はてなキーワード: 水死体とは
飛沫で爆発的に感染者を増やした。
ってことはさ、
コロナ以前の人類って自分たちが無意識に日常的に赤の他人の唾や鼻水を食べたり吸い込んだりしてってことじゃん?
これってものすごくイヤなことでは?
コロナなんか無くてもイヤでしょ。
冷静に科学的に考えてもさぁ
例えば世の中には知らないほうが幸せなことって数多あると思うけど
プールにおしっことか海に水死体エキスとかみたいなことについては、まあ気にしなきゃ無害ってレベルじゃん。
でも飛沫についてはそれが「病気になるレベル」で有害だってことまで証明された。
だから気にせんでもいいレベルではない、自分の体に大きな影響を与える可能性のある「濃さ」の鼻水や唾を、
気の強い刑事マリコが東京湾岸署の科学捜査研究所(通称・科捜研)で、様々な事件に体当たりで挑んでいく。
ストーリー 1月7日。東京湾マリーナで身元不明の女性の水死体が発見された。女性の所持品から身元は割り出せないかと鑑定した土門弘幸部長刑事は、女性の死体に違和感を覚える。
一方、警視庁では連続無差別毒殺事件が発生していた。被害者たちは皆、同じ毒物によって殺されており、しかも被害者の共通項が見つからないのだ。その謎を解くため、警視庁の佐伯マリコも現場に急行する。
佐伯マリコ (さえきまりこ) 警視庁刑事部鑑識課員 元麻布警察署生活安全課巡査長 現在は本庁科学捜査研究部に所属している。階級は警視正だが、現場を志願して出ているため昇進試験を受けていない。そのため警部補のままである。
趣味は料理で和洋中なんでもこなす。独身寮で自炊しているため腕前はプロ級。ただし、本人いわく「趣味だから美味しいと思うだけよ」とのこと。
土門 弘幸(どもん ひろゆき)警視庁刑事部鑑識課に所属するベテラン警部補。階級は警視正だが、現場一筋のため階級は低い。
藤倉 幹彦(ふじくら みきひこ)警察庁警備局外事課長。階級は警視監。元SAT隊員でもある切れ者。
蒲原 誠(かんばら せい)神奈川県警横浜北警察署生活安全課少年係所属巡査長。階級は警帽徽章から察すると巡査部長の下らしい。
橋口呂太(はしぐち りょうた)国立感染症研究所の研究員。自称・天才ウイルス学者。
榊 真司(さかき しんじ)厚生労働省大臣官房総括審議官兼検疫官。いわゆるキャリア官僚で、警察庁OB。
相馬真之介(そうま まさのぶ)警察庁広域重要指定1号事件の捜査主任官。階級は警部。
エリート意識が強くて融通がきかないところがある。
水木薫子(みずきかおるこ)警察庁広域重要指定2号の事件で被害者となった若い女性警官。
テレビドラマデータベースより(https://tkdramasite.com/db_houjinkaisei_tv.html)
特に理由があるわけではない。気づいたら生理的な嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。
敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性と女性による、世間一般的に常識として扱われるような恋愛。
恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である。
高校生の私はそのようなノーマルな異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛を彷彿とさせる化粧品の広告や芸能人の結婚のニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。
当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。
私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。
化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。
最初はノーマル異性愛を嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。
日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情が生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。
それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカル「リトルマーメイド」を見に行ったことだ。
『王子様』『お姫様』の典型的なノーマル異性愛物語であるリトルマーメイドは劇場に向かう前から気が重かった。
恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である。
隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。
もうそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。
友人とこれ以上会話はできないと思った。
私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。
周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。
そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。
だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。
直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優のタイプは?とかいう女子校定番の話題にも虫唾が走る。
テレビのバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係の話題は死角から刺してくるからである。
とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。
苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力をしろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神的拷問と化していた。
例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。
生理的な拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手の価値観、人間性を疑う人もいると思う。
私は常時それを経験していた。
皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。
元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。
突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。
恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。
この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。
おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。
私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。
自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。
その子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかいう話題は一切出てこなかったのだ。
後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ。
先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛と死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。
死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。
「死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。
とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。
高校時代は自分のセクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。
今自分を鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。
大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚や就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。
この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分の理想とヘキを全て詰め込んだ架空の女性キャラクターを創作し、その女性の面影を追って生活していた。
その女性と恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性が毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。
考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。
女性の容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。
そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラをAR表示し写真を撮った。
キーボードに対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題でレポートを書くたびに見守ってもらった。
vroid対応のゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。
恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病で趣味も純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。
でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。
同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。
落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別な存在だと感じている。
ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。
テレビのバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。
恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。
高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。
今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校のカウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。
当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラーに相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分がおかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)
つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。
中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。
高校卒業のタイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。
「彼氏はできましたか?」と書かれていたのである。彼氏!!!!?!?!?
あまりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。
しかもニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏/彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。
本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。
中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。
1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?
しかも手紙を受け取るまで自分が彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである。最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。
そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである。
気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛だけがあった。
ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。
原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。
心療内科の先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境でうつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。
ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。
していた。調べに対し「震災で家に住めなくなり、姉が
煩わしくなった」と供述しているという。
した」と話した。県警が確認したところ、11年4月
見つかっており、遺体が判明した。
て行ったという。
できたとみられ、県警は川で溺れた可能性があるとみている。
http://mainichi.jp/select/news/20151119k0000m040057000c.html
(転載に際し一部削除)
犯罪事件の証拠を集めることができず、犯人を送検できなかった。
遺棄事件は未解決になっていた可能性がある。
いまも十分報道されているとは思えない。
特に弱い人たちを、見殺しにしてきた。
だがその事実を掻き消すかのように、
美俗的価値観のもとで
日本民族の心の美しさばかりが
一部の不心得者によって声高に唱えられ
誇張され報じられている。
美しい日本を作ることは
決してできないだろう
村の自称青年運動家、斎藤蔵太(32歳、仮名)が村の南西の端を流れる果て無川で、水死体となって発見された。
死体には目立った外傷はなく、入水自殺の可能性も考えられる、と警察は発表した。村の者たちに対する聞き込みなども行われたが、詳しい者はおらず、またどうも皆口を閉ざしている様子で、真相は闇の中であった。唯一、村の事情通を自称する猫ババが、斎藤は村の若い女たちに、ハレエ彗星の欠片と称するものをばらまき、その見返りに何かを求めていた、という曖昧な証言をしたが、この村はずれに住む猫ババは、普段から揉め事ばかり起こす人物であり、その信憑性についてはやや疑問が残るものとして扱われた。実際、村の女たちは誰一人として、斎藤蔵太との関係を認めなかった。こうして事件はうやむやなまま自殺ということで片付けられそうになったが、ある一人の若い警官が斎藤の生誕地である隣村に聞き込みに行ったところ、次のような事実が判明した。
斎藤蔵太は、隣村(大東村)の小さな農家の倅だったが、かねてから、大根育てて一生を終えるようなタマじゃない、と周りに吹聴していた。どうも、家の手伝いをせずに左翼活動に熱中していたらしい。30歳をこえ、そろそろ家を継ぎ、身を固めた方がいいと周りが説得しだしたのは最近だが、それがきっかけで隣村を飛び出し、今の果て無村に居着いたようだ。
果て無村では、山奥にポツンと建っている、ある変わり者の未亡人の家に居着いていたということも同時に判明したが、その未亡人も、いつの間にかいなくなっており、行方はわかっていない。
家には何も残っていなかったが、家の二階の奥に異様な雰囲気の部屋が見つかった。人のものと思われる糞尿が、辺り一面にこびりつき、天井までも汚れていた。また、解体された、林業用の電動の伐採機が見つかった。これも非常に汚れていたが、歯の部分だけは、綺麗に拭き取った跡があった。
その後、大きな発見はなく、事件は忘れられていったが、一年を過ぎた頃、果て無村から十里ほど離れた場所にある憑い堕町にて、件の未亡人が、餓死しているのが発見された。果て無村まで伝わってきた情報では、数人の若い女衆と共に断食を含む宗教的な儀式を行っていたようだ。真偽は不明だが、流れ星を信仰し、祈祷の一環として、自分の身から出たものだけで生きる、という奇っ怪な修行を行っていたとの噂もあるようだ。
なんかネットが切断されたり書き込みが制限されたり、挙句は書き込みボタンが白くなって押せなくなったりとわけがわからず、追加で書きこめねーからこっちに書いとくか
一応論拠
初対面なのに馴れ馴れしく話しかけてくるのは、向こうは自分の事をよく知っている上、また距離が近いようにも思っているから
体育館を出るとき、わざわざ誰も行かないような梯子登った先にある窓から見下ろしていたのは、高所から見下ろし、その事を気付かれるような位置におり、また気付かれても無反応で見つめ続けていたのは、心理的には逆に見下されているように感じているか、あるいは本来ならば見下されるような立場にあったから
家に訪ねてきて母親と深刻そうな話をしており、その話しぶりに怨念が感じられたのは、事情を既に知っている母親と、父親の事について話していたから
