを客観的に見るだけでなく、時に自分をも、客観的に見、その痛さを認め反省することが出来るのだ。自分の痛さを認めるというのは大学辺りからようやく出来始めることで、さり気にレベルが高い。
ゆえに中学生という前置きがなければ、「まーネタはありふれてるけど、なかなか文章が面白いじゃん」くらいで終わってはいただろうが、しかし「中学生でなかったらクソ」ではない。
しかも彼女、どうやら他人の悪意コメントすら軽く流せてしまう能力の持ち主のようだ。中学生にしては勿論凄いし、中学生でなくともこの流しぶりはなかなかと言えよう。
つまり中学生ならば「滅茶苦茶凄い」し、そうじゃなくて実は30男がやってるVNIでした、にしろ「そこそこうまい」。いや、もし後者だとしても、「VNIじゃなくて、本当に凄い中学生がこれを書いているのかも」と思わせる微妙なラインを突き通している辺り別の意味で凄腕と言える。
ただ、そこまで炎上していた訳ではないのに、「日本中から強烈な反響、事件から一夜明けて。」(無論大袈裟に言っているのだろうが、エントリに関するアクションがたくさんきた、というだけで一エントリを作ってしまうほどという意味で)というエントリを書いてしまう辺り、中学生らしさが垣間見える気がすんだよな。ま、これは期待もあるかもしれないけど。
全体的な趣旨には同意。僕も悪くはない大学に行っていたころ同じような印象を持ったことがある。酒の席で空気を読まずに小難しい話をするとかだったらそれはただの馬鹿だと思うけど、大筋では間違っていないと思う。
しかし、
「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつだっているのだから、学歴で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それとも飲み会で下らないアルファベット列を考えるのが「個性」なのだろうか?学歴は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつ」というのは、割合としてはかなり少ない。つまり極端な例外だ。例外に対して「教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふや」という一般的な認識を持ち出すのはどう考えてもおかしい。たとえば絵を描くのが好きで学校の勉強がおざなりになって、気付いたらかなり若いうちにコミュニケーション能力も低下してしまって、学校というシステムそのものに馴染めなくなってしまった絵描きさんは、いい大学、下手すると学校そのものに行かないまま「教科の勉強で身に付かないものを持っている」可能性が高いけれど、こういった例外に対して何故「教科の勉強」を持ち出すの? それともそういった例外的な絵描きさんは普通の学校に行っていた方が「教科の勉強で身につかない」「個性やオリジナリティ」に繋がる「物事を考える上で基礎的な知識」を獲得することができたの? もちろん美大に進むなりして専門性の高い能力を獲得する方がいい場合も多いけれど、例外の話をしてる時にそんな一般的な話をすることには何の意味もないよね。ましてそこから「飲み会で下らないアルファベット列を考える」ような一般的な知的脱落者の話を持ち出す理由もわからない。繰り返し言うけど君はこの段落の最初に例外の話題を持ち出してるんだよ。
それと、僕はプログラマーで、僕のいる会社には情報処理推進機構という独立行政法人から「天才プログラマー」として認定されている人もいるんだけど、そういった人たちは「能力を獲得するためには、学校の勉強のうち必要なものは当たり前にやっておく必要があるけど、それは独学でも当たり前に学んでおかなければならないようなことだから別に学校で勉強する必要はない。そんなものは誰に教わらなくても自分でできないといけない」と言う。僕は彼らほど凄くないけどこの意見には同意だよ。もちろん持つ能力の平均値が高い人になる場合ではなくて、「今日の勉強で身につかないものを持っている」ような「個性やオリジナリティ」のある例外的な人になる場合の話だけど。
これが理解できていない時点で、君は恐らく独自の能力を身につけるに至っていない段階なんじゃないかな。「守破離」という概念があるんだ。物事を成す最初の段階では人から教わることを「守」ってきちんと基礎を固め、それを「破」って自分に合った形を探し、独自の道へと「離」れていく。たとえばプログラマーの場合、東工大や東大の学部程度で教えている情報処理技術のうち大半のことを修得してしまっている高校生優れた教育を行う大学で情報処理を学んでいる学部生と比べ、情報処理に関してそれほど遜色の無い理解を持っている高校生が極々稀に存在するんだけど、そういった例外が大学に行く必要性はどこにあるのかな。メリットはあるけど、絶対に行った方がいいというわけではないよね。これがわかってないから、君は学校に行かないまま例外的に固有の能力を獲得した人の存在を想像することができていない。
追記。「たとえばプログラマーの場合、東工大や東大の学部程度で教えている情報処理技術のうち大半のことを修得してしまっている高校生」と書きましたが、これは意味も無く馬鹿みたいに大袈裟に書いてしまっており、指摘も受けてしまいました。すみません。「優れた教育を行う大学で情報処理を学んでいる学部生と比べ、情報処理に関してそれほど遜色の無い理解を持っている高校生」と置き換えておきました。