はてなキーワード: 命題とは
すべてにおいて、答えなんかないよ。
自分がどう考え、どう行動するか、生きるのかは自分次第で、それに意味を見いだすのも、
生きることを諦めるのも、すべて自分次第。
ある特定の出来事がきっかけとなって、
一連の思考にはまってしまうことがある。
私の場合、そのトリガーは親からの電話で、
いつも一連の思考にはまってしまい、
最終的には、人間は、というよりも私は、
結局のところひとりぼっちなんだという結果にいきつく。
何のために生きているのかとか、
何が楽しくていくているのかとか、
そういった事を考えだすと、
こうして生きて生活していること自体がひどく無意味に思えてきて、
かといって積極的に死にたいとか思うわけではないのだが、
どこを私自身の人生の拠り所にするればいいのかが分からなくなり、
ひどい虚無感に襲われるのだ。
私はもう30を目前にしたいい大人だし、
毎日仕事にも通って贅沢をしなければ普通に生活できるだけの稼ぎはあって、
この歳になってもまだいまだにそんなことを考えている自分に嫌気もさす。
親とはうまくいっていない。
かといって、悪い関係というわけでもない。
『関係ない』
生物学的には、子孫を残すこと、が生の命題なのではないかと思う。
しかし私は、自分の家族を振り返ったとき、子供をつくることに恐怖を覚える。
つまり、子供を作る気がない私の生は、生物学的に言っても無意味な生なのではないか。
そんな無意味な生を、
酒を飲んで騒いだり、おしいしいものを食べたり、
やりたくもない仕事をして金を稼いで時間を浪費して終わらせていく。
本当に無意味だ。
自分の生の拠り所を、見つけたいと考えている。
人により様々な拠り所をきっと持っているのだろうと思う。
よりどころのない生を全うするほど人は強くないと思うのだ、私は。
何を拠り所に生きればいいのか、10年弱考え続けていまだに分からない。
そんなことも考えずにのうのうと生きていられる人を羨ましいと思う。
被害者にも問題があるという考え方を突き詰めていくと、加害者だけでなく必ず被害者側も悪いということになってしまいますが、そういう話ではないですよね?
どうして「必ず」になる? どれほど対策していたところで防げない例はあるだろう。厳重に宝石箱を守っていても重機で壁ごと破壊されてしまってはかなわない。対策と被害可能性とのコストバランスの問題もあるだろう。そこは否定していない(そう読める文がどこかにあった? なら謝るが)。そうではなく,被害者に落ち度が認められる場合について「被害者は悪くない」と主張することの是非を論じているんじゃないか。
多いかどうかはまったく述べていない。全ての事件において被害者側に帰責性があるとも言っていない。ただ被害者側がもっと注意していれば被害を防げた事例はあると思っている。全称命題と存在命題な。
じゃあどの程度なら「高くない」と思う? はてな界隈でこれが話題になったのはたしか,深夜2時に米兵2人に誘われて相手宅にあがったケースだったよね。これを差し控えることは被害者にとってそんなに高い負担だったか。
あのな。君たちは望んで「奪われる性」に生まれついたわけじゃない。可能なら性器をとってしまいたいと思う人もいるだろう。女だというだけでコスト負担を強いられる。その理不尽さには同情する。でも現実にその性を与えられている以上,対策は「すべき」なんだよ。
ああいう才能が育てても出来ない、クローンつくったほうが手っ取り早い、という
だけどさ、俺がしってるそのひとだけかもしれないけど、
かれは、人間としてバランスがとれてない、という節がたっくさんあった。
「君は数学の発展のためにつくられたクローンなんだよ」という、
人類はじまって以来の、手前勝手な命題をあたえられた状況・環境の下で育てたら、どうなるか。
これは、俺は勘でしか言えないけれど、
半分は、どうにもならん「失敗作」になるんじゃないかと思う。
あるいは、ホームセンターの商品だけで、原爆つくっちゃうような人間ができるかもしれん。
その場合の責任は、発案者の君がとるんだぜ。
よし、じゃあオレの主張を書こう。
「絵の才能は見切れない」
もしもこの命題が正しいとしよう。
であるならば、見切れないものについてどう判断するべきか?