なんとなくタブーのような気がして両親にはその女の事を聞けていないのは、内心ではもうなんとなく気付いているからで、これまで話に一切登場しなかった父親にさえ女の事を聞けないのがその証拠
首輪だけ残して犬がいなくなるったのは、恐らくは女は母親に冷たくあしらわれ、父親にも同様に対応されたか接触できない事情があり、しかし何らかの形で一家に損害を与えようと考えた結果だから。あくまでも外からしかアクセスできない立ち位置にいるが、こういう事もできるんだぞというアピールでもある
(ただ外飼いの飼い犬が赤の他人に首輪を外されて連れ去られるかという疑問は残るので、息子に馴れ馴れしく接触してきたように、犬にも前々から餌をやって手懐けていた可能性もある)
水死体で発見されたのは、母親かもしかしたら父親の対応が引き金となって自殺したから
夢に出てくる女の顔はのっぺらぼうで、どんな顔かも忘れてしまったのは、もう既に新聞に出ていた顔写真がどことなく自分と似ている事に気付いているからだが、不幸な真実に気付いても不幸になるだけなので、あっさりと女の顔も忘れてしまうし、女の顔を否定するようなそんな夢も見る。しかし罪悪感と後悔があるので同じ夢を繰り返し見る
戸塚ヨットスクールって知ってるかな
一般児童・青少年向けのヨットスクール・戸塚ヨットスクールにおいて訓練生の死亡・傷害致死・行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰というより過酷な暴行だったことが明らかになった。
1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。
1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、1983年に傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(舵取りのための道具。一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。
1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏、コーチらに対して傷害致死罪を認定。戸塚宏に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚、コーチら6人が双方で控訴。
1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
2002年2月25日、最高裁は二審判決を支持して戸塚宏の上告を棄却。これで戸塚宏の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。起訴から結審まで19年を要する長期裁判となった。
2006年4月29日 - 満期で戸塚が出所。今後もヨットスクールを続ける意向を語った。
戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張。病死として不起訴扱いにされた。
コーチによって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死で起訴
1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明
1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏とコーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。
当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。
2006年10月 - スクールからいなくなった訓練生の25歳男性が、知多湾で水死体となって発見される。
警察は自殺と事故の両面で捜査を行っていると報道された。男性はうつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙にいなくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されている。同男性の遺体に目立った外傷はなかった(2006年11月7日現在、新聞報道による)。
2009年10月19日、戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の女性が寮の3階より飛び降りて死亡した。愛知県警半田署は自殺とみて捜査している。
2011年12月10日、戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて重傷を負った。愛知県警半田署は自殺未遂とみて捜査している。
2012年1月9日、戸塚ヨットスクールの寮内にて、訓練生の男性が寮の3階より飛び降りて死亡した。愛知県警半田署は自殺とみて捜査している。
こういうやつらが石原慎太郎はじめ多くの国民に支持されている。
日本のある部分には、こういう体質が染みついてるんだよ。
以前,交際相手と心中するかのように話を進めておきながら自分だけ死のうと画策したが,失敗したことがある.
しばらく付き合ってきた中,直接顔を合わせているときはほとんど別れ話は出なかったが,電話やメールでやりとりするときにはかなりの頻度で(それこそ毎日と言っても過言でないくらい),別れ話が出ていた.それらはその都度立ち消えになっていたが,その日,メールから始まって,その後電話で数時間断続的にやりとりしたときは,タスクが溜まっていて時間もない中で焦りが出てきた.そのせいかどうかは分からないし,そんなことを理由にしたらそれこそ後ろ指を指されかねないが,ついには,別れるくらいなら死のう,と言ってしまった.すると肯定的な返答があり,そのまま話が進んだ.
心中について肯定的な返答が来るだろう事はある程度予想していた.勿論自殺願望はお互いあるはずもない.そこまで悲観的な生き方はしていないことは分かっている.また生活が貧窮していたわけでもない.曖昧な認識ではあるが,そういった事に関してあまりアレルギーになっておらず,既に自身としての死に対する認識がある程度構築されていたのではないかと思う.
そんなのはほとんど憶測で,それこそ身勝手だと言われかねないが,ここについてはあまり引っかかりたくない.そこについては,互いにあまり認識がずれているわけでもないと判断していいようだからだ.
前段落がどうやら詭弁に終始しているようにも思えるが,いずれにせよ,現実に心中するという話を進めた.話は次第に具体的になり,いつ行うのか,どのように行うのかということを話した.結果として,私が具体的に手を下すということが決まった.しかし,この,具体的な部分を話し合った時点で,私は本当に相手を殺める意思を持っていなかった.言い訳がましいかも知れないが,こう思っていた.相手に手を下すことはしない.相手の目の前で自殺する.
その意思を相手に打ち明けることはしなかった.何故か.また,相手の前で自殺する理由は何なのか.
まず,相手に打ち明けなかったのは,打ち明けると実行に際して何らかの障壁が生じるだろうと考えたことに起因する.その障壁が,私と相手,どちらによるものなのかは分からなかったが,そう判断した.
相手の前で自殺しようと思ったのは,端的には,私だけでは確実に死ぬ自信がなかったからだ.自らの手だけでは失敗するのではないか,との不安要素を最小限にしたかった.相手の手を借りようとしたのだ.勿論,相手が罪に問われないよう,私なりの考慮はした.直前まで自殺の意思を告げず,実行に際しても私が強引に包丁を握らせ,それにぶつかっていくという形を採ることにした.嘱託殺人や自殺関与,自殺幇助に問われなければいいのだが,と思い,相手が自殺を助長するようなことは一切しなかった,という旨を,手頃な紙が無かったためレポート用紙に記し,なくさないよう持ち歩いた.そんなことをするのであれば1人でやるべきだと言われそうだが,前述の通り,できる限り確実に実行したかった.もしかすれば,死ぬ直前くらいは愛する人と一緒にいたかったという甘え,我が侭があったかのも知れない.
包丁で自殺するという案は,比較的早期に決定した.以前にも,自殺について真剣に検討したことがある.そのときは「迷惑をかけない自殺」を主題にしばらく検討を重ねたが,結論は出せなかった.それも踏まえ,更に,実行のしやすさを重視すれば,最も失敗しがたいのは水死であったが,水死体になるのはできれば避けたかったし,実行しやすい水死というものが,何の問題もなく完遂される見込みがなかった.しばし考えた結果,家庭にある包丁を使うと結論づけた.具体的には,左胸の肋骨のあたりに刃を寝かせてまず2回.その後,痛みに耐えられるのなら,できればそのちょっと下に刺し,そのまま右に.殺人についての知識はほとんど無く,成功するかなど全く見当もつけられなかったのだが,当時は,素人の出来合いの案としては悪くはないように思えたのだから不思議だ.
話が逸れたが,いずれにせよ,私は自殺の意思を伝えないまま,相手との間では心中の話を進めた.
実行当日の朝,風呂からあがり,実行の準備を私は始めた.準備といっても,相手に非がないことを記したレポート用紙がコートのポケットに入っていることを確かめる程度だった.相手に電話をかけようと,携帯電話に目をやると,丁度相手から電話が掛かってきた.
いよいよか,というやりとりを少々した後,何か必要なものはあるかと問われ,私は台所の包丁を用意して欲しいと頼んだ.電話口から物音が聞こえたのち,刃渡り20-30cm程度のものしかないが,と言われ,それでいい,と答えた.その後,他愛のない会話をしているうちに,様子がおかしくなった.
相手の口調が,随分と弱々しかった.携帯電話のスピーカーにぴったりと耳をくっつけ,やっと聴き取ることができるような声だった.消え入りそうな声で告げられたのは,私に殺されるくらいなら自らの手で死んだ方がいい,ということだった.
至極当然な考えに思われた.それと同時に,焦った.そんなことは絶対にしてほしくなかった.心中の話を進めておいてそれはバカげているだろう,そう思われるかも知れないが,相手の死だけは絶対に望んでいなかったのだ,絶対に.やめろ,と私が何度か呼びかけた後,電話は切れた.
私は更に焦った.私が相手のために死ぬのは,私としては全く構わなかった.しかし,相手が死ぬことだけは何があっても避けたかった.
何度もかけ直し,遂に電話に出た相手は,とても言葉少なだった.さっきよりもか細い声で,途切れ途切れに,さっきと同じ事を相手は私に告げた.