見切れないまま人生を進んでみるべき?
答えは「見切れるもので判断する」だ。
見切れるものは下記のようなものだ。
・収入はどのくらい必要になるか?
・どのくらいの学校にいけば、どういう職業に就くことができるか
・その職業ではどういう技能が必要で、どのような資格をとっておくべきか
・何歳まで働くつもりなのか。老後のためにはどの程度の蓄えが必要か
実に明確だ。
つまり「見切れない要素」はもう「見切れないこと」である時点で要素間の競争力を失っている。
「見切れないこと」に賭けるということは計画性を破棄したということと同義であり、
宝くじを買うようなものだぞ?
http://anond.hatelabo.jp/20090404115824
まず命題の肝となっている「論理的思考」と「馬鹿」という言葉の意味については、確認の意味でもきちんと定義しなければならない。他の言葉の意味については、議論の余地はないものとする。
「思考」考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
「馬鹿」知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。
(yahooのオンライン辞書では「論理的思考」がなかったので、論理的と思考に分けた)
ここで「馬鹿」の定義は「知能が劣り」とある。比較もせずに劣るということはありえない。よって馬鹿というのは「何か」と比較した結果である。
ここではその「何か」を何に設定すべきかが問題になる。命題を見ても明確な指針は見つからないので、推測せざるを得ない。再度命題を見ると「論理的思考力のない馬鹿」と記述してある。よって比較対象は、論理的思考力が必要とされる何か、とする。これなら人間以外は排除してもよいだろう。また言うまでもなく男女共に対象となる。他、限定すべきものはいくらでも考えられるが、現実的に考えて割り切らざるを得ない。よってあとは年齢だけで制限することとする。
まず年齢の下限について。論理的思考力が必要とされるものはいろいろあるが、低い年齢でそれが必要なものとしては、学校等で受けるテストだろう。但しテストと言ってもさまざまなので、ここでも割り切らざるを得ない。ここでは論理的思考力が必要なテストを受ける必要がある年齢として、義務教育を超えた範囲とする。つまり下限を16歳と設定する。
上限についても、これだという区切りは難しいが、ここでは一般的な定年退職の年齢、つまり60歳としておく。
以上を整理すると、「大学受験生は、16歳から60歳の人間と比較して、きちんと筋道を立てて考えることができない人が多すぎる」ということになる。これをどうやったら証明できるか。
これを証明するには、言うまでもなく、筋道を立てて考える、という能力を測らなければならない。これをどうやって測れるか。
例えば、webで公開されている、論理的思考力を測るテストがある。
http://www.goodfind.jp/student/challenge/logical.php
http://www.antelope.co.jp/ct_test/3.html
(厳密に言えば、これらが本当に筋道を立てて考える能力を試せるテストであるかをチェックしなければならない)
その他、よりよい方法があれば、そちらを使用するべきである。
いずれにせよ、テスト等の結果について、大学受験生と16歳から60歳の人間のそれぞれについて、統計学的に有意な数を集めなければならない。このテストを受ける人間の集め方については(特に16歳から60歳の人間については)、年齢、性別、国籍(居住地域)、人種・民族、宗教・信条、学歴、職業、既婚・未婚、障害の有無、インターネットリテラシー等で偏りが生じない様十分に注意する必要がある。
Gigazineで、「27歳になると知能が低下する」という記事が注目されているようだ。
日本語訳:「一方、27歳になると推理力・思考速度・空間の具現化の3つの項目が著しく低下し始めていることが研究で明らかになったとのこと。」
げ、やべ、俺25歳、後2年だ。大学時代、もっと勉強しておけばよかったしくしく・・・と思って、元の英語の記事を読んでみる:
原文:"The first age at which performance was significantly lower than the peak scores was 27 – for three tests of reasoning, speed of thought and spatial visualisation."