相手は携帯電話を落とした.確証はなかったが,相手の携帯電話のマイクが,ごく近いと思しき硬く大きな音を断続的に拾ったことから,私はそう判断した.電話が切れた.
私は何度かかけ直したものの,相手は出なかった.
電話を切ったのだから,相手の意識はあったのだろう.もしかしたら,何もしていないのかも知れない.しかし,このまま何もせず,予定した時刻になって相手宅に向かい,もし相手が何かしていたとすれば.
自宅の電話番号を調べる余裕はなかった.もし見つけたとしても,それが転居前のものという懸念があり,そのリスクを抱えてでも時間を浪費するよりは,真っ先に行政を動かす方がいいと判断した.
私は確実に動転していた.救急ではなく,警察に通報してしまった.事情を話しているうち,無根拠な涙が流れた.無根拠だったが,流さずにいられなかった.警察とのやりとりを終えて数分後,消防から電話が掛かってきて,警察に話したこととほぼ同等のことを伝えた.既に救急も警察も向かっているとのことだった.消防との電話が切れてすぐ,また消防から電話があった.相手宅の詳しい位置などを伝えた.もうすぐ着くとのことだった.
十数分が経過した.無根拠な涙が止まらなかった.自宅から相手宅までは自動車で20分ほどの距離だったが,体が動かなかった.
相手は生きていた.傷一つ無く元気,とのことだった.
その後のことは,割愛する.要するに,いろいろ謝ってまわった.
以前,交際相手と心中するかのように話を進めておきながら自分だけ死のうと画策したが,失敗したことがある.
しばらく付き合ってきた中,直接顔を合わせているときはほとんど別れ話は出なかったが,電話やメールでやりとりするときにはかなりの頻度で(それこそ毎日と言っても過言でないくらい),別れ話が出ていた.それらはその都度立ち消えになっていたが,その日,メールから始まって,その後電話で数時間断続的にやりとりしたときは,タスクが溜まっていて時間もない中で焦りが出てきた.そのせいかどうかは分からないし,そんなことを理由にしたらそれこそ後ろ指を指されかねないが,ついには,別れるくらいなら死のう,と言ってしまった.すると肯定的な返答があり,そのまま話が進んだ.
心中について肯定的な返答が来るだろう事はある程度予想していた.勿論自殺願望はお互いあるはずもない.そこまで悲観的な生き方はしていないことは分かっている.また生活が貧窮していたわけでもない.曖昧な認識ではあるが,そういった事に関してあまりアレルギーになっておらず,既に自身としての死に対する認識がある程度構築されていたのではないかと思う.
そんなのはほとんど憶測で,それこそ身勝手だと言われかねないが,ここについてはあまり引っかかりたくない.そこについては,互いにあまり認識がずれているわけでもないと判断していいようだからだ.
前段落がどうやら詭弁に終始しているようにも思えるが,いずれにせよ,現実に心中するという話を進めた.話は次第に具体的になり,いつ行うのか,どのように行うのかということを話した.結果として,私が具体的に手を下すということが決まった.しかし,この,具体的な部分を話し合った時点で,私は本当に相手を殺める意思を持っていなかった.言い訳がましいかも知れないが,こう思っていた.相手に手を下すことはしない.相手の目の前で自殺する.
その意思を相手に打ち明けることはしなかった.何故か.また,相手の前で自殺する理由は何なのか.
まず,相手に打ち明けなかったのは,打ち明けると実行に際して何らかの障壁が生じるだろうと考えたことに起因する.その障壁が,私と相手,どちらによるものなのかは分からなかったが,そう判断した.
相手の前で自殺しようと思ったのは,端的には,私だけでは確実に死ぬ自信がなかったからだ.自らの手だけでは失敗するのではないか,との不安要素を最小限にしたかった.相手の手を借りようとしたのだ.勿論,相手が罪に問われないよう,私なりの考慮はした.直前まで自殺の意思を告げず,実行に際しても私が強引に包丁を握らせ,それにぶつかっていくという形を採ることにした.嘱託殺人や自殺関与,自殺幇助に問われなければいいのだが,と思い,相手が自殺を助長するようなことは一切しなかった,という旨を,手頃な紙が無かったためレポート用紙に記し,なくさないよう持ち歩いた.そんなことをするのであれば1人でやるべきだと言われそうだが,前述の通り,できる限り確実に実行したかった.もしかすれば,死ぬ直前くらいは愛する人と一緒にいたかったという甘え,我が侭があったかのも知れない.
包丁で自殺するという案は,比較的早期に決定した.以前にも,自殺について真剣に検討したことがある.そのときは「迷惑をかけない自殺」を主題にしばらく検討を重ねたが,結論は出せなかった.それも踏まえ,更に,実行のしやすさを重視すれば,最も失敗しがたいのは水死であったが,水死体になるのはできれば避けたかったし,実行しやすい水死というものが,何の問題もなく完遂される見込みがなかった.しばし考えた結果,家庭にある包丁を使うと結論づけた.具体的には,左胸の肋骨のあたりに刃を寝かせてまず2回.その後,痛みに耐えられるのなら,できればそのちょっと下に刺し,そのまま右に.殺人についての知識はほとんど無く,成功するかなど全く見当もつけられなかったのだが,当時は,素人の出来合いの案としては悪くはないように思えたのだから不思議だ.
話が逸れたが,いずれにせよ,私は自殺の意思を伝えないまま,相手との間では心中の話を進めた.
実行当日の朝,風呂からあがり,実行の準備を私は始めた.準備といっても,相手に非がないことを記したレポート用紙がコートのポケットに入っていることを確かめる程度だった.相手に電話をかけようと,携帯電話に目をやると,丁度相手から電話が掛かってきた.
いよいよか,というやりとりを少々した後,何か必要なものはあるかと問われ,私は台所の包丁を用意して欲しいと頼んだ.電話口から物音が聞こえたのち,刃渡り20-30cm程度のものしかないが,と言われ,それでいい,と答えた.その後,他愛のない会話をしているうちに,様子がおかしくなった.
相手の口調が,随分と弱々しかった.携帯電話のスピーカーにぴったりと耳をくっつけ,やっと聴き取ることができるような声だった.消え入りそうな声で告げられたのは,私に殺されるくらいなら自らの手で死んだ方がいい,ということだった.
至極当然な考えに思われた.それと同時に,焦った.そんなことは絶対にしてほしくなかった.心中の話を進めておいてそれはバカげているだろう,そう思われるかも知れないが,相手の死だけは絶対に望んでいなかったのだ,絶対に.やめろ,と私が何度か呼びかけた後,電話は切れた.
私は更に焦った.私が相手のために死ぬのは,私としては全く構わなかった.しかし,相手が死ぬことだけは何があっても避けたかった.
何度もかけ直し,遂に電話に出た相手は,とても言葉少なだった.さっきよりもか細い声で,途切れ途切れに,さっきと同じ事を相手は私に告げた.
相手は携帯電話を落とした.確証はなかったが,相手の携帯電話のマイクが,ごく近いと思しき硬く大きな音を断続的に拾ったことから,私はそう判断した.電話が切れた.
私は何度かかけ直したものの,相手は出なかった.
電話を切ったのだから,相手の意識はあったのだろう.もしかしたら,何もしていないのかも知れない.しかし,このまま何もせず,予定した時刻になって相手宅に向かい,もし相手が何かしていたとすれば.
自宅の電話番号を調べる余裕はなかった.もし見つけたとしても,それが転居前のものという懸念があり,そのリスクを抱えてでも時間を浪費するよりは,真っ先に行政を動かす方がいいと判断した.
私は確実に動転していた.救急ではなく,警察に通報してしまった.事情を話しているうち,無根拠な涙が流れた.無根拠だったが,流さずにいられなかった.警察とのやりとりを終えて数分後,消防から電話が掛かってきて,警察に話したこととほぼ同等のことを伝えた.既に救急も警察も向かっているとのことだった.消防との電話が切れてすぐ,また消防から電話があった.相手宅の詳しい位置などを伝えた.もうすぐ着くとのことだった.
十数分が経過した.無根拠な涙が止まらなかった.自宅から相手宅までは自動車で20分ほどの距離だったが,体が動かなかった.
相手は生きていた.傷一つ無く元気,とのことだった.
その後のことは,割愛する.要するに,いろいろ謝ってまわった.
以前,交際相手と心中するかのように話を進めておきながら自分だけ死のうと画策したが,失敗したことがある.
しばらく付き合ってきた中,直接顔を合わせているときはほとんど別れ話は出なかったが,電話やメールでやりとりするときにはかなりの頻度で(それこそ毎日と言っても過言でないくらい),別れ話が出ていた.それらはその都度立ち消えになっていたが,その日,メールから始まって,その後電話で数時間断続的にやりとりしたときは,タスクが溜まっていて時間もない中で焦りが出てきた.そのせいかどうかは分からないし,そんなことを理由にしたらそれこそ後ろ指を指されかねないが,ついには,別れるくらいなら死のう,と言ってしまった.すると肯定的な返答があり,そのまま話が進んだ.