あれ?「著しく低下する」なんてどこに書いてあるの?じ~~~・・・・
・・・・もしかして、"was significantly lower than"を、「著しく低下する」って訳したのか?バカタレ!このsignificantlyは、「有意に」だ。データ取ってみたら、22歳がピークだったから、22歳とx歳の間に統計的な有意差があるかどうかを、xを23, 24, 25,...と増やしながら、年齢ごとに検定していって、x=27で、初めて、推理力・思考速度・空間視覚化の3つのテストで統計的に有意に(significantly)差が表れました、って意味だろ。
心理や教育のような人間を対象とする科学の分野の学術論文で、"significantly"とか"significant"って書いてあったら、それは、統計的な検定を行った時の「有意に」とか「有意な」という意味に決まっているではないか!論文中で"significantly"に差が出ましたって書いておいて、検定やっていなかったら「ちゃんと検定やってください」って査読者にはねられて、論文が通るわけがないのだから。
俺、心理も教育も全然専門外で、単に情報系大学院出ただけだけど、これぐらいはわかるぞ。「著しく」じゃなくて「有意に」であることがわかったら、「あー、そんなもんだろうなぁ」、と、納得できる。一般的に年を取ると知能が低下することは知られているが、具体的に何歳でどれぐらい知能が低下かを計測するのは、かなり難しい問題のはずだ。ある一人の知能テストを継続的に受けさせて、年をとったところで点数が下がったとしても、偶然である可能性もあるし、計測した人がたまたま、「年齢と知能テストの相関がとても激しい特異体質」であったかも知れず、一般の人がどうこう、ということについては何も言えないからだ。
この論文は、2000人について、知能テストを継続的に受けさせて(それ自体がものすごいことだと思う)、年齢以外に知能が低下した原因が考えられないような状況を作り出した。そこまでして、やっと、「27歳は、22歳と比べて知能が低いという統計学的な証拠が出ました」ということが、いえたという印象。頑張ったなぁ、力技の論文だなぁ、マジメに検証して偉いなぁ、と思う。
世の中ね、そんな簡単に「著しい」なんていえないんですよ。特に一般的に常識になっていることほど、そう。「女子は感情的、男子は理論的」とか、「一人っ子はわがまま」とか、常識的に信じられているけど、それをサイエンスとしていうためには、すごく限定された設定でものすごくたくさんアンケートをとって、ようやく言えるか言えないかってところ。そう簡単に「著しい」差なんて出たら苦労しないわ、バカタレ。
追記:
「心理や教育のような人間を対象とする科学の分野」でなくても、自然科学系なら一般的に"significantly"は「統計的に有意」の意味だろう、という指摘があったけど、以下の理由により、こういう表現をしました。
・分野によっては、「統計的に有意」という概念が有用でない場合がある
例えば、物理・数学・情報科学などで、何か命題を証明するときに、「実験してみて統計的に有意ですから、この数式は正しい」ということは普通やらず、数学的な操作を繰り返して証明する。こういう風に、統計や検定が関係ないということが明らかな文脈では、"significantly"は「統計的に有意」以外の意味を持ってもおかしくないので、限定しておいたまでです。
「思い出の生徒か」 教授は自身の歴史を振り返っている様子だった。「たくさんの生徒を受け持ったけど、そう尋ねられて一番に思い浮かぶのはやはり彼かな」
「ほう」 数多くの優秀な存在を輩出した教授にそう言わしめる存在に私は興味を覚えた。「その彼とはいったいどんな生徒だったんですか?」
「優れた生徒でしたよ彼は」 教授は強調するように付け加えた。「とてもユニークだった」