心中について肯定的な返答が来るだろう事はある程度予想していた.勿論自殺願望はお互いあるはずもない.そこまで悲観的な生き方はしていないことは分かっている.また生活が貧窮していたわけでもない.曖昧な認識ではあるが,そういった事に関してあまりアレルギーになっておらず,既に自身としての死に対する認識がある程度構築されていたのではないかと思う.
そんなのはほとんど憶測で,それこそ身勝手だと言われかねないが,ここについてはあまり引っかかりたくない.そこについては,互いにあまり認識がずれているわけでもないと判断していいようだからだ.
前段落がどうやら詭弁に終始しているようにも思えるが,いずれにせよ,現実に心中するという話を進めた.話は次第に具体的になり,いつ行うのか,どのように行うのかということを話した.結果として,私が具体的に手を下すということが決まった.しかし,この,具体的な部分を話し合った時点で,私は本当に相手を殺める意思を持っていなかった.言い訳がましいかも知れないが,こう思っていた.相手に手を下すことはしない.相手の目の前で自殺する.
その意思を相手に打ち明けることはしなかった.何故か.また,相手の前で自殺する理由は何なのか.
まず,相手に打ち明けなかったのは,打ち明けると実行に際して何らかの障壁が生じるだろうと考えたことに起因する.その障壁が,私と相手,どちらによるものなのかは分からなかったが,そう判断した.
相手の前で自殺しようと思ったのは,端的には,私だけでは確実に死ぬ自信がなかったからだ.自らの手だけでは失敗するのではないか,との不安要素を最小限にしたかった.相手の手を借りようとしたのだ.勿論,相手が罪に問われないよう,私なりの考慮はした.直前まで自殺の意思を告げず,実行に際しても私が強引に包丁を握らせ,それにぶつかっていくという形を採ることにした.嘱託殺人や自殺関与,自殺幇助に問われなければいいのだが,と思い,相手が自殺を助長するようなことは一切しなかった,という旨を,手頃な紙が無かったためレポート用紙に記し,なくさないよう持ち歩いた.そんなことをするのであれば1人でやるべきだと言われそうだが,前述の通り,できる限り確実に実行したかった.もしかすれば,死ぬ直前くらいは愛する人と一緒にいたかったという甘え,我が侭があったかのも知れない.
包丁で自殺するという案は,比較的早期に決定した.以前にも,自殺について真剣に検討したことがある.そのときは「迷惑をかけない自殺」を主題にしばらく検討を重ねたが,結論は出せなかった.それも踏まえ,更に,実行のしやすさを重視すれば,最も失敗しがたいのは水死であったが,水死体になるのはできれば避けたかったし,実行しやすい水死というものが,何の問題もなく完遂される見込みがなかった.しばし考えた結果,家庭にある包丁を使うと結論づけた.具体的には,左胸の肋骨のあたりに刃を寝かせてまず2回.その後,痛みに耐えられるのなら,できればそのちょっと下に刺し,そのまま右に.殺人についての知識はほとんど無く,成功するかなど全く見当もつけられなかったのだが,当時は,素人の出来合いの案としては悪くはないように思えたのだから不思議だ.
話が逸れたが,いずれにせよ,私は自殺の意思を伝えないまま,相手との間では心中の話を進めた.
実行当日の朝,風呂からあがり,実行の準備を私は始めた.準備といっても,相手に非がないことを記したレポート用紙がコートのポケットに入っていることを確かめる程度だった.相手に電話をかけようと,携帯電話に目をやると,丁度相手から電話が掛かってきた.
いよいよか,というやりとりを少々した後,何か必要なものはあるかと問われ,私は台所の包丁を用意して欲しいと頼んだ.電話口から物音が聞こえたのち,刃渡り20-30cm程度のものしかないが,と言われ,それでいい,と答えた.その後,他愛のない会話をしているうちに,様子がおかしくなった.
相手の口調が,随分と弱々しかった.携帯電話のスピーカーにぴったりと耳をくっつけ,やっと聴き取ることができるような声だった.消え入りそうな声で告げられたのは,私に殺されるくらいなら自らの手で死んだ方がいい,ということだった.