「ユニーク、と言いますと?」
「そうだね」 教授はしばらく考えた。「そう。ある時、こんな課題を出したんだ。ある複雑な命題を証明するプログラムの記述課題。普通は証明に直接アタックする。つまり多方面からその証明を、手法の差はあるにしろ、直接証明しようとするんです」
「普通は、と仰いましたが、それ以外にやりようなんてないんじゃないでしょうか?直接証明に取り組むことすらできない落ちこぼれを除いては」
「そうでしょうな」 教授は面白そうに言った。「普通は、まさしくその通りです。生徒は二つに分けることができました。直接証明に取り組むのと、命題を理解できずに取り組むことすらできない落ちこぼれとの二種類に。そう。彼と出会うまではね」
「彼はどうだったんです?」
「最初はね」 教授は過ぎ去った時を懐かしむように言った。「彼のことを落ちこぼれだと思いました。それも飛びっきりのね。なぜなら彼ときたら、全く関係のない環境世界のプログラムを始めたんですよ」
「そう。水や植物や鳥や生き物を創ってるのを見た時はさすがの僕も魂消ましたよ。少なくとも自分の力で完成させるまでは口出しをしない。そう決めている僕でさえ口を出しそうになりました。そして彼は次にAIのプログラムに取りかかりました。そして彼は、環境世界にAIを入力し、マシンだけを動かし早々に帰ってしまいました」
「帰ってしまったんですか?課題に関係のない環境世界とAIだけしかやってないのに?」
「そう帰ってしまった。呆れてしまいましたよ。だから彼が一番に提出した時は信じることができませんでいた。なにせ課題に取り組んでるとすら思ってなかったんですからね。しかしレポートを見るとそれは確かに正解でした。つまりはこうです。彼はそれをAIにやらせていたのです。ただしAIと言っても課題をいとも簡単に証明できるAIなんて容易には組めません。だから彼は知性と好奇心を持つ2種類のAIを創りました。2種類のAIが接触するとそれらのパラメータを引き継いだAIが生まれます。AIには短い寿命があり、世代交代を繰り返しますが、情報は蓄積が可能なので、次世代でも利用することができます。彼がそのようにして創ったAIを最適な環境に入力した結果、AI達は進化を重ね、ついにはその好奇心と蓄積された情報により、命題を証明したのです。もちろん、AIに特別な指向性を持たせてはいませんでしたから、その証明だけがされたわけではありません。他にもユニークな成果がありましたね。中でもユニークだったのが、彼がAIにならって文学や芸術と呼んでいたものです」
「その彼の名前は?」
「YHWH」
初増田。(←これの使い方も合ってるか自信が無い)
ウザイ肉親、いわゆる実家付近に住む兄や姉。此方も家族持ち。40にリーチぐらい。
ぶっちゃけると俺は年収1千万までいったので形式上は社会で成功してる。
(実際は名ばかり管理職でたいしたこと無い)
ウザイ肉親はまぁ300万ぐらいじゃね?知らないけど。
このウザイのが、冠婚葬祭やらなんやらに絡んでいちいちネチネチ嫌味を言ってくる。
いわく、社会人としてダメだとか。そんなことでは先が思いやられるとか。
明らかに社会人としてはこっちのほうがマシ。
こっちが思いやられる。それにウチのヨメイビリも加わる。
お前に心配されるまでもねーよ。関わってくるなよ。
多分、俺に対しての僻みや妬みもあるんだろうと思う。
あんまりかかわりたくないので儀礼的なやりとり以外していないが、それでも重箱の隅をつついてくる。
仕事の関係ならウザくて自分にメリットの無い奴とは距離を置けばいいが、肉親だと置けない。
本気でモメても得は無いので、儀礼的に折れておくと、ますます頭に乗る。
話し合いで解るほどは素直では無いので、ちゃんと対話が成り立たない。
世間ではこういうのどういう風にするんだろう?
追記
改行がはてな記法では特殊なのを知ったのでちょっといじりました。
あと、1コ1コに解答するのでなく、まとめて追記の方が一般的らしいので以下ここに書こうと思います。すまない。増田を読み始めたのは最近なのですまない。
ぶっちゃけ倒すと。
いきなり、お前が悪いんじゃないとか、言い出す人居るんでその辺断っとくと。
俺が悪くても悪くなくてもどうでも良くて「やだなと思ってる相手とどうやって距離をとるか。それが兄弟などの血縁の場合。」というのが命題です。
自分は親子仲良いし、ウザ肉は親子仲悪い(誰に対しても偉そうなので親も呆れている)ので、両親をほっぽってあるのは気がかかってる。(ピンピンしてるけど)両親さえよければ、実家から離れるが此方で一緒に住むのもありだしヨメも同意してる。
この辺の個人情報は、上記の命題に対して意味を成さないし、特例っぽいのであえて出さなかったんだけど、書けば書いたで話がヘンな方向に行くし、書かなければ書かなかったで、話が変な方向に行くしで難しい。
もう一度命題を書くと
「やだなと思ってる相手とどうやって距離をとるか。それが兄弟などの血縁の場合。」
です。
上手くやってる人居たら、是非教えてくれ。下さい。マジで。
「なぜ男は先に死ぬのか?」
その命題は何世紀ものあいだ答えられずにいましたが、現在その理由はわかっています。
ただし、それには前置きがあるので、その説明から紹介したいと思います。
もし女性を他の男性の目に触れないようかくまうなら……男性優位な考え方と言われます。
もし専業で主夫をするのなら……めめしいと言われます。
もし一生懸命仕事をしたなら……女性のための時間はなくなります。
もし彼女が低賃金の退屈な単純作業をするなら……組織にとってとても役に立ちます。
もしあなたが低賃金の退屈な単純作業をするなら……なまけものはやめ、もっとましな仕事につくべきです。
もしあなたが彼女を差し置いて昇進すると……それはひいきということになります。
もし彼女があなたを差し置いて昇進すると……それは公平な機会ということになります。
もしあなたが彼女のルックスを褒めたら……それはセクハラになります。
もしあなたが何も言わなかったら……無関心な男ということになります。
もしあなたが泣いたら……あなたは弱虫です。
もしあなたが泣かないなら……無神経な鈍い男です。
もしあなたが彼女に相談せずに決断したなら……あなたは男性優位な考え方をすると言われます。
もし彼女があなたに相談せずに決断したなら……彼女は自由を勝ち取った女性ということになります。
もし彼女がうれしくないことを頼むと……それは支配と呼ばれます。
もし彼女のほうが頼むと……それはお願いと呼ばれます。
もしあなたが女性らしさやフリルの下着をありがたがると……あなたは変態扱いされます。
もしそれらをありがたく思わないなら……あなたはゲイです。
もし女性に脱毛してもらい、スタイルをキープしてもらいたいなら……あなたは性差別者です。
もし女性にしてもらわなくてもよいなら……あなたはロマンチストではありません。
もし自分のルックスを気にするなら……あなたはナルシストです。
もし気にしないなら……だらしない人です。
もし女性に花を贈るなら……あなたは下心丸出しです。
もし贈らないとすれば……気遣いが足りない男ということになります。
もし自分の成功を誇りに思っているなら……自己中心的と言われます。
もし誇りに思わないようであれば……大志のない人だと言われます。
もし彼女が「今日はその気じゃない」と言うなら……彼女は疲れています。
もしあなたが「今日はその気じゃない」と言うなら……「もう愛していないのね」と言われます。
もしあなたのほうから何度も求めるなら……回数が多すぎと言われます。
もしあなたのほうから求めるのをやめると……浮気を疑われます。
ここで最初の質問に戻ります。
「なぜ男は先に死ぬのか?」
答え: 「先に死にたい」
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/44a168f4f49944058f457302eef66e83
「雇用流動化で失業率は下がる」という命題自体に間違いはないと思うが、雇用規制撤廃が雇用流動化を促進するかというとあまり大きな効果はない。
のびー老師は自説に組しない説を「感情論w」というが、おいらには「悪いモデル屋」にしかのびー老師が見えない。