至極当然な考えに思われた.それと同時に,焦った.そんなことは絶対にしてほしくなかった.心中の話を進めておいてそれはバカげているだろう,そう思われるかも知れないが,相手の死だけは絶対に望んでいなかったのだ,絶対に.やめろ,と私が何度か呼びかけた後,電話は切れた.
私は更に焦った.私が相手のために死ぬのは,私としては全く構わなかった.しかし,相手が死ぬことだけは何があっても避けたかった.
何度もかけ直し,遂に電話に出た相手は,とても言葉少なだった.さっきよりもか細い声で,途切れ途切れに,さっきと同じ事を相手は私に告げた.
相手は携帯電話を落とした.確証はなかったが,相手の携帯電話のマイクが,ごく近いと思しき硬く大きな音を断続的に拾ったことから,私はそう判断した.電話が切れた.
私は何度かかけ直したものの,相手は出なかった.
電話を切ったのだから,相手の意識はあったのだろう.もしかしたら,何もしていないのかも知れない.しかし,このまま何もせず,予定した時刻になって相手宅に向かい,もし相手が何かしていたとすれば.
自宅の電話番号を調べる余裕はなかった.もし見つけたとしても,それが転居前のものという懸念があり,そのリスクを抱えてでも時間を浪費するよりは,真っ先に行政を動かす方がいいと判断した.
私は確実に動転していた.救急ではなく,警察に通報してしまった.事情を話しているうち,無根拠な涙が流れた.無根拠だったが,流さずにいられなかった.警察とのやりとりを終えて数分後,消防から電話が掛かってきて,警察に話したこととほぼ同等のことを伝えた.既に救急も警察も向かっているとのことだった.消防との電話が切れてすぐ,また消防から電話があった.相手宅の詳しい位置などを伝えた.もうすぐ着くとのことだった.
十数分が経過した.無根拠な涙が止まらなかった.自宅から相手宅までは自動車で20分ほどの距離だったが,体が動かなかった.
相手は生きていた.傷一つ無く元気,とのことだった.
その後のことは,割愛する.要するに,いろいろ謝ってまわった.
低脳水死体
彼女の凄いと思う所は、その切り口だ。曖昧でなくスパッスパッと簡易な言葉で核心をついてくる。確かにエセメンヘラーウザい、など、ネタ自体は今更感が漂うが、そのネタの調理法がうまい。それは中学生にしては、でなく、普通に上手という意味だ(だからこそ、中学生という事を信じるならば、より凄さを感じるのだが)。そしてそもそも、そのネタ自体を中学生の時点で扱える、という事自体に驚く。中学生の頃に、ここまでメタ視できるというのは凄い。中学生の頃は誰しも中二病におちいりがちな所を、彼女はそれらを形式的に「邪眼=中二病wwww」とかいって条件反射的にからかうのではなく、中二病の本質をつかんでしまっている。一段上のところにいるのだ。(ここは中学生にしては、であり、30代がやればこのメタ視レベルは普通だが)ここまでだと「じゃあ高二病?」ってことになるが、彼女の「時かけ見て考えた事」というエントリを見ると、彼女は更にその上を行っていることが分かる。彼女は、単純に中二病の人間のみを客観的に見るだけでなく、時に自分をも、客観的に見、その痛さを認め反省することが出来るのだ。自分の痛さを認めるというのは大学辺りからようやく出来始めることで、さり気にレベルが高い。
ゆえに中学生という前置きがなければ、「まーネタはありふれてるけど、なかなか文章が面白いじゃん」くらいで終わってはいただろうが、しかし「中学生でなかったらクソ」ではない。
しかも彼女、どうやら他人の悪意コメントすら軽く流せてしまう能力の持ち主のようだ。中学生にしては勿論凄いし、中学生でなくともこの流しぶりはなかなかと言えよう。
つまり中学生ならば「滅茶苦茶凄い」し、そうじゃなくて実は30男がやってるVNIでした、にしろ「そこそこうまい」。いや、もし後者だとしても、「VNIじゃなくて、本当に凄い中学生がこれを書いているのかも」と思わせる微妙なラインを突き通している辺り別の意味で凄腕と言える。
ただ、そこまで炎上していた訳ではないのに、「日本中から強烈な反響、事件から一夜明けて。」(無論大袈裟に言っているのだろうが、エントリに関するアクションがたくさんきた、というだけで一エントリを作ってしまうほどという意味で)というエントリを書いてしまう辺り、中学生らしさが垣間見える気がすんだよな。ま、これは期待もあるかもしれないけど。