「ある経営者が、正社員を雇うか派遣にするか迷っているとする」仮定の話にしても、雇用の口そのものは一つで増えているわけではない。それを論じるなら作業量の増加に伴う雇用の決定を具体的に例としてあげて欲しいわけ。たとえばあるA社は業務を拡大するために人を雇うかどうか決定せねばならない。その前提条件として雇用コストと雇用によって生じる利益を考える。というなら分かる。のびー老師の説で違和感を感じるのは、この前提で考えるとき解雇規制によって生じるコストっていうのが実際どれだけ考慮されているのかってこと。普通に考えて生産性と給料のみで判断するでしょってこと。正社員が忌諱されているのはそれに伴う社会保険とかの手続きのめんどくささと、それと給料を含めての費用の高さだと思う。
翻って、現状の生産業の雇用については、供給>需要なので解雇規制の撤廃が行われた場合、企業は雇用コストを社会リスクに代えて外部に出すだけで終わる。介護や外食に人が行かないのは労働条件が悪すぎるだけであって、労働条件がよくなれば供給が増えるのは「モデル屋」であるなら分かりそうなもんなのに。
「資本家から搾取して労働者に再分配しても、パイ全体の大きさは変わらない(税の累進性を上げると、インセンティブの低下でGDPは下がる)。」ってのもよく言われるけど、10万人が1000円の贅沢するのと、一人のお金持ちが1億の買い物するのもGDPとしては同じとして、どちらの実行可能性が高いかは分かるはず。とくにのびー老師は輸出に頼る製造業への偏重を悪いものとして扱っていたわけで、内需を増やそうとすれば個人消費を増やして企業の設備投資を促す方が方法としてはコストかからないのにその点において矛盾しないか?
セーフティーネットもきちんと整備しないまま、経済明るい見通しも立たないまま解雇規制の撤廃したら、当然普通の人はリスクヘッジして個人消費が落ちるのがわかってないのかなぁ。んな訳ないと思うけど。よしんば景気がよくなってからやるとしても「派遣切り」がこういうふうにセンセーションに取り上げられてしまっては消費税並みに個人消費を冷やす原因にしかならないと思うんだけどさ。
とはいえ「雇用流動化で失業率は下がる」のは間違いないので、あとはどうやって雇用流動化を促進していくかなんだけど。これは「自発的に転職する人」を増やすしかないと思う。施策としては、
1.雇用保険の給付額の増加と期間の延長、および適用の緩和
2.職業訓練についての補助の拡大(90%ぐらい補填して欲しい)。もっと言うなら職業訓練の無料化
かなと思う。3は難しいけどね。とにかく一旦職業訓練を施す期間をもてるようにしないと。
これが出来るなら、消費税が上がってもいいと思う。
その回答は、科学は実践主義なので、その人がどういう思想を抱いていようが、書いた論文が第3者によって査読されしかるべき手順を踏んで認められれば、認められる。
神学者だろうが、無神論者だろうが、愛国主義者だろうが、アナーキストだろうが。そんなバックボーンは論文とは一切関係ない。
よって、神を信じていても科学者になれる。
逆に言えば、正しく論文を書けなければ、無神論者でも科学者にはなれない。
ただし、証明したい内容が、神はいるとか、神学を科学的に証明しようと言うことであれば、まぁ、すくなくとも、俺が生きているうち、というぐらいの時間帯のスパンの中では無理じゃないかと思う。気が遠くなるくらいの未来のことは知らん。
「これまでの経験から考えて、神に頼っても何もしてくれない可能性の方が高い」と信じるならば、実験と理論で説明せよ。
そうでないならば、保留して、汝が信じることを実験と理論で説明せよ。
たとえ、証明できなくても、実験を積み重ねることで、この方法では証明出来ないという事の証明になり、それはそれで、科学の1ページとして、輝かしくはない物の立派な科学の1ページだと。
私は科学をそのように思っています。
まあ、科学者としてはそうなんでしょうね。
でも、神の存在って結局のところ人間の理性では説明不能だし、まして科学では説明できないわけで。そういうものに対して、実験と理論で説明せよと言うほうが間違っていますよ。そもそも、この大元の命題自身が不毛すぎやしませんか。とか言っちゃいけなかったか。
「水は言葉を理解する」という命題は、「過去の水に関する実験結果は、全て水にかけた言葉と関係なく説明できる」ことから、間接的ではあるが、否定実験をするまでもなく容易に反証可能。
あくまでも、私見になってしまい、パブリックな科学論とはずれるのかもしませんが、私はこのセリフには同意できません。
なぜならば。
昔は、天動説が証明することもなく当たり前でしょう、と言われていましたが、今では、地動説の方が一般的です。
しかしながら、何百億年という単位で見た場合、実は、地球が太陽の周りを回っているというのはたかだか100億年程度の事で、あと200億年後には、別な軌道を描くもっと複雑な運動であったことが証明されないとは限りません。
地球が太陽の周りを回っていると考えるのは十分に合理的であり、天体観測上も問題なく。十分矛盾がない理論である。という事になると思います。
こういう考え方が科学であると思いますので、十分な考察と、十分な実験が無く、肯定することも否定することも非科学的だと私は思います。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「水は言葉を理解する」という命題は、現在の科学の基本的な実験と、その命題を主張する科学者の実験に不備が見られることを理由に、「水は言葉を理解する」という命題を主張するにはデータ不十分。よって検討に値しない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
言い方を変えると、査読を拒否するのに十分な理由がある。という言い方でもいいかもしれません。
という分には問題ないと思いますが、反証可能であるとするには、やはりそれも、データ不十分である。ほとんどの人が唱えている「水は言葉を理解しない」という命題もまた、査読を拒否するのに十分な理由があると思います。(他の実験とかいわれても、他の実験は他の実験で条件が違うのに、何か言われても困りますと。もっとも、必ずしもそうでもない事も分かりますけれども。きちんと、論文としての体裁を整え、どの論文のどの実験と、どの実験の結果を基に、どういう風に考察して、けっか、どうである。という条件をそろえてくれないと、査読することが不可能という意味:科学的というならば、そういうことかと。それ以外はディベートかと思います。)
既存の科学に、実験と理論で、新しい1ページを追加していくのが科学かと思います。であるならば、証明可能かどうか?という事は科学に値せず、証明することが科学かと思います。反証不可能な事については、現代の科学では証明・不可能と判断を保留した方がよいと考えています。
元増田。まぁ、確かにそうなんだけど、それは、否定の証明というのでは・・・否定の証明を試さないと「非科学的な態度」になるのであれば、ほとんどの疑似科学は否定できなくなってしまうよ。以下で、「神様がいないこと」を、「霊がいないこと」とか「水は言葉を理解すること」とかに置き換えてみれば分かる。
科学は神様がいないことを証明し、それを査読し、論文に載り、世界中の科学者が追実験し、証明が確認された。
という事実は聞いたことがない。
自分の言いたかったことは、次のようなこと。
・「神の存在」はもともと反証不可能な命題で、反証不可能な命題は信じていても科学的な態度(=反証可能な命題は証明か反証をする)とは矛盾しない。
・「神頼み」は、反証可能な命題に対して証明も反証もせず、原因を神に求める態度であるため、科学的な態度とは矛盾する。
よって、非科学的なのは「神頼み」であって、「神の存在」を信じることは科学的な態度に矛盾するものではない、ということ。要するに、反証可能なことだけに注目して、そこは白黒つけましょう、というのが科学だ、と言いたい。
「神の存在」は、神が見つからなかったとしても、「神は全知全能だから人間には分からないように隠れられる」と言い逃れられるので、もともと反証不可能。
「霊の存在」の反証不可能性は微妙。霊の定義に「霊は人間には分からないように隠れられる」という命題が含まれていれば、もともと反証不可能になる。そうでなければ、「既存の光や音に関する科学実験結果は、全て霊の存在と関係なく説明可能」ということから、間接的に、物理的な霊の存在を否定できる。これが、「人間は霊を感じる」という認知科学の命題であれば、話は全く別で、これは真になると思う。実際に一人「私は霊を感じます」みたいな人を連れてくればいいだけだし、幻覚作用のある物質を投与したときに霊を感じたりする場合の記録などがあるはずなので、正しいはず。
「水は言葉を理解する」という命題は、「過去の水に関する実験結果は、全て水にかけた言葉と関係なく説明できる」ことから、間接的ではあるが、否定実験をするまでもなく容易に反証可能